- 作者: 夏川草介
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2009/08/27
- メディア: 単行本
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内容紹介
栗原一止は信州の小さな病院で働く、悲しむことが苦手な内科医である。ここでは常に医師が不足している。
専門ではない分野の診療をするのも日常茶飯事なら、睡眠を三日取れないことも日常茶飯事だ。
そんな栗原に、母校の医局から誘いの声がかかる。大学に戻れば、休みも増え愛する妻と過ごす時間が増える。最先端の医療を学ぶこともできる。
だが、大学病院や大病院に「手遅れ」と見放された患者たちと、精一杯向き合う医者がいてもいいのではないか。
悩む一止の背中を押してくれたのは、高齢の癌患者・安曇さんからの思いがけない贈り物だった。第十回小学館文庫小説賞受賞作。内容(「BOOK」データベースより)
神の手を持つ医者はいなくても、この病院では奇蹟が起きる。夏目漱石を敬愛し、ハルさんを愛する青年は、信州にある「24時間、365日対応」の病院で、今日も勤務中。読んだ人すべての心を温かくする、新たなベストセラー。第十回小学館文庫小説賞受賞。
「2010年ひとり本屋大賞」6冊目。
僕はこういう「理想の医者モノ」がすごく苦手で、できれば避けたい作品だったのですが、「本屋大賞」にノミネートされているとなれば、読まないわけにはいきません。
まあ、200ページあまりの比較的短い作品だったので助かりました。
この本を読み始めてすぐ、僕は疑問になりました。
「これを書いた人、夏川草介って人、だったよ、ね……」
表紙のイラストの影響も多少はあるのでしょうが、この『神様のカルテ』を読んでいると、ある作家を思い出さずにはいられません。
補足をせねばなるまい。
私こと栗原一止は、本庄病院に勤務する五年目の内科医である。
信濃大学医学部を卒業したあと、単身、松本平の中ほどに位置するこの病院に我が身を投じた。以来、五年間働き続けている。本庄病院は病床数四百床で、同じ松本平にある信濃大学医学部付属病院の六百床には及ばぬまでも、地方都市の一般病院としては相当に大きい。一般診療から救急医療まで、幅広い役割を果たす地域の基幹病院である。
ちなみに、私の話しぶりがいささか古風であることはご容赦願いたい。これは敬愛する漱石先生の影響である。学童期から『草枕』を愛読し、全文ことごとく暗誦するほど反読していると、こういうことになる。瑣末な問題のはずだが、世の人々はこの一事をもって私のことを変人と笑うのだから嘆かわしい。このような場合は、彼らの不寛容をこそ笑い飛ばせばよいのだ。
モ、モリミー!!(森見登見彦さんの愛称)
今年の「本屋大賞」には珍しくノミネートされていないと思ったら、別ペンネームで書いた『神様のカルテ』が入っていたのか……
(本当は夏川さんは森見さんとは別人です。念のため)
文体、世界観があまりに似ていて、「これは『アリ』なのか?」と驚きましたよ僕は。
いやまあ、森見さんの本を読んだことがない、という読者(もちろん、日本中では、そういう人のほうが「多数派」なのでしょう)にとっては、「新鮮」な作風なのかもしれないけど、これを「全国の書店員が選んだ」のか……
内容に関しては、けっして「奇跡的な回復」が起こったりはしないし、医学的な記述についても、驚くほど正確です。
僕もこんなふうに、当直で一睡もできなかったり、夜中に何度も呼ばれたりしても平然と仕事を続けられるような医者になりたいな、とは思うけれど。
そして、この小説で書かれていることが、「僕にも本当にやる気があれば、できることなんじゃないか……」と感じられるだけに、コンプレックスを刺激されたりもするんですよね。
外来の診察室で、私は大学病院からの返書を握り締めて、うまい言葉のひとつも見つけられず、ただ黙って手元に目を落としていた。
先日、偶然人間ドックで胆のう癌が見つかったばかりであった。病変自体はけして大きくはない。だが場所が悪く、肝門部という非常に手術がやっかいな部位にあった。
それでも手術が可能かもしれないと望みをかけて大学病院への紹介状を書いたのが、その1週間前のことだ。そしてあの日、私の外来に戻ってきた安曇さんは、黙って大学からの返書を私に差し出したのである。
「やっぱり手術は無理だそうです」
すまなそうに安曇さんは微笑んだ。小柄な体がより一層小さくなったように見えた。
返書には「手術不能と判断。本人にもすべて説明いたしました」と、じつに簡単な文章が記してあった。
すべて説明? どんなふうに?
「先生には、いろいろ面倒かけて申し訳ありません」
安曇さんは深く深く頭をさげた。そしてそのまま頭を上げもせず、
「あと半年の命だと言われました。治療法はないから、好きなことをしてすごしてくださいと」
語尾がかすかに震えていたのを私は聞き逃さなかった。
安曇さんは今年七十二歳、早くに夫を亡くし、子供も親戚もいないひとり暮らし。たったひとりの孤独な患者に、いきなり「好きなことをしてすごせ」と言ったのか。
どこのアホウな医者だ!
そういう大切な話をする時にこそ、時間をかけて関係を築かねばならぬのだ。初診の外来でいきなり、よりによって「半年で死ぬから今のうちに好きなことをしろ」とは……
こういうのを読んで、「そうだそうだ、大学病院の医者は、なんてひどい連中なんだ!」と憤っている「善意の読者」の表情が見えるような気がするだけに、僕はすごく憂鬱になるのです。
ちょっと待ってくれ、ということは、こういう患者さんが紹介されて来院するたびに、大学病院の医者は、「時間をかけて関係を築く」ために、茶飲み話から始めて、わかっている結論を話すために、何度も外来に通ってもらわなければならないの?
外来には、「診察まだですか!」とクレームをつける患者さんが列をなしていても?
病状がわかっていても「かわいそうだから」と説明するのをためらっているうちに病状が急変し、遠くの親戚が「なんで早く教えてくれなかったんですか!」と怒鳴り込んでくることだってあるのです。
いまの医療には、とにかく「余裕」が無いのです。時間的な余裕も、精神的な余裕も。
こういう「スーパーマン医者」目線で「美談」を語られると、なんだかとても悲しくなってしまいます。
最後に作者の夏川さんのインタビューを御紹介しておきます。
これを読んでみると、夏川さんはこの作品を「現場にいる人間だからこそ描ける、医療ファンタジー」として書いていたのだろうな、と思いますし、インタビューで仰っておられることは、きわめてまっとうで現実的なんですよ。
でも、これだけ「医療の力」への信頼を書けるのは、それがファンタジーであっても、僕にとっては羨ましいかぎりです。