琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

心と響き合う読書案内 ☆☆☆☆☆


心と響き合う読書案内 (PHP新書)

心と響き合う読書案内 (PHP新書)

内容紹介
2007年7月、未来に残したい文学遺産を紹介するラジオ番組、
Panasonic Melodious Library』がTOKYO FMでスタートしました。
パーソナリティをつとめるのは、『博士の愛した数式』『猫を抱いて象と泳ぐ』など
独特の美しい物語世界をつくりだしてきた、作家の小川洋子さん。
小川さんは「この番組は文学的な喜びの共有の場になってくれるのではないだろうか」と考え、
出演を決心されました。

本書は、このラジオ番組の一年分の放送をもとに再構成したものです。
人間が虫になることより、さらに不気味な不条理を描いている『変身』(カフカ)、
言葉ではできないことを言葉で書いた『風の歌を聴け』(村上春樹)、
生産性のない、無目的な旅が持つ自由を綴る『阿房列車』(内田百)、
「自分のために詠まれたのでは」と思える歌が必ずある『万葉集
など、計52編を紹介。若い人にとっては最高の文学入門、「本の虫」を自認する方にとっては、
新たな発見が必ずある作品論です。


『Panasonic Melodious Library』の番組サイトはこちら。


Panasonic Melodious Library』をご存知でしょうか?
毎週TOKYO FM系列で毎週日曜日10:00〜10:30にオンエアされているFMラジオ番組なのですが、僕はこの番組を聴くのを毎週(は聴けないんですけど)けっこう楽しみにしているのです。
パーソナリティの小川洋子さんが、アシスタントの藤丸由華さんとの対話形式で、古典的な名作から、比較的新しい作品まで、その読みどころをじっくりと語られているのですが、小川さんの話を聴いていると、ついつい紹介されている本を手にとってみたくなるのです。
この番組の良さというのは、紹介されている本のジャンルが多岐にわたっていて、「誰でも知っていて、入手しやすく、内容もそんなに難しくない本」が大多数であること、そして、語り手の小川さんの、けっして雄弁ではないのに、引き込まれてしまう誠実なお話だと思います。
小川さんは、番組中で、紹介している作品から3か所くらい引用しながら、その作品の凄さを語られるのですが、僕にとっては、「ああ、プロの作家というのは、こういう何気ない風景描写に『凄み』を見出すのだな」と考えさせられることが多いのです。

この本のなかでは、番組がはじまってから、ちょうど1年分、52編の作品について語られているのですが、最初が金子みすずさんの『わたしと小鳥とすずと』で、梶井基次郎の『檸檬』があり、カフカの『変身』、エンデの『モモ』、漱石の『こころ』、『アンネの日記』のようなよく知られた作品も紹介されているのですが、『夜と霧』のようなノンフィクションや『100万回生きたねこ』のようなマンガまで採り上げられています。そういえば、この本には収録されていませんが、先日は、西原理恵子さんの『いけちゃんとぼく』も紹介されていたんですよね。
この番組を聴いていると、小川洋子さんは、本物の「本好き」であり、「言葉」というものを愛して、こだわりぬいておられるのだなあ、ということが伝わってくるんですよ。
よくある「書評」みたいに、「作者や作品の背景への蘊蓄を語る評論」ではなくて、あくまでも、「ひとりの読書家・小川洋子が、その本を読んで実際に感じたことを伝える番組」であることが、こんなに地味なのに、2年以上も続いている理由なのではないかなあ。
これだけ続いているっていうことは、僕以外にも聴いておられる方は、たくさんいますよね、きっと。

あと、個人的には、いまや日本を代表する作家である小川さんが、日本の現代作家の小説をどんなふうに読んできたのか、というのが興味深かったです。
「作家になれるような人は、それまでに、どんな本との接し方、感じかたをしてきたのか?」

村上春樹さんの『風の歌を聴け』の回より。

 レコード店に勤めている女の子の苦しみ、「鼠」の心の痛み、そして、大学で知り合った女子学生の自殺、そのようなさまざまな出来事に対して、自分は何もできなかった。みんな未解決のまま放り出されている。ジュクジュクした傷は時間によって癒されることなく、そのまま残っているのです。
 私が村上文学で最も新しいと思うのは、その傷を言葉で書きあらわすことはできないのだ、ということを書いている点です。
 それまでずっと私は、心の傷との葛藤を描くことこそが文学だと思っていました。その傷とどう向き合うか、どう克服してゆくかという問題と格闘することが文学だと。ところが村上さんは、そんなことは言葉では書けないのだという大前提に立って書いている。そこがいままで読んだ小説とまったく違うところでした。
 しかし登場人物たちが苦しんでいないのかというとそうではありません。彼らもちゃんと葛藤しています。その葛藤している場面を書かない代わりに、たとえば車で公園に突っ込んで猿の檻を壊す、ただひたすらビールを飲む、お父さんの靴を磨く、あるいはレコードを買う等々、そういう表面には苦しみが出てこないような場面を延々と書いていく。しかしその底では決して癒されない苦しみが、言葉にできないものが沈殿しているのです。

こういう読み方ができるのは、小川さんが実際に「書いている人」だからなのだろうなあ、と思います。

もちろん、「作家・小川洋子」としてだけではなく、「ひとりの人間として」率直な感想を語られている作品もあります。
佐野洋子さんの『100万回生きたねこ』の回より。

 私も、子どもが生まれる前は、自分が死ぬことが一番怖い問題でした。子どもが小さい間も、「この子を残して死ねない。自分が死んだら、誰がこの子におっぱいをやるんだ」という気持でした。でも、だんだん子どもが大きくなってくると、「もう自分がいなくても大丈夫だな」「自分はいつ死んでもいいな」というふうに、死ぬのが怖くなくなるのです。
 むしろ子どもが死ぬのだったら、自分が死ぬほうがいい。自分のほうが死にたい、というように、死に対する恐怖の気持は、年齢とともにどんどん変わってきました。
 そうした過程で、「100万回生きたねこ』を読んでいくと、本の持つ深みにだんだんと触れてゆける気がします。

僕も最近、息子をお風呂に入れているときに真っ直ぐ顔を見つめていると、「ああ、こいつがこの世界に残るんだったら、自分はもう死んでもいいかな」と、感じることがあるんです。
もちろん、まだ死にたいとは思わない(というか、むしろ昔より積極的に死にたい、という気持ちはなくなってきた)けれど、「お前と息子のどっちかが死ぬことになった」と言われたら、そんなに悩むことなく、「じゃ、僕が死にます」って言えるんじゃないかと思うのです。いままで、誰に対しても、そんな気持ちになったことはなかったのに。

最後のほうはちょっと脱線してしまいましたが、小川洋子さんのファンだけではなく、本好きにとっては「タイトルは知っているけれど、なんとなく読む機会がなかった名作を読んでみるためのきっかけ」に、本をあまり読んだことがない人にとっては、「自分に合った、面白い本を探すための」になる良質のブックガイドとして、オススメの一冊ですよ。


ちなみに、この番組をきっかけにして僕が読んだ本とその感想を以下にご紹介しておきますね。

『家守綺譚』 ☆☆☆☆☆ (2008/7/1)
『老人と海』 ☆☆☆☆ (2008/12/18)

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