- 作者:スズキ ナオ
- 発売日: 2019/11/01
- メディア: 単行本
Kindle版もあります。
出版社からのコメント
《帯コメント》林雄司(「デイリーポータルZ」編集長)
検索してわかった気になっていたけど、この世はこんなにいろいろだってことを教えてくれる岸政彦(社会学者)
ただ座って飲んでるだけで、知らない人から話しかけられるひと、というのがいる。
スズキさんがそんなひとだ。ちょうどよい温度の風呂のようなひと。
その場に溶け込むくせに、意外に人の領域に入り込んでくる。
正直、羨ましい。
とにかく、これめっちゃいいので、みんなに読んでほしい。
これが生活史だ。
『デイリーポータルZ』などで書かれているスズキナオさん初の単著。
ネット上でスズキさんの文章を読む機会がときどきあって、「なんかいいなあ」と思っていたので手に取ってみました。
読みながら、僕は何度も「いいなあ、これ」って心の中で呟いていたのです。
自分でもこれまで気づかなかった「やってみたかったこと」を、ごく自然に実行してみせてくれている感じがするんですよ。
家でラーメンを作って食べることがよくある。袋入りタイプのラーメンを茹でた上に冷蔵庫の中に余っていた野菜を適当に炒めて乗っけて食べたりする。
食べるのは自分なので、炒めた野菜がラーメン全体の味の和を乱していようとおかまいなし、見た目にも特にこだわらず、雑に盛り付ける。そういうラーメンを食べながら「こんな適当なラーメンはラーメン屋では食べられないよな」と思う。家でしかあり得ないラーメン。どんなに行列を作っても食べられないラーメンとも言える。専門店のこだわり抜いたラーメンももちろんおいしくて最高だが、家でサッと作るラーメンもそれはそれで価値のある何かなんじゃないだろうか。
例えば、私がある時に家で作って食べたラーメンはこういうものだ。近所のセブンーイレブンで買った「金の麺 塩」という袋入りのインスタントラーメンをベースにする。冷蔵庫を開けたらキャベツ、にんじん、ショウガ、ハムが見つかった。そして台所近くの棚にコーンの缶詰があり、三重県の伊勢に出かけた時に買ってきたあおさ海苔の使いかけのやつもあった。
ちなみにこれほど多くの食材が用意できているのは稀なほうで、冷蔵庫の中や棚の中に見付かるものが乏しければ、当然、ラーメンも具なしに近付いていく。
著者は、こういう「自分で、あるいは自分の家族が食べるためにつくる、家にあるものでサッと作ったラーメン」を「自分の家系ラーメン」と定義しているのです。
そして、他の人がつくる「家系ラーメン」を食べてみたい!という衝動に突き動かされます。
実際に、ネットで「自分のラーメン」を公開している人に取材にも行っているのです。
まあでも、他人の「自分の家系ラーメン」って、そうそう食べられるものではないですよね。子どもの頃、遊びに行った家でラーメンを出してくれて、すごく新鮮だった記憶が僕にもあるのですが、大人になってみると、訪問先で自家製ラーメンを出された記憶はありません。
どの家庭にも、「うちのラーメン」があるし、同じバーモントカレーを使っていても、カレーの味もけっこう違う。
しかしながら、そういうラーメンのレシピが受け継がれることはないし、他所の家のものを食べる機会はない。
そして、「自家製の定番メニュー」って、なんだか気楽に食べられて、すごく美味しかったような気がするのです。記憶で美化してしまうのかもしれないけれど。
一番「食べさせて!」とお願いしやすい家系ラーメンってなんだ? と考えた末、「自分の家だ! 実家だ!」と思い当たった。久々に実家に帰り、「お腹すいてるんだけど、ラーメン作ってくれないかな」と母にお願いすれば、自然な形で家系ラーメンが食べられるじゃないか。
そう気付いてすぐ、私は帰省した。家に着く少し前に母にLINEで「なんでもいいからラーメンが食べたいんだけど」とリクエストしたところ「はいよ」とのこと。
実家に着いてすぐのタイミングで運ばれてきたのは日清食品の「出前一丁 しょうゆ味」をベースにした一杯。
具材は2種類のネギ、もやし、鶏団子、しめじ、ゆで卵とボリュームたっぷりだ。シャキッとした歯ごたえが印象的な豆もやしは、父がなぜかふいに買って帰ってきた高級もやしで、「余らせていたからちょうどよかった」という。鶏団子を食べるとちょっと変わった味がして、「これは?」と聞いたところ「冷凍の鶏団子なんだけどかなり古いから、味が変だったら捨てて」とのこと。味が変わってしまったのか、もともとこういうものなのかわからないぐらいのレベルだったので、食べることにした。
口に入れてみて食べるか捨てるかを選択する具材が入っているところなんか、家系ラーメンの醍醐味だろう。「とにかくたっぷり食べていけ」という母の思いが伝わってくるありがたいラーメンだった。
このあと、友だちの家を訪れて「実家系ラーメン」を食べさせてもらう話もあるのです。
このエッセイ集、ものすごく高級だったり、有名だったりするのは無いのですが(そういうものをむしろ避けているのでしょう)、読んでいると、すごくホッとするんですよ。ああ、人は普通に生きているっていうだけでも、けっこういろんな人に愛されているものなんだな、という気分になれます。
今、このコロナ禍の時期に読むとなおさら、沁みる。
お昼に開いているスナックに行く話とか、銭湯に広告を出してみたときのこととか、本当に営業しているの?と言いたくなるのだけれど、自分で入ってみようとは思えない店のレポートとか、「日常生活で、見えてはいるけれど、深く追究しないようにしていること」が、たくさん紹介されているのです。
それも、「チェーン店なんてつまらない、こういう歴史のある店を大事にすべきだ!」という肩に力が入った感じではなく、「やっぱり気になるし、ネタになるから入ってみました」という自然体で書かれています。
東京都渋谷区笹塚の「福寿」というラーメン店の店主の話。
──「福寿」ってテレビにもよく出たり、有名なお店ですよね。前に来た時は演劇関係のポスターとかが壁にたくさん貼ってあったのを憶えています。
「そうそう。いろんな人が来るから面白いね。ある時さ、黒いサングラスで黒いトレンチコートで襟立てた人が入ってきて、怖い人が来ちゃったなと思ってチラッと見たら、やけに渡辺謙に似てるなと思って、『もしかして渡辺謙さんですか』って聞いたら、『今さらだなぁ。何回も来てるじゃない!』って(笑)」
僕はこういう話が、けっこう好きなんですよ。
「世界のケン・ワタナベ」は、大ファンである阪神の応援に甲子園球場にしょっちゅう足を運んでいるそうですし、けっこう気さくな人みたい。
あと、僕にとっていちばん印象的だったのは、「店選びを自分の父親に完全に任せるハシゴ酒」という文章でした。
僕は、自分の父親の「酒に関する、いろんなこと」を許せなかったし、結局、酒で命を縮めたような人生をおくった人でもありました。
僕が子どもの頃から、「お前が酒を飲める年齢になったら、一緒に飲むのが夢だ」と言うのを聞いては、「誰が父親なんかと飲むか!ケッ!」と反発していたのです。
今となっては、一回くらい付き合ってあげれば良かったのではないか、と、思うこともあるのですが……
このあと、さらにもう一軒、父の行きつけのバー「新田」へ。静枝ママの軽妙なトークが愉快な隠れ家的な雰囲気の和風バーで、私がひとりで行けるような店ではないのだが、過去に何度か連れてきてもらったことがある。いつも静枝ママが「ちゃんと食べてるの? 大丈夫?」と私のことを気にかけてくれて、ありがたいやら恥かしいやら。
この辺りで酔った私の記憶はあやふやとなり、気付けばいつの間にか宿泊先で朝を迎えていた。翌日、母から「お父さんがいつになく酔って帰ってきて、その辺のものをなぎ倒していたよ。今、心配して揺すってみたら息はしてる」というメールが来ていて笑った。
結局一つひとつの店を堪能するというよりも、父が普段お世話になっている店や人々に挨拶をして回ったような一夜であった。しかし、それもまた不思議と楽しいものであった。
僕はこれを読んでいて、涙が止まらなくなってしまったのです。
泣くようなところじゃないのかもしれないけれど。
幸せって、けっこう、日常の中や身近なところにあるのかもしれない。
いま、この時期に、ぜひ読んでみていただきたいエッセイ集です。