琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

スカイ・クロラ(文庫) ☆☆☆


スカイ・クロラ (中公文庫)

スカイ・クロラ (中公文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
僕は戦闘機のパイロット。飛行機に乗るのが日常、人を殺すのが仕事。二人の人間を殺した手でボウリングもすれば、ハンバーガも食べる。戦争がショーとして成立する世界に生み出された大人にならない子供―戦争を仕事に永遠を生きる子供たちの寓話。

僕は先に押井守監督の映画『スカイ・クロラ』を観てからこの文庫を読みました。
率直に言うと、「これが『原作』だとしたら、押井さんはけっこう「いい仕事」をしたんじゃないか、と感じたんですよね。
正直、この小説版は、映画以上に「退屈」だし、「意味不明」です。
他の巻を読んだらわかるのかもしれませんが、わけのわからない単語や具体的にイメージできない専門用語だらけの空戦シーンを読んでも、あんまり面白くない……
この原作は、映画以上に「説明不足」な作品です。
もっとも、たぶんこれは何かを説明するための作品じゃなくて、この世界の雰囲気に浸るための小説で、僕はこの世界に浸れるほど「子ども」ではなくなっているだけのような気もします。

あと、「ジャンパ」とか「ハンバーガ」とか、最後の「ー」という伸ばす音をあえて書かないようにしているのも、なんだか読んでいてちょっと引っかかります。それが森さんのスタイルなんだろうけど。

ラストも映画版のほうが僕は圧倒的に良いと思うんだよなあ。
この『スカイ・クロラ』を原作に選んだことそのものが、「わかりやすい押井守計画」の失敗で、『うる星やつら』みたいに原作による制約が大きいほうが、結果的に「わかりやすい」映画になるんでしょうね。

僕は映画の『スカイ・クロラ』は(他人に薦められる映画かどうかはさておき)大好きだったんですけど、この文庫の『スカイ・クロラ』は、「映画を観たから、なんとか最後まで読めた」という感じです。
とはいえ、いま『ナ・バ・テア』を読んでいるので、それなりの「魅力」はある本だとは思うのですが。

 ボールの穴から離れた僕の指は、
 今日の午後、
 二人の人間の命を消したのと同じ指なのだ。
 僕はその指で、
 ハンバーガも食べるし、
 コーラの紙コップも掴む。
 こういう偶然が許せない人間もきっといるだろう。
 でも、
 僕には逆に、その理屈は理解できない。
 ボウリング場のシートと同じグラスファイバが、ロケット弾の翼に使われている。花火大会と爆撃は、ほぼ同じ物理現象だ。自分が直接手渡さなくても、お金は社会を循環して、どこかで兵器の取引に使われる。人を殺すための製品も部品も、必ずしも人の死を望む人たちが作っているわけではない。
 意識しなくても、
 誰もが、どこかで、他人を殺している。
 押しくら饅頭をして、誰が押し出されるのか……。その被害者に直接触れていなくても、みんなで押したことには変わりはないのだ。
 私は見なかった。私は触らなかった。
 私はただ、自分が押し出されないように踏ん張っただけです。
 それで言い訳になるだろうか?
 僕は、それは違うと思う。
 それだけだ。
 とにかく、気にすることじゃない。
 自分が踏ん張るのは当然のことだから。
 しかたがないことなんだ。

 たぶん、僕がこの作品に最初に触れたのが中学生か高校生くらいであれば、こういう記述に感銘を受け、「キルドレ」たちに共感できたと思うんですよ。『銀河英雄伝説』にハマり、民主主義を守ろうと誓ったあの頃の僕ならば。
 でも、やっぱり今の僕には無理。
 あーわかったわかった、君の言いたいことはわかるけど、そんなこといちいち考え込んでたら、生きていけないんだよ!

 うーん、結局のところ、僕にとっては、「読むべき時期に出会うことができなかった小説」だったみたいです。



 以下ちょっと雑談。

映画『スカイ・クロラ』感想(琥珀色の戯言)
↑に書いたように、僕は押井監督の映画『スカイ・クロラ』は、すごく気に入ったのですけど、

「スカイ・クロラ」でひどい目に遭う(挑戦者ストロング)
↑のエントリでの「酷評」に対しても、「そう感じる人も多いだろうな」と納得はできるんですよ。

前の方の座席に座ってたオレは、上映が終わると後ろを振り向いて他の客の顔を見てみた。ほとんどの人は「うわあ…何これ…」みたいな険しい表情をしてた。道端でネコの死骸を見かけた人の顔だったぜ。

↑には、思わずニヤニヤしてしまいました。
いや、子どもには意味不明(けっこうエロチックなシーン満載だし)、大人にはキャラが幼すぎ&説教臭くて鼻につく、というこの映画、売れないのが当たり前だよね。このアニメーション技術なら、ゴミの星を掃除するロボットの話でも作れば、オスカーに手が届いたかもしれないのに!

ところが、押井監督の著書によると、「最近は『映画を撮ってくれ』というオファーが途絶えたことがない」そうなんですよ。押井監督作品で劇場で1ヵ月の壁を越えた作品が記憶に無いにもかかわらず(『GHOST IN THE SHELL』は、アメリカではものすごくDVDが売れたらしいですが)、興行成績とはまた別の価値観で評価される映画や映画監督も世の中にはいて、彼らがちゃんと映画を撮れる環境があるというのは、ある意味素晴らしいことですよね。ゴダールは「興行的に黒字だったのは『勝手にしやがれ』だけ」なんてよく言われますし(と偉そうに書いてますが、僕はゴダール作品は1本も観たことないです、すみません)、M・ナイト・シャマラン監督とか、『シックス・センス』一発の遺産でここまで食いつないできているようにも見えますし。
まあ、「誰がお金を出しているのか?」というのは、正直疑問ではあります。
スカイ・クロラ』は「読売新聞」がけっこうお金出してるんだな、というのはよくわかったんだけどねえ。

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