琥珀色の戯言

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村上春樹独占インタビュー「僕はなぜエルサレムに行ったのか」を読んで


文藝春秋 2009年 04月号 [雑誌]

文藝春秋 2009年 04月号 [雑誌]

今日(というか日付としてはもう昨日ですね)発売の『文藝春秋』に村上春樹さんの「エルサレム賞」受賞への経緯、そして授賞式とあの『壁と卵』のスピーチについてのインタビューが掲載されています。

文藝春秋』は僕にとっては、「芥川賞受賞作・全文掲載」の号しか買わない、広告と記事の区別がよくわからない俗っぽい文芸誌なのですが、今回ばかりは発売日に購入。
「目玉記事」のはずだと思ったのですが表紙にはこの村上春樹さんへのインタビューの言及がなく、本当に載っているのかと疑問になったのですが、ちゃんと掲載されています。しかも14ページにわたって。
村上さんへのインタビューだけでなく、エルサレム賞受賞スピーチ『壁と卵』の全文(英文+和訳)まで掲載されているという大サービス。これはもう、僕にとっては永久保存版になりそうです。

しかしながら、ちょっと引っかかったというか、なんか感じ悪いなあ、と思うところもあるんですよね。
文藝春秋』がこれだけのページ数を割いて2月15日に行われたスピーチと村上さんへのインタビューを掲載しているということは、おそらく事前に「受賞スピーチと授賞式後のインタビューは文藝春秋で」という取り決めがなされていたのではないでしょうか。
文藝春秋』というのは、「日本で唯一売れている文芸誌」ですから、そこにこうして「説明をする場所」を確保しておいたというのは、「そこまで用意周到だったのか」とも感じます。

 イスラエルに行って、イスラエルを批判するスピーチをしたということで「勇気がある」と言ってくれる人もいますが、僕自身はとくに勇気があるとは思いません。イスラエル独裁国家じゃないし、基本的には言論の自由な国ですから。それよりはゲストとして招かれて、いろいろと親切にしてもらいながら、そういう人たちの前でイスラエルについて批判的なメッセージを発しなくてはならなかったことに対して、つらい思いがありました。言わざるを得ないことだからもちろん仕方ないんだけど、僕としてはそっちの方がむしろきつかったです。素直にありがとうというだけで済んだら、どんなによかっただろうと。

 どんなに「言論が自由な国」であっても誰かの銃弾一発で人は死んでしまうことにかわりはありませんから、僕は村上さんは「勇気がある人」だと思うんですよ。ご本人がそうおっしゃらないとしても。
 ただ、事前にかなり現地の情勢、イスラエルという国の歴史について調べてはいたようです。
 そして、「親切にしてもらった人たちの国を批判することのつらさ」っていうのは、当事者にしか、たぶんわからないだろうな、と思いますし、こういう「人情的なもの」を村上さんが口にされているのはちょっと意外にも感じました。
 僕のイメージのなかの村上春樹は、こういうとき、「言うべきことだから言う」ということに、あまり躊躇いを感じる人ではなかったので。

 このインタビューのなかでいちばん印象的だったのは、イスラエルという国とそこに住む人たちについての、こんな村上さんの話でした。

 ホロコーストを生き残った人は恥の感情を強く持っているとよく言われますが、確かにそれは感じました。ユダヤ人はあの時、ナチに抵抗できずに家族や仲間を収容所で殺され、目の前で石鹸にされてしまった。だからこれからは決して無抵抗でいてはいけない。再び石鹸になってはいけない、という気持ちがすごく強い。実際にそういう生き残りの人たちは一部で侮蔑的に「石鹸」と呼ばれているそうです。
 つまりイスラエルという国自体が、個人と同じレベルでトラウマを背負っているのです。過剰防衛はいけないと頭でわかっていても、少しでも攻撃されれば身体が勝手に強く反撃してしまうのかもしれない。正しい正しくないとは別に、我々はその心理システムを理解する必要があると思います。
 その国でスピーチをするにあたり、僕は父のことを話そうと思いました。第二次世界大戦前の日本には、天皇制と軍国主義がシステムとして存在していました。そのなかで多くの人が死んでいき、アジアのいろんな国で沢山の人を殺さざるを得ませんでした。それは日本人が背負っていかねばならないことだし、僕が日本人としてイスラエルで話をするには、そこから発信すべきだと思ったのです。

「NY同時多発テロ」の後、「イラク戦争」について、アメリカから来た留学生と話す機会がありました。
僕たち日本人は、口をそろえて、「あんな意味のない戦争はやめるべきだ」「あれは虐殺だ」と彼を責めたのです。
そのとき、彼は僕たちに向かって、こんなふうに答えました。
「アメリカの人たちは、今度は自分の街に飛行機が落ちてくるんじゃないかと、本気で怯えているんだ。自分や愛する人を守るために、危険を少しでも減らすためにイラクを攻撃しているんだよ。日本からみれば、『圧倒的な戦力差がある』ように見えるかもしれないけれど、それは「他人事」だからだよ」

ナチスから受けたトラウマをパレスチナに反映してしまうのは筋違いなのかもしれません。
でも、そのトラウマを理解しようとしなければ、その「過剰防衛」を是正するのは難しいのではないかと僕も思うのです。
あのスピーチのなかで、とても印象深く、また、やや唐突でもあった「村上さんのご尊父のエピソード」が練りこまれた理由については、単なる「感傷」ではなく、こういう意図があったのだ、という説明がきちんとされていたのには驚きました。

ちなみに、「あからさまにイスラエルを名指しで批判しなかった理由」については、こんなふうに仰っておられます。

スピーチではイスラエルが悪いとは明言していません。もちろん、イスラエルの政策に対する僕の批判的な見解が伝わるように心がけましたが、名指しで非難することは避けました。それについてなまぬるいと不満を持つ人もいるでしょう。しかし小説家には小説家の言葉があるし文脈があります。他の言葉や文脈を使ったら嘘になります。それに直截な表現で非難すれば、防御作用みたいなものが働いて、イスラエルの人たちはおそらく僕の言葉を頭からシャットアウトしてしまうでしょう。それだけは避けたいと思いました。この問題は簡単に白や黒で割り切れることではありません。

また、『壁と卵』について、村上さんは、こんな具体例を挙げておられます。

 人は原理主義に取り込まれると、魂の柔らかい部分を失っていきます。そして自分の力で感じ取り、考えることを放棄してしまう。原理原則の命じるままに動くようになる。そのほうが楽だからです。迷うこともないし、傷つくこともなくなる。彼らは魂をシステムに委譲してしまうわけです。
 オウム真理教事件がその典型です。僕は地下鉄サリン事件の被害者にインタビューして『アンダーグラウンド』を出した後、信者たちからも話を聞いて『約束された場所で』にまとめました。その後も東京地裁、高裁に通って裁判を傍聴しました。実行犯たちはもちろん加害者であるわけだけど、それにもかかわらず、僕は心の底では彼らもまた卵であり、原理主義の犠牲者だろうと感じます。僕が激しい怒りを感じるのは、個人よりはあくまでシステムに対してです。
 彼らは自我をそっくりグルに譲り渡し、壁のなかに囲い込まれ、現実世界から隔離されて暮らしていました。そしてある日、サリンの入った袋を与えられ、地下鉄の中で突き刺してこいと命じられたときには、もう既に壁の外に抜け出せなくなっていたのです。そして気がついたときには人を殺して捕えられ、法廷で死刑を宣告され、独房の壁に囲まれて、いつ処刑されるかわからない身になっている。そう考えると寒気がします。BC級戦犯と同じです。自分だけはそんな目には遭わないよと断言できる人がどれだけいるでしょう。システムと壁という言葉を使うとき、僕の頭にはその独房のイメージもよぎるのです。

正直、この記事を読んでいると、「村上春樹が、こんなに親切に、わかりやすく読者に語りかけてもいいのだろうか?」という気もしたんですよね。

インタビューのなかには、

 体制やシステムと、ひとりひとりの人間の心とのかかわりは、僕が作家として一貫して書きつづけているテーマです。

という「根源的なネタバレ」まで含まれています。
「こんなこと自分からしゃべる人だったっけ?」というような違和感もありました。

あのスピーチが「小説家・村上春樹のもの」である一方で、このインタビューは、「有名小説家・村上春樹の世間へのサービス」のようにも感じられます。あるいは、村上さんのエッセイ風なのかもしれません。

素晴らしいこと、いまの日本人に伝えたいことが書かれているのだけれど、これが「日本で唯一の売れている文芸誌」であり、「村上春樹芥川賞をあげなかった」『文藝春秋』に掲載されているというのは、なんかちょっと不思議なんです。
そういえば、以前、「ある編集者の生と死―安原顯氏のこと」と題して、「作家の原稿を私物化した」編集者を糾弾したのも、この『文藝春秋』でした。
僕はあのとき『村上春樹が怖い』という文章を書きました。
力のあるメディアを背景に、自分の言葉を伝えられる村上春樹という存在は、単なる「卵」ではないし、「壁」として機能しているという面も確実にあります。
そして、村上さんは、「『壁』としての村上春樹」をちゃんと自覚していて、あえて、エルサレムに行ったのではないかな、と僕は感じているのです。
ひとつの「卵」であるのと同時に「壁」であることからも逃れられなくなってしまった、大作家・村上春樹。もう、後戻りはできない。
僕はファンとして村上さんの世間的な成功を喜んでいるけれど、正直なところ、ほんの少しだけ寂しい。

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