Kindle版もあります。
日本はどこで間違えたのか?
掲げた理想はすべて誤りだったのか?
「大東亜」は日本をどう見ていたか?戦後80年、今こそ問い直す「私たちにとっての戦争」とは。
『「戦前」の正体』の著者が、右でも左でもない「われわれの物語」を編みなおす
現代人のための新・日本近現代史!「日本の過ちばかりを糾弾することでも、日本の過去を無条件に称賛することでもない。過ちを素直に認めながら、そこに潜んでいた“正しさの可能性”を掘り起こす、言い換えれば「小さく否定し、大きく肯定する」語りを試みることである。それこそが、われわれの未来につながる歴史叙述ではないだろうか。
本書は、そのようにしてあの戦争を現在につながる大きな流れへと接続し、「われわれ」の物語を創出するための試みである。」 ――「はじめに」より
今年、2025年は、太平洋戦争の終戦から80年ということで、さまざまなメディアで、あの戦争(=太平洋戦争)のことが採りあげられています。
そうか、80年か……
僕が子どもだったころ、1970年代の終わりから1980年代にかけては、学校での「平和教育」が盛んで、広島県に住んでいた小学生だった僕は、毎年、8月6日の登校日に体育館に集められ、原爆の被爆体験者の話とドキュメンタリー(ときにはアニメ映画)をみせられていました。
なんで夏休み中にわざわざ学校に来て、こんなこわい話を聞かなければならないのか、と思いつつも、被爆者の体験談をきいているうちに「核兵器で死にたくないし、人類が自分たちを何度も滅亡させられる兵器を持ってにらみ合っているのはおかしいよなあ、こんな世界をなんとかしなきゃなあ」と思うようになりました。
結局のところ、なんか流されるまま、この年齢まで生き延びてきたわけで、あのときの決心は、僕を活動家にはしなかったのですけど。
僕はあのとき、「もう30年以上も昔の話じゃないか……」と思っていたのですが、1970年代には、まだ戦争体験を明瞭に語れる人たちが大勢いたのです。当たり前のことですが、2025年、戦後80年経つと、「語り部」もかなり少なくなってきました。
戦争に関するテレビ番組などで証言している人たちも、みんなかなりの高齢となっており、あと10年、長くても20年後には「戦時中の実体験」を語れる人はいなくなってしまいます。
「歴史」を語るのは、本当に難しい。
当事者がまだ生きていれば、なおさらなのかもしれません。
あの戦争は何だったのか。この問いはあまりに大きく、かんたんに答えが出せない。しかし、その起点を考えることは理解の手がかりとなる。つまり、あの戦争はいつはじまったのか、という問いである。
一般的には、1941(昭和16)年、12月8日の真珠湾攻撃を起点とする見方が広く受け入れられている。米英と戦端を開いたことで、戦争がはじまったとする考えかただ。
僕も「あの戦争(=太平洋戦争)」は、いつはじまったのか?」とクイズ番組的に問われれば、1941年12月8日と答えます。
もちろん、それは「形式的な区切り」としては妥当だ、と著者は述べています。
その一方で、その日に、いきなり戦争がはじまったわけではない、ということも。
太平洋戦争の開戦に至るまでには、1937年からはじまった日中戦争があり、日本はすでに戦争状態ではあったのです。
そしてこの捉え方は、現在の感覚とも通じるところがある。今日よくさきの大戦の戦没者は約310万人(うち軍人・軍属は約230万人)だったといわれる。これは政府が発表している数字だが、1941年12月からではなく1937年7月から起算されている。つまりわれわれは、知らず知らずのうちに日中戦争と大東亜戦争を一体的に認識しているのである。
どこが本当の「あの戦争の起点」だったのか、というのは、諸説入り乱れているし、それぞれの人に、それぞれの「起点」があるのです。
1931年に起こった『満州事変』が起点だと主張する人もいれば、元をたどれば、1853年の『ペリー来航』で、日本が帝国主義の欧米諸国に対して「開国」させられたのがきっかけだ、という人もいるそうです。
「あの戦争」は間違っていた、と多くの人は言っているけれど、あの帝国主義諸国が覇権を競っていた時代に、日本だけが蚊帳の外で、戦わない国であることが可能だったのか?
ペリー来航、明治維新からの強引なまでの「富国強兵」で、軍事力・政治的な影響力をつけていかなければ、日本が植民地にされただけではないのか?
そうして膨張していくことを選ぶしかなかったなかで、アメリカからの石油の輸入を停止され、このままではじり貧になっていくのが明らかな状況で、「戦争を避け、これまで得てきたものを黙って全部放棄する」ことが可能だったのか?
歴史のif(もしも、〇〇だったら……)というのは、僕もよく想像してしまいます。
日本は「間違ってしまった」のか、「そうするしかなかった」のか……
当時の国力からすれば、「勝てない戦争」であることは、軍の首脳部もわかっていたのです。
でも、「このまま追い込まれていく前に、少しでも早く抵抗する」のと「座して死を待つ」のふたつにひとつしか選択肢がなければ、どちらを選ぶのか。
本来であれば、他の選択肢もあったのかもしれないけれど、それを選ぶことは許されない「社会の雰囲気」もあったし、日本には「独裁的な権力で、すべてを決められる人」がいなかった。
その「戦争」によって、多くの命が戦地や都市で犠牲になりました。
せめて、もう少し早く降伏していれば……とは思うのです。
日本の犠牲者の多くは「終戦近くの絶望的抗戦期」が占めているので。
でも、マンハッタン計画で多くの資金と人的資源を投入し、ソ連の脅威を感じていたアメリカが「原爆を使わずに戦争を終わらせる」ことを望んでいたのかどうか。
そして、著者は「あの戦争」について語り、総括しようとする側も、自分が生きている時代の価値観や自分自身のこれまでの成育歴から自由にはなれないことも繰り返し述べています。
この戦争(日中戦争)があれほどまでに全面化した背景には、日中双方の相互不信や意思疎通の行き違いに加え、中国の近代化を進めていた蒋介石が、自軍の戦力に手応えを得て、華中で積極的な攻勢に出たことも大きな要因となっていた。
近年では、このような中国側の主体性に注目が集まっている。これは新たな史料の発見による面もあるが、なにより現代中国の経済的・軍事的躍進が、「あの中国がそんなに受け身だったわけがあるまい」と再評価をうながす土壌を生んだともいえるだろう。
僕が子どもの頃、まだ経済力がなく、日本から援助を受けて、貧しい暮らしをしていた「中国」をみていた人たちは、中国を「より受け身の被害者」だとみなしていたのかもしれません。
現代の「日本に圧力をかける経済大国・中国」をみている人たちは、「あの戦争」のときの中国の戦力を過大評価しやすい。
人は、歴史を「客観的に」みることができるのか? と、この本は問いかけてくるのです。
歴史とは、無数の要因が絡み合って展開するものであり、「ここを変えれば、ああはならなかった」と簡単に語れるほど単純ではない。
あまりに俗な例ではあるが、「数十年前に戻って、家財を売り払い、借金をしてでもGAFAMの株やビットコインに投資しておけば、いまごろ大金持ちだった」と語るようなものだ。
われわれば、過去を変えることはできない。しかしながら、未来を変えようと努力することはできる。あの戦争へといたる道をふり返り、さまざまな可能性について考えることは、そのための思考を深めるうえで、いまなお重要なのである。
ウクライナ戦争で、西欧(NATO)の指導者たちが、ロシアの侵略に対して、「ロシアに妥協してでも、とりあえず停戦」というスタンスではなく、濃淡はあるものの、アメリカと対立してもウクライナを支援しつづけているのは、第二次世界大戦前のヒトラーに対する、妥協での平和を求める「宥和政策」が、結果的にナチス・ドイツによる世界大戦を引き起こしたことが教訓になっているのではないか、と僕は感じています。
歴史は繰り返す。でも、悲しい歴史から学ぶこともある。
もし原爆が広島、長崎で使われなかったら、もっと多くの犠牲者を出す形で、他の機会に使われていたかもしれません。
それが、広島・長崎で犠牲になった人たちへの救いにはならないのだとしても。
著者は「あの戦争」について、80年経った現在でも、日本という国のなかで、見解がまとまらず、国立の資料館や記録の展示がなされていないと述べています。
そして、他国では、どんなふうに「戦争体験」を語り継ぎ、記憶・記録しているのか、を戦地や各国の戦争資料館を訪れて紹介しているのです。
僕はもっと、「自分の国はこんなひどい目にあった」とか「こんな英雄が活躍した」というようなプロパガンダに満ちた施設ばかりではないか、と想像していたのですが、戦争に勝った側も、負けた側も、侵略した側も、された側も、思ったよりも抑制的な記録・展示をしているのだな、と感じました。
もちろん、現在の国どうしの関係性を考えて、という面もあるのでしょうけど。
国立アメリカ歴史博物館では、原爆投下について、「わたしの観点」として四人の人物による投下直後の証言や意見が展示されているそうです。
広島逓信病院の日本人医師ハナオカ・カズオは、「焼け焦げていないものは、何ひとつ見当たらなかった」と原爆投下直後の広島の惨状を証言している。21歳の米軍少尉ポール・ファッセルは、原爆投下を聞いて「東京近郊の浜辺で機関銃を撃ちながら砲撃と迫撃砲を浴びることを免れた」と喜びの涙を流したという。トルーマン大統領は、「戦争の苦悩を早く終わらせ、何万、何十万という若きアメリカ人の命を救うため」と原爆を投下したみずからの決断を正当化している。
そして、四人めに登場するのが、昭和天皇だった。
そこには、玉音放送の一節が引用されていた。
僕は原爆投下は、非戦闘員を無差別に殺戮した許されない戦争犯罪だと考えています。
原爆を使わなくても、日本はそんなに長く抗戦できる状態ではありませんでした。
でも、アメリカの21歳の少尉の言葉には「そう思うのがあたりまえだよなあ」と納得せざるをえませんでした。
国としてどんなに有利な状況であっても、戦場にいる兵士には、戦死、戦病死のリスクはあります。敵国本土への上陸作戦となれば、なおさらでしょう。
もし自分自身が一兵士、あるいは、兵士の親や子ども、友人であったとしたら、「国としての正しさ」よりも、「国には敵になんでもやっていいから、無事に帰りたい、帰ってきてほしい、というのが本音ではなかろうか。
「とにかく戦争なんてやるもんじゃない」と経験をもとに語っていた世代が退場していくなかで、「あの戦争」は、どう語り継がれていくのだろうか?
少なくとも、いま、「あの戦争」を美化する人に、「あの戦場」にいた人はいない。
たぶん、「次の戦争」が無くなることはないでしょう。でも、なるべく遠い未来に、犠牲者が少ないものであってほしい。










