琥珀色の戯言

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夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです ☆☆☆☆☆


夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

内容紹介
13年間の内外のインタビュー18本を収録。なぜ書くのか、創作の秘密、日本社会への視線、走ることについてなどを語りつくす。

巻末の「あとがき」「初出一覧」まで含めると、539ページもある、かなり分厚いインタビュー集です。
ちなみにこれは、「あとがき」によると、「小説家になってから三十年以上経つが、これは僕にとっての最初のインタビュー集になる」そうです。

 本書に収められたインタビューは、副題にもあるように、1997年から2009年にかけて行われたものである。作品でいえば、『アンダーグラウンド』刊行(1997年3月)直後から、『1Q84』のBOOK1、2を書き終えた(しかしまだ刊行されていない)時期(2009年3月)にあたっている。そのあいだに刊行された主な僕の本は


(1)若い読者のための短編小説案内(評論)1997年10月
(2)約束された場所で(ノンフィクション)1998年11月
(3)スプートニクの恋人(中編小説)1999年4月
(4)神の子どもたちはみな踊る(短編連作)2000年2月
(5)シドニー!(旅行記)2001年1月
(6)海辺のカフカ(長編小説)2002年9月
(7)アフターダーク(中編小説)2004年9月
(8)東京奇譚集(短編連作)2005年9月
(9)走ることについて語るときに僕の語ること(メモワール)2007年10月


 ということになる。そのあいだに翻訳書も十冊以上を出しているが、リストが長くなるので省く。

村上春樹さんには、(とくに日本のメディアに対しては)インタビューに応じたり、取材を受けたりすることを嫌う作家というイメージがあったのですが、このインタビュー集を読み進めていくと、海外向けのものも含めれば、村上さんほど長い期間にわたって、多くの自作について語ってきた作家というのはいないのではないかと思います。
大部分の日本の「流行作家」たちは、新刊が発売されたときのプロモーションか、ベストセラーを書いたときの興味本位のプライベートへの詮索や「モデルは誰ですか?」という問いくらいでしか、「自分の作品や執筆スタイル」について語ることがありません。
いや、そもそも「作品論に興味を持たれる作家」「インタビューそのものが雑誌を売るための商品になる作家」というのが、非常に少ないのです。

村上春樹」という人は、「日本のメディアへの露出を嫌う」人でありながら、結果的に、「いまの日本の作家のなかで、その作品と思考の歩みが経時的に記録されている稀有な作家」なのです。

 村上春樹ファンとしては、「なぜ、この期間のインタビューだけを収録することにしたのか?」ということに、やっぱり興味はあるんですよね。
 インタビュー集であれば、それこそデビュー初期からのものが収録されていてもおかしくないし、全部入れると分厚くなりすぎるから、というのであれば、この539ページというのは、すでに「長すぎ」でしょう。
 やはりこれは阪神淡路大震災地下鉄サリン事件、そして、『アンダーグラウンド』の執筆が村上さんにとって、大きな「ターニングポイント」であることを示しているのではないかと思います。
 まあ、個人的には、「もっと古いインタビューも読みたかったな」という気がしますけど。

 ちなみにこのインタビューたちの期間は『アンダーグラウンド以降』なのですが、インタビューのなかには、過去の作品の話もたくさん出てきます。
 そして、村上さんは、過去の自分の作品のことを、けっこう率直に語っておられるんですよね。

2003年のインタビュー「『海辺のカフカ』を中心に」より。

村上春樹『世界の終り(とハードボイルド・ワンダーランド)』は結末を、僕も、どうつけていいかよくわからないところがあった。で、結局は「僕」が残って「影」が帰っていくという形になりますね。いまそれに関しては僕は別に全然後悔していなくて、それはたぶんそれで良かったんだろうと思っています。「僕」は森に行って住むんだろうと。そのときの僕にとってはそれがいちばん正直な結論だったんです。
 でもいま書くと違うものになると思うし、カフカ君は影を抱えたまま帰っていきます。現在の僕が物語を書くとしたらそういう風にしか書けないと思う。それはやっぱり僕自身の世界観というか小説観みたいなものがたぶん変わってきたからだと思うんです。責任感というと簡単な話になっちゃうんだけど、物語に関する責任感というのかな。社会的な責任感、人間的な倫理的責任感というよりは、物語性に対する責任感というものがあるのかなという風には思う。今回の結末についてはまったく悩まなかったですね。
『世界の終り』に関しては、「僕」にはまだ帰ってくるだけの力がなかったというのかなあ、物語的にね。あのときは、たぶん「僕」は森の中に入っていきたかったんだと思う。影だけは帰しておいて。そこで影を失ったまま生きてもいいと思っていたんだと思う、個人的に。

 僕は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』大好きなのですが(村上さんの作品のなかでいちばんすごいのは『ねじまき鳥クロニクル』だと思うけど、いちばん好きなのは『世界の終り』)、あの作品の「結末」について、村上さんは

 結末の選択肢は四つありました。影が残って、主人公が去る。主人公が残って、影が去る。どちらも去る。どちらも残る。そのうちのどれかひとつを選ばなくてはなりません。最後の章に到達したとき、どうすればいいのか、僕はまったく途方に暮れてしまいました。

 結局、村上さんは「三通りの結末を書いたのですが、それがどのようにして現在ある結末に落ち着いたのか、よく思い出せません」と仰っておられます。
 本当に「難産」だったんだなあ。
 できれば、他の「結末」も読んでみたいものですが。
 あと、『海辺のカフカ』は、本来、『世界の終り』の続編として書きはじめられたものだったそうです。

あと、『アフターダーク』については、注釈で、こんなふうに書いておられます。

「批評的にはおおむね好評でした」という表現は、おそらくインタビュアーの礼儀正しさからでてきたものではないだろうか。講談社の担当編集者は「批評をみても、読者の反応をみても、これくらい評判の悪い村上さんの作品は初めてです。村上さんの場合、批評が悪くても、読者が支持するというケースが普通なんですが、この本についてはどちらもおそろしく悪かった。どうしてでしょうね?」と言っていた。どうしてかは僕にも正確にはわからないが、たぶんその時点で人々が僕に求めていたものと、その時点で僕は自分自身に求めていたものの方向性が大きく違っていたからではないかと思う。だから評判が悪くても、僕自身はほとんど気にならなかった。むしろどうせ評判が悪いなら、徹底的に悪いほうがいいような気さえした。

僕も『アフターダーク』を読んだときには、「村上さんは、どこへ行こうとしているんだろう?」と心配になったことを覚えています。
なにより、「物語」としての起伏に乏しいというか、要するに僕にとっては「面白くない小説」だったんですよ『アフターダーク』。
内心、「村上春樹、終わったな……」とすら思っていました。

でも、いま、「村上春樹作品の流れ」を考えてみると、この『アフターダーク』というのは「三人称への転換」をはじめとする、村上さんの作品の大きな「転換点」であり、その延長線上に『1Q84』があるのです。
多くの「巧い作家」たちは、自分のフォームを固めて、それを守ることによって安定した成績を残そうとするけれど、村上春樹という人は、あえて、一時的に成績が落ちることは覚悟の上で「フォーム改造」に着手し、結果的に「進化」してきました。
僕がよく読んでいる日本の作家のなかで、こういう「フォーム改造」を自分に課し続けている人は、村上さんと筒井康隆さんくらいじゃないかと思います。
そういう「作家人生を長いマラソンを走り続けるように組み立て、積み重ねていく」というストイックさが、村上さんの凄さなのでしょう。

「あとがき」に、こんな言葉があります。

 僕は読者のみなさんに、できることならわかっていただきたいのです。僕は決して発展しながら小説を書いてきたのではなく、あくまでも小説を書くことによって、かろうじて発展してきたのだということを。プランを作り、それに沿って前進してきたのではなく、手探りで進んでいきながら、「なるほど、そういう成り立ちだったのか」とあとになって認識し、納得してきたのだということを。

小説を書くことによって「発展」してきた作家・村上春樹
このインタビュー集では、その「発展」のプロセスが、かなり率直に語られています。
ありがちな「有名作家の思い出話」や「作家になるまで、なってからの苦労話」「人生訓」などはほとんど無い、「作品について」「小説を書くということについて」のインタビュー集ですので、村上春樹の小説を読んだことがないけど、どんな人だか知りたい、という人には不向きの本です。
でも、全作品を読んでいるようなファンにとっては、ちょっとした裏話も聴ける、まさに「珠玉の一冊」ではないかと思います。
ほんと、引用したいところが多すぎて困るくらいでした。
レイモンド・チャンドラーハワード・ホークスのエピソードとか、すごく面白かったのに!

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