- 作者: 安藤忠雄
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2012/03/10
- メディア: 単行本
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内容(「BOOK」データベースより)
学歴も社会的基盤もない。仕事は自分でつくらなければならない。独学の建築家が大阪から、世界に闘いを挑んだ。気力、集中力、目的意識、強い思いが、自らに課したハードルを越えさせる。縮む日本人を叱咤する、異色の半生記。
うーん、すごいやこの人。
「有名な建築家」安藤忠雄さんの名前は知っていたのですが、具体的な仕事の内容とか、どんな人なのかということは、ほとんど知らずにこの本を読みました。
書店でページをめくっていたら、真ん中くらいのカラーページで紹介されている、安藤さんの「作品」が、すごく心に引っかかってしまって。
正直、僕は「ものすごく頑張っている人の話」が苦手です。
僕自身は、そこまで頑張ることができなかった人間だから。
ネットでも、「やればできるなんて大ウソ」と呟いている人が、たくさんいます。
そういう「ナマの声」で、安心できる部分は、確実にあるんですよね。
中学校二年生のとき、自宅の長屋を改造し、二階建てに増築した。若い大工が一心不乱に働く姿を見て、建築という仕事に興味を持った。大阪の典型的な下町に育ち、ものづくりには小さいうちから関心があった。しかし、家庭の経済的理由と何より学力の問題から大学進学をあきらめざるを得なかった私は、独学で建築を学んだ。
しかし、独学といっても勉強の仕方が分からない。京大や阪大の建築家に進んだ友人がいたので相談し、教科書を買ってもらった。それをひたすら読んだ。彼らが4年間かけて学ぶ量を1年で読もうと無我夢中で取り組んだ。朝起きてから寝るまで、ひたすら本に向かった。1年間は一歩も外に出ないくらいの覚悟で本を読むと決めて、やり遂げた。当時の私は意地と気力に満ちあふれていた。
つらかったのは、ともに学び、意見を交わす友人がいなかったことだ。自分がどこに立っているのか、正しい方向に進んでいるのかさえ分からない。不安や孤独と闘う日々が続いた。そうした暗中模索が、責任ある個人として社会を生き抜くトレーニングとなったのだろう。
そんな私が今日まで生きてこられたのは、学歴もなく社会的な実績もない若者に、ただ「人間として面白いから」という理由で仕事を任せてくれた古き良き「勇気ある大阪人」がいたからだ。あの人たちのおかげで、私は仕事をしながら建築を学ぶことができた。
そんな僕でも、この安藤忠雄さんの生きざまを読んでいると、「ああ、人間って、ここまでのことが『やればできる』のだな」と圧倒されてしまうのです。
もちろん、同じことなんてできないけれども、それでも、こういう人に接することによって、「勇気」をもらえる場合もあるんですよね。
安藤さんの場合は、小手先の「ライフハック」的なものではなくて、その「ワイルドな魂」が伝わってきます。
この本のなかでは、安藤さんの「仕事」に対する姿勢が、とても印象的でした。
チャレンジした奈良の近鉄学園前のコンペに入賞すると、勢いに任せ、無謀にも浪人を集めて、大規模なモロッコのタンジール国際コンペに応募もした。
そんななかでも、空き地を見つけると、勝手に空想の建築をデザインした。所有者が分かればこういうものを建てないかと提案に行った。むろん「頼みもしないことを」と追い返される。
私は、当時(事務所を開いた1969年)から仕事は自分でつくらなければならないと考えていた。事務所に座っていても、仕事が向こうからやってくるわけはない。実績のない私に、依頼者など来るはずもないのだ。学歴も、社会的基盤もないとは、こういうことかと痛感させられた。
事務所には当時から今も変わらないルールがある。それは製図道具や筆記具などはすべてスタッフ持ちとすること。大工がかんなやのこぎりなどの道具をすべて自前で用意することに由来する。当時は製図板の上にT定規を置いて鉛筆で製図した。今は一人ひとりが使うパソコンもスタッフの自分持ちだ。そうすることで、ものを大事にしてほしいと考えている。
どんなプロジェクトも、私とスタッフの一対一で進める。入所間もないスタッフにも住宅をひとつ担当させる。住宅には建築に関するすべての要素が含まれている。リビングなどのパブリックスペース、寝室などのプライベート、台所やトイレなどの水回りと生活に掛かるすべての要素がある。
仕事を進めていく過程で、スケジュール、コスト、品質管理、法規への対応、現場への指示などあらゆることをこなさねばならない。ひとつの住宅を最初から最後まで経験すれば、様々なことが学べる。
そりゃあもう、いきなり「あなたの土地に、こんな建物をつくらせてください」なんて言われても、相手は困惑するばかりだったと思うのですが、それにしても、あの世界的な建築家の安藤忠雄さんが、ここまでのことをやっていたんだなあ、と。
実際は、「ここまでのことをやったから、世界的な建築家になることができた」のでしょうけど。
無名の建築家に、いきなり大きな仕事がやってくるわけがないのだけれど、これだけ「自分の仕事を、自分でつくろうとした人」は、安藤さんくらいなのではないでしょうか。
学歴があったり、大手建築事務所に所属していたりすれば、それなりに仕事というのは回ってきて、「そんなものか」と思ってしまうのかもしれないし。
道具へのこだわりや、スタッフの育て方にも、厳しさのなかに、「自立心」を大事にしているのがうかがえて、すごく考えさせられました。
また、この本のなかには、安藤さんと交友がある、たくさんの人たちの話も出てきます。
U2のボノが、「光の教会」で歌ったエピソードなどは、「僕もその場にいたかったなあ」なんて思わずにはいられませんでした。
佐治さんは、私のことは何も聞かず、ただ「人間として面白そうだから」という理由であちこち連れて行ってくださった。お会いしてから十数年たったころ、「お前、建築家らしいな」という。「知らなかったのですか」と問い返すと、「いちいち学歴や職業など聞いておれん。一生懸命生きとるかどうか、それだけや」と言われた。一度だけ、佐治さんと開高健さんがご一緒されているときにお会いしたことがある。開高さんの「若者は全力で走れ」という一言は、今も深く心に残っている。
その後、佐治さんから七千坪の美術館の設計を頼みたいというお話があった。当時の私は、最大でも三百坪程度の建物しかつくったことがなかった。依頼に来られる前に、「お前のつくったものを一つ見せろ」と言われるので住吉の長屋にご案内したら、「狭いな、寒いな、不便やな」とだけ言ってさっさとお帰りになった。
これでこの話は終わったのかと思っていたら、翌日、連絡があり、私の事務所に行きたいとおっしゃる。そして、「やはり、お前に頼む」と、正式に依頼された。散々文句を言っていたのにといぶかしんだが、「あの住宅には勇気がある。全力でつくっているのがいい」とのことだった。
佐治さんもそうだが、京セラの稲森和夫さん、アサヒビールの樋口廣太郎さんなど関西の経営者は皆、私に仕事を依頼される前に必ずご自身で事務所を訊ねて来られた。わざわざ足を運んでもらうことに恐縮したが、何もねぎらいに来られるわけではない。
建築は規模が大きくなると、設計から完成まで5年以上の歳月を要する。仕事をともにしようとする相手が、この先5年間もつかどうかを、自分の目で確かめに来ているのだ。物事の決定は他人に委ねない。必ず自分で判断する。私が出会った優れた経営者たちに共通した特徴だった。
これには「なるほど」と頷かずにはいられませんでした。
「物事の決定は他人に委ねない。必ず自分で判断する」
ここに出てくる経営者たちは、みんな忙しい人たちですし、いくら大きな建築とはいえ、安藤さんの事務所に直接足を運ぶ必要はない、と考えてもおかしくないはずです。安藤さんが無名であれば、呼びつけて説明させればいいし、有名になってからであれば、あんなに名前が売れている人だから、任せておけばいい」のだから。
でも、彼らはそうはしないんですね。
こういう「とにかく自分の目で確かめる」というのは、すごく大切なことなのでしょうし、そこで「めんどくさいな」と思うかどうか、なんだろうなあ。
センターカラーの安藤さんのこれまでの作品の写真も素晴らしいですし、安藤さんのファンじゃなくても、「仕事に向かっていく気力がわかなくなっている人」にも、読んでみていただきたい一冊です。
私の仕事をみて、「好きなことをやってお金をもらえるからいいですね」などと言う人がいる。他人のカネで自分のつくりたいものをつくる、うらやましい仕事にみえるらしい。しかし実際は、常に「現実」と渡り合う、一に調整、二にも三にも調整という地味で過酷な仕事である。
ああ、仕事って、安藤さんにとっても、そういうものなんだなあ。
それでもやっぱり、安藤さんは、すごく仕事が楽しそうなんですよね。