琥珀色の戯言

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インビクタス/負けざる者たち ☆☆☆☆


『インビクタス/負けざる者たち』公式サイト

あらすじ: 1994年、マンデラモーガン・フリーマン)はついに南アフリカ共和国初の黒人大統領となる。いまだにアパルトヘイトによる人種差別や経済格差の残る国をまとめるため、彼はラグビーチームの再建を図る。1995年に自国で開催するラグビー・ワールド・カップに向け、マンデラチームキャプテンのピナール(マット・デイモン)は、一致団結して前進する。

2010年3本目の映画。
土曜日の17時半の回(通常料金)での鑑賞。観客は20人くらいでした。

ミリオンダラー・ベイビー』『硫黄島からの手紙』『グラン・トリノ』『チェンジリング』……僕にとってのクリント・イーストウッドは、「世界のわからないこと、答えが出せないことを、『わからないものはわからないまま』描いている」数少ない映画監督です。それはもちろん、「ハリウッド的な『ヒット映画の方程式』に従わなくてもするイーストウッド監督の特権性」にも支えられているのでしょうけど。

今回の『インビクタス』は、ネルソン・マンデラさんをモーガン・フリーマンが演じるということで、けっこう楽しみにしていたのですが、なかなか観に行く機会がなく、なんとか上映期間に間に合った、という感じです。

モーガン・フリーマンネルソン・マンデラ役は、まさにイメージ通りだったのですが、あまりに素晴らしい人格者に描かれていたので、「本当にこんな立派な人なのだろうか?」と、やや疑問にもなってしまいました。
その一方で、マンデラさんが抱えている「家族の問題」にも触れずにいられないのがイーストウッド監督の真骨頂、なのでしょう。
そして、「スポーツを国民・人種統合の象徴として利用する」というのは、ある意味、「すごく政治的な判断」であり、ある意味、「石原都知事的」でもあるんですけどね。
それが、映画の中で描かれていると、マンデラ大統領の「開催国のトップにもかかわらず、公式の場でも過剰な自国びいき」も、なんだかすごく素晴らしいことのように思えるから不思議です。
第三者として観ていたら、「もうちょっと公正に振るまえよ、形だけでも……」とか思いそうなんですが。

この映画の中での、ネルソン・マンデラの言葉には、とても印象的なものが多かったです。

if I cannot change when circumstances demand it, how can I expect others to?
(変わるべき時に私自身が変われないなら、人々に変化を求められません)

「赦す」というのは美しい言葉だけれど、長年のアパルトヘイトによって、黒人たちに植えつけられた「怒り」や「苦しみ」「悲しみ」は、そう簡単に帳消しにできるようなものではないはずです。
そして、いままで「支配していた側」の白人たちも、その「復讐」を、怖れずにはいられなかった。

そんななか、ネルソン・マンデラは、自ら率先して、「赦す」こと、そして「受け入れること」を実践しようとしたのです。
「他人が変わらないこと」を嘆く前に、まずは自分が変わること。
「平等」を求めたために、26年間もロベン島に収監されていたネルソン・マンデラという人が、率先して、融和の姿勢を見せたからこそ、南アフリカ共和国は、「ひとつの国」になったのです。

ただ、僕はこの作品を観ながら、ちょっとせつなくもなりました。
ネルソン・マンデラのような素晴らしい人物が国家のトップになっても、南アフリカ共和国は、いまだ「楽園」には程遠い場所であるということに。

以前ご紹介したことがある『日本は世界で第何位?』(2007年発行)という新書には、ヨハネスブルクはこんなふうに紹介されています。

(岡崎さんが選んだ世界の「危険な都市」ワースト1位のヨハネスブルグについて)

さて、このランキングでまっさきに取り上げたいのは、1位のヨハネスブルグだ。 

ぼくも訪れたことのあるこの街は、アパルトヘイト(人種差別・隔離政策)全盛だった時代を過ぎて、よくなったと思いきや、実は治安面では逆に悪くなっている。

いままで閉じ込められていた感のある、黒人の貧困層が町に溢れ出しているのだ。

当然、日中でも歩けない場所がある。集団強盗に遭ったって、レイプされたって、だれも助けてはくれない。見て見ぬふりだ。車がエンストしようものなら、その隙に襲われ、夜間、赤信号で信号待ちをしていても襲撃されかねないからと、赤信号を無視して突っ切るのが常識になっている。

強盗、殺人、かっぱらい、カージャックに、麻薬がらみ、シンジケートがらみ、武装強盗もあれば、首絞め、レイプとありとあらゆる犯罪の巣窟になっている。

ヨハネスブルグは、このランキングの中でも突出しており、安全を確保するには、とにかくドアからドアへの移動を迅速にすることである。車から建物へ、建物から車へと速やかに行動することが肝要だ。

ぼくがツアーで添乗したときにも、こんなことがあった。ヨハネスブルグではなく、まだ比較的安全と言われるプレトリアで、男性の客が、ちょっと煙草をなんて、ホテルから出て、すぐにバスには乗らず、一服しようとしたのだ。

すると、それを見たガイドも含めて関係者全員が、猛烈な勢いでこう注意した。

「死にたいんですか!」と。

イーストウッド作品としては、珍しくハッピー・エンドっぽかったのだけれど、いまの南アフリカ共和国の治安の悪さを考えると、どんな素晴らしい指導者でも、完璧な社会をつくれるわけではないのだな、ということも痛感させられます。
ロクでもない指導者が国をダメにするのは簡単だけれど、どんな素晴らしい指導者でも、ひとりの力で「理想的な国」をつくることなどできないのです。
もちろん、イーストウッドは、そういう「南アフリカ共和国の現状」を知っていながら、あえて、「この瞬間」を切り取ってみせたのだと思うのですが……

それにしても、イーストウッド作品というのは、『ミリオンダラー・ベイビー』や『グラン・トリノ』のようなフィクションのほうが、より「現実らしく」、『チェンジリング』や『インビクタス』のような「史実に基づく物語」のほうが、より「フィクションっぽく」見えるような気がするなあ。
インビクタス』は、良い映画ではあるのですが、僕はいままでのイーストウッド作品と比べると、「いい話すぎて、ちょっと物足りない」ように感じました。
良い映画なんですけどね、本当に。

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