琥珀色の戯言

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「親であること」のせつなさ


 僕は仕事で参加できなかったのだけれど、お盆ということで、13、14の両日、妻は実家の人々と一緒に、一泊で温泉旅行に出かけていた。
 13日の夜、今頃は温泉にでもつかってのんびりしているんだろうなあ、いいなあ、と思いながら仕事をしている最中に妻から電話。「無事着いたよ、とか、温泉気持ちいいよ、って話かな、いいご身分だよなあ」と思いつつ通話ボタンを押すと、なんだか声が暗い。
 話を聞いてみると、「いま、息子と2人で旅館の部屋にいる」らしい。
 今回の旅行は、嫁の両親+義兄夫婦とその娘さん、嫁と僕の9ヶ月の息子の7人なのだが、嫁と息子以外は、いま、滞在先の街のお祭りに出かけているそうなのだ。
 「息子も連れて、一緒に行けばよかったのに」と言うと、「うーん、この子、環境が変わると寝てくれないから……昨日も3時くらいからずっと泣いてたし……いませっかく寝てるから、起こして連れて行くと、また寝なくなっちゃうんじゃないかと心配だから……夜ずっと泣いてたら、みんなに迷惑かけるかもしれないし」
 両親と義兄夫婦は、いつも僕たちに優しくしてくれるし、両親には息子の面倒を申し訳ないくらいみてもらっている。しかしながら、今回の旅行は義父のお祝いということもあって、「両親に息子を預けて出かける」わけにもいかない。
 もちろん、義兄夫婦に任せて、「親」である自分が出かけるわけにもいかない。
 結局、「親が見守る」しかないのだ。

 「しょうがない、しょうがないんだけどさ、みんながお祭りに出かけているのに、真っ暗な部屋で息を潜めてひとりでいるのが、ものすごく淋しくなっちゃって……まだお風呂にも入ってないんだよね、お風呂が開いている時間に帰ってきてくれればいいけど、それも頼めるようなことじゃないし、みんなには旅行を楽しんでもらいたいし……」
 
 みんなが浴衣を着て、お祭りでちょっと高揚しているなか、息子とふたりきりで待っているのは、すごく淋しかったのだろう。賑やかな場所にいるからこそ、感じる「淋しさ」もある。
 僕は、自分だけが仕事で……と拗ねていたのが申し訳なくなってしまったし、できればそこに行って、1時間だけでも妻を出かけさせてあげたかった。
 でも、現実問題として、それは不可能だった。

 もちろん、誰が悪いわけでもない。もし両親や義兄夫婦が「わたしたちが面倒をみるから、出かけてきたら」と言ってくれたとしても(おそらく、そういう申し出もあったはずだと思う)、そこで「じゃあよろしく」と出かけられる親というのはそんなにいないだろう。急な仕事や知り合いの急病とかならともかく、「遊び」に来ているのだし。

 まだ、親一年生。
 「親であること」って、本当に大変なことなんだな、と思い知らされることばかりだ。
 そして、僕の両親も、こういう「親であることのせつなさ」に耐えながら、僕を育ててくれたのだな、とあらためて感謝せずにはいられなくなった。
 この子も大きくなったら、「生んでくれと言った覚えはない!」とか僕に言うんだろうなあ、かつて、僕が両親にそう言ったように。
 そうやって、人の世が続いていくというのは、なんだかとてもせつない。
 でも、自分が親になってみると、それもなんだかけっこう頼もしいことであるような気もするのだ、不思議だね。

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