先日、飲み会の席に、ナマコが出てきた。
スライスしたナマコにポン酢。
ナマコの食べ方としては、かなりポピュラーなものだと思う。
僕は自ら好んでナマコを注文することはない。
味や食感が嫌い、というわけじゃないんだけど。
ナマコを食べると、あの夜のことを思い出す。ただそれだけだ。
あれは、僕が大学生のときだった。
当時、母は重い病で入院しており、僕は病室にいた父親とふたりで、病院の近くの寿司屋に夕食を摂りに出ることになった。
正直、父親とふたりで食事をするというのは、気が重くて仕方がなかった。
もともと世間話というのがお互いにあまり得意ではなかったし、「彼女できたか」とか「酒の飲み方を教えてやる」とか、そんな話題しかない父と、テレビゲームと本にしか興味のない僕(まあ、これは今でも似たようなものか)に、まともな会話なんて、成り立つわけがない。
夜は「飲みに行く」ときどき「家族全員を追い立てて、食事に連れまわす」のどちらしかない人だったし。
とはいえ、その日は「じゃあひとりでまっすぐ帰る」とは、言えない雰囲気で、僕たちはふたりで、寿司屋のカウンターに並んだのだ。
つきだしに出てきたのが、ナマコを輪切りにして、ポン酢をかけたものだった。
僕はそれまで、ナマコを食べたことがなかったので、そのヌメヌメとした雰囲気に、ただならぬ気分になっていた。
これ、食べられるのか?
でも、父の前で弱みを見せるのもなんとなく嫌だったので、コリ、コリッと、そのナマコを食べ始めた。
まあ、食感にさえ慣れれば、ほとんどはポン酢の味だ。
父親はナマコに箸をつけようとせず、ようやく自分の分をクリアした僕に言った。
「お前、お父さんの分も食べてくれないか、年をとると、こういう固いものを食べるのがつらくてな」
内心、「せっかく自分のを食べ終えたのに……」とは思ったのだが、「ああ、いいよ」と答え、またナマコを食べた。
二人分も一度に食べるようなものじゃないよな、と思いつつ。
父親は、しばらく黙っていたが、しばらくして、小さな嗚咽が聞こえてきた。
「お母さん、もう、ダメみたいだ……」
僕は「ダメって、なんでもっと早く病気を見つけてあげなかったんだよ!」という苛立ちとか「急にそんなこと言われても、こういうとき、息子としては、どうすれば良いんだろう?」という困惑とか、「でも、厳しい状況っていうのは、もうわかってた……」という諦念とか、いろんな気持ちが入り混じっていたけれど、口に出しては何も言えなかった。
ワンマンで酒に飲まれることが多い父親で、当時の僕としては、ずっと不満な存在だったのだけれど、父が突然僕に渡してきた、他の家族には隠していた哀しみのバトンは、手にしてみると、あまりにも重かった。
逃げられるものなら、そこから逃げたかった。なかったこと、にしたかった。
そういえば、「固いものを食べるのがつらい」なんて弱音は、はじめて聞いたような。
その夜、僕は上にぎりを食べたあと、「まだ食べられるだろ?」と勧める父の言うがままに、並のにぎりを、押し黙ったまま、あと1人前食べた。
あのとき、僕にできたのは、ただ、「食べること」だけだった。
いま、思い出してみると、うちは兄弟が多かったのと、父親は仕事と付き合いばかりで家をあけてばかりだったのとで、物心ついてから、父親とふたりきりで食事をしたのは、あの一度だけかもしれない。
少なくとも、記憶に残っているのは、あの一回だけだ。
いまでも、ナマコが出てくると、あの夜のことを思い出してしまうのだ。
そして、ナマコを一口噛んで、「ああ、僕はまだ、たぶん大丈夫だな」と確認せずにはいられない。
ナマコを噛みしめると「大人」の味がする。