琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

「ブログに移行すると『文章の質が落ちる』理由」ふたたび


ネットで書いてるとなんで文章力落ちるんやろ - Hopeless Homeless(2009/2/7)

↑のエントリを読んで。

僕も以前(2年半前)、
ブログに移行すると「文章の質が落ちる」理由
↑のようなエントリを書いたことがありました。

「ブログで書くこと」のメリットというのは、

(1)更新が簡単であること
(2)1日にいくつもエントリが書けること
(3)コメント・トラックバックなどの「反応」を得ることが比較的容易であること
(4)キーワードリンク、新着情報などで、「新しく読んでくれる人」の割合が多いこと

などが挙げられるでしょう。そしてそれは、ある意味「ブログの文章が荒れやすい原因」になっているのかもしれません。
更新が簡単であれば、ちょっとした思いつきを、練ることもなく書いてしまえるし、それを書いても、同じ日に思いついたことは、また次のエントリに書けばいいだけのことです。そして、けっこう簡単な内容でも、流行のキーワードに対応していれば、それなりのリアクションがあったりするんですよね。
さらに、ブログというのは、「テキストサイト」に比べれば、はるかにリアクションしやすい媒体です。テキストサイトの「文中リンク」なんていうのは、「馴れ合い」とか言われがちですし、掲示板への書き込みは即時性に乏しく、いちげんさんには、やや敷居が高い(書き込んだだけで、「宣伝厨」よばわりされたりすることもある)。でも、ブログは、「トラックバックしあうこと」が前提の媒体なので、ちょっとした感想とかでも、けっこう抵抗なくリンクしたりもできるのです。もっとも、読み手の側からすれば、気になる本の感想を見ようと思っても、「本日購入、楽しみ」とかいうような「言及」がズラッと並んでいると、それはそれで悲しくもなるのですが。

ブログをやっていて思うのは、ブログというのは、もともと「未完成な内容を書く」ことに向いているのではないか、ということなのです。
テキストサイトが、その1日の内容が、「ひとつの世界」として完結していることを求められるのに対して、ブログというのは、基本的に、「その内容に対してのトラックバックやコメントまで含めて、ひとつのエントリとして成立している」ような印象があります。要するに、「完成した料理を提供する」のがテキストサイトならば、「みんなが料理しやすい素材を提供する」ことが求められているのがブログ。それを料理してくれる人も含めての、ひとつの世界。

実感としては、「ブログ」って、ラジオの深夜放送(「オールナイトニッポン」とか)に近い媒体なのではないかと感じているのです。
「深夜放送」の基本的なスタイルって、まずDJがいて、要所要所で音楽をかけて、自分の身の周りに起こったとりとめのない話をし、リスナーからのハガキ(たぶん今はメールが主流なのでしょう)を読みながら進行していく、というものだと思います。そして、深夜放送の場合、あまりにキッチリとした構成であるよりも(たぶんみんな知らないでしょうけど、「ジェットストリーーム」みたいに、台本通りのトークを時間通りにやって、予定された音楽を予定通りに流すスタイルよりも)、なんだか途中で時間が押して曲が飛ばされたり、DJがハガキのちょっとしたネタで盛り上がってしまって、急に新コーナーができたりするような「意外な展開」にこそ、魅力が詰まっているのですよね。内容的には、もちろん、台本通りの番組よりも「練れていない」のだけれども、このスタイルには、このスタイルなりの大きな魅力があるわけです。

「ブログで書いていると、ブログで受けやすい書き方に『適応』してしまう」という面があります。
そして、もうひとつは、自分では気をつけているつもりでも、「更新する前に、どのくらい自分の文章をブラッシュアップするか?」という手間のかけかたの違ってくるのです。
僕は「文章でお金を稼いでいる人間」ではないので、id:akio71さんのような「文章に対する厳しさ」を持ってはいないし、いくら「気をつけている」つもりでも、せいぜい「一通り書き終えた時点で、2回くらい読み返して明らかにおかしいところを直す」くらいのものです。あとで読み返すと、「うわっ、この文章、主語がふたつある……」とか「思った」3連発!とか、「あらためて再考してみる」とか、こんなものを何か月も公開していたのか、と自分でも恥ずかしくなるようなものだらけ。
前に『テキストコンテスト』に出していたときには、それこそ、「気持ち悪くなるくらい推敲」しましたが、いまはそこまで突き詰めることはありません。
ブログって、「個々のテキストの質は大事だけど、更新頻度をある程度キープしないとすぐ読まれなくなる」という認識もありますし。
そのほかの特徴としては、ブログの文章というのは、「オチまでの流れを事前に準備しないで書いてしまうことが多い」、そして、「かっちりまとまっていなくても、勿体ないからと公開してしまうことがけっこうある」のです。
そしてまたブログっていうのは、困ったことに、多少ツッコミどころがある文章のほうが、話題になってたくさん読まれがちなんですよね。
それだけで完結してしまうような「正論」は、けっこうさらりと読み流されてしまう。
長すぎるもの、すぐに理解できないものは、読まれずにスルーされてしまう。

「ブログで文章力が落ちる理由」というのは、「意に染まないものを垂れ流していくうちに、平均的な『完成度』が下がってしまう」あるいは、「自分の『公開しても良いと思える合格ライン』が下がってしまうから、ではないかと思うのです。
さらに、ある程度の「人気ブログ」になってしまうと、「名前」でお客さんが呼べてしまうので、自分でも勘違いしてしまいがち。
文章でお金を稼いでいる人って、本当にすごいですよね。少なくとも、商業出版の世界では、作者、編集者、校正者の3人(しかも、編集者と校正者は本読みのプロです)が「チェックポイント」になっているけれど、ブログでは作者ひとりだけ。
(もちろん、チェックポイントが無いことによって生まれる新しい表現の可能性はゼロではないけれど、それがどんなにレアケースなのかは、世間に溢れる「自費出版本」のことを考えていただければ、おわかりいただけるのではないかと(参考:「自費出版」は、美味しい商売!(活字中毒R。))

 ただ、最近ちょっと考えているのは、ブログ文章に適応した人たちというのは、クラシカルな「小説家」にはなれなくても、「WEBライター」や「ネット上の表現者」としての場所を開拓していくのではないかな、ということなんですよ。
 『ジャンプ放送局』で投稿戦士として、あるいは『オールナイトニッポン』でハガキ職人として活躍していた人たちが、「小説家」にはならなくても、放送作家やマンガ家、ライトノベル作家として、いまの「ひとつの文化」を支えているように。

 最後にひとつ、嫌われそうなことを書いて終わりにします。
 「ネット上の文章だけを読んで、ネット上で書いたものには、ほとんど価値はない」
 手塚治虫先生は、よく「マンガを読んで、マンガを描くな」と仰っていたそうです。
 やっぱり、アウトプットにはインプットが必要なんですよね、どんなにインプットしても、キリがない話ではあるんだけれど。

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