- 出版社/メーカー: 東宝
- 発売日: 2011/03/18
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あらすじ: コミックオタクでスーパーヒーローにあこがれる高校生デイヴ(アーロン・ジョンソン)は、ある日、インターネットで買ったスーツとマスクで、ヒーローとして街で活動を始める。何の能力も持たない彼はあっさり犯罪者にやられるも、捨て身の活動がネット上に動画で流され、“キック・アス”の名で一躍有名になってしまう。
2011年6本目の劇場鑑賞作品。
ネットでは「面白い!」と評判だったこの映画なのですが、僕が住んでいる街では上映されておらず、ようやく短期間だけ公開されることになったのです。
帰りに寄ったTSUTAYAで、「3月4日から、TSUTAYA限定でレンタル開始!」なんていう店内放送を聴いて、ちょっと脱力してしまいましたけど。
もうすでに1日1回だけの上映になっていて、『ナルニア国』や『英国王のスピーチ』などの期待作の公開もあり、「何人くらいお客さんいるんだろう?」と心配だったのですが、20人くらいは入っていました。
この『キック・アス』、前半は「モテないコミックマニアの青年」が主人公。
この青年デイブ(アーロン・ジョンソン)のダメっぷりが、「お前は僕か!」と言いたくなる情けなさなんですよね本当に。
ところが、デイブには人並み以上のヒーローへのあこがれと向こう見ずな正義感があり、ボロボロになりながらの「奉仕活動」が、ネットで動画配信されることによって、
”キック・アス”は一躍「時の人」となります。
もちろん、正体がデイブであることは知られていないのですが。
しかし、憧れの人、ケイティの頼みを聞いて、ある組織と関わってしまったことをきっかけに、キック・アスは、ヒット・ガール+ビッグ・ダディ対組織の壮絶な戦いに巻き込まれてしまい……
詳しくストーリーを書いてしまうと面白くなくなってしまうのですが、とにかくこのクロエ・グレース・モレッツさんのヒット・ガールがすごい!
かわいいのに強い、残酷、容赦なし!いやほんと、ヒット・ガール登場以降は、キック・アスの存在感は薄れる一方。
ビッグ・ダディ役のニコラス・ケイジさんは大のアメコミマニアとして知られていますが、本当に楽しそうにノリノリで演じています。
残酷なシーンが多く、アメリカでも物議を醸したそうで、僕も何度か目をそむけてしまったのですが、いちばん印象に残ったのは、ヒーローが敵につかまって拷問されるシーンでの「観客」の反応でした。
むごい拷問映像がネットで配信され、それをパソコンで観ている人たちは、悲鳴をあげ、目をそむけます。
耐えられなくなったある女性は、近くにいた男性に、思わず抱きついてしまう。
抱きつかれた男性は、もともと憎からず思っていた相手なので、この「幸運」に大喜び。
画面に背を向けてガッツポーズ……
ネットやマスメディアのおかげで、僕たちは自分の手の届かないところの情報を、その場にいながら観ることができる。
でも、映像が目の前にあっても、心と心の距離が近づいているとは限らない。
目の前にあるのがどんな残酷な場面でも、「女の子とお近づきになるための道具」だと割り切って、「利用」できるのもまた「人間」なのです。
このネット社会で、いつ誰が当事者になるかわからないのに、あくまでも「観客目線」でしか、ものを見ることができない人は、けっして少なくない。
その一方で、「キック・アス」の「無謀な善意」を世界に広げようとしたのもまた、ネットの力でした。
ひとりひとりの人間が、しっかりと「弱い人間への暴力」に対して抵抗する気持ちを持てれば、たぶん、「スーパーヒーロー」なんて必要ない。
しかしながら、人はそんなに強くないから、「スーパーヒーロー」を求めてしまう。
この映画のなかに、
「力が無い者には、責任が無い」のか?
という問いかけが出てきます。
これは『スパイダーマン』(だったと記憶しています)の「力が有る者には、責任が有る」という言葉の裏返しなのですが、本当は「力が無い」からこそ、「責任を持つ」必要があるのでしょう。
あるいは、「責任を持とうとすることこそが、力を生む」のかもしれません。
ヒット・ガールの華麗で可憐なアクションを堪能するのも良し、キック・アスに共感するも良し、「ヒーローが使い捨てられる時代」について考えてみるも良し。
残酷なシーンが多いので、観る人を選ぶかもしれませんが、僕はこの映画、大好きでした。