- 作者: 宮部みゆき
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内容(「BOOK」データベースより)
クリスマスの朝、雪の校庭に急降下した14歳。彼の死を悼む声は小さかった。けど、噂は強力で、気がつけばあたしたちみんな、それに加担していた。そして、その悪意ある風評は、目撃者を名乗る、匿名の告発状を産み落とした―。新たな殺人計画。マスコミの過剰な報道。狂おしい嫉妬による異常行動。そして犠牲者が一人、また一人。学校は汚された。ことごとく無力な大人たちにはもう、任せておけない。学校に仕掛けられた史上最強のミステリー。
昨年から読み続け、ようやく読了。
全三巻、2000ページをこえる大作です。
宮部さんの作品は長めのものが多いのですが、この分量には、やはり圧倒されてしまいます。
「読んでみるとあっという間でした!」
と言いたいところですが、実感としては、最終巻の第三部は「あっという間」に読んでしまったのですが、そこまで辿り着くのはやっぱりけっこう大変だったな、と。
この作品では、検事役の藤野涼子さんをはじめとして、「学級裁判」に絡んでくる中学3年生たち、主要人物のキャラクターが、かなり詳細に描かれていきます。
この「人物のディテールへのこだわり」は、なんだか海外ミステリみたいだなあ、と思いながら読みました。
それはひとつの「読みどころ」でもあり、「中学生が、学級裁判という疑似法廷で同級生を裁く」という異様な設定に説得力を持たせるためには、どうしても必要なプロセスだったのだろう、とわかるのですが、長いのは間違いありません。
これだけの長大な物語を読むのにかかる時間や手間、コストを考えると(読書っていうのは、コストとか言い出すとつまらなくなりがちなものではありますが)、「すごい作品だし、僕は読み終えられて満足なんだけど、他の人に『読んだほうがいいよ』と薦めるのには躊躇う」という感じです。
「学級裁判」という設定をきいて、僕が最初に思い浮かべたのは、『ダンガンロンパ』というゲームでした。
『ICO』のノベライズや『タクティクス・オウガ』へのハマリっぷりなど、ゲームマニアとしても知られている宮部さんですから、『ダンガンロンパ』のことは御存知だったはず。
このゲーム、ある理由で学校内に閉じ込められた生徒たちが、お互いに「殺し合い」をして、その犯人を学級裁判で裁いていく、というものなのです。
『ダンガンロンパ』は、ひたすら絶望を描いていくゲームのようにみえるのですが、不思議なことに、どうしようもない絶望が目の前に立ちはだかってくると、「希望」っていうのが、かえって浮き彫りにされてくるのです。
そういう点でも、この『ソロモンの偽証』は、『ダンガンロンパ』に似ているような気がします。
いまの時代、「徹底的な絶望」を描くことでしか、「希望」を実感させることができないのかな、などと考えてみたりもして。
「学級裁判」なんて、茶番じゃないか?
僕もそう思っていました。
この裁判の材料は関係者の「証言」だけで、証拠品も科学捜査もありません。
「証人は、嘘をついているのではないか?」あるいは「証人が嘘をついていても、わからないのではないか?」その疑念が消え去ることはないのです。
だからこそ、この物語で、宮部さんが執拗に書き連ねてきた「登場人物たちのディテールの描写」が生きてきます。
登場人物だけでなく、読者も「とりあえず、この人物を信じて良いのではないか」と自分を納得させるために。
(もちろん、「犯人」が、『悪の教典』の主人公のような、大嘘つきのサイコパスって可能性も否定はできないんですけど)
この本を読んでいて、僕はひとりの女の子のことを思い出していました。
彼女はルックスも性格も良くて、ものすごくモテるというか、たくさんの男に憧れられていたのです。
あるとき、少しお酒が入った席で、僕は彼女に聴いてみました。
「僕はモテないんだよなあ。あなたのようにモテる立場に、一度でいいからなんてみたいねえ」って。
彼女は、しばし考え込んで、こう言いました。
「うーん、そんなにモテているわけじゃないんですけど、なんだかすごく、そういうのがめんどくさいというか、怖くなることがあるんです。誰かに『好き』って言ってもらえることは、すごく嬉しいんです。でも、そう言ってくれるみんなと付き合うわけにはいかないし、断るのもけっこう気を遣うんですよね……『悪意』っていうのはもちろん嫌なんですけど、『好意』っていうのは、かえって扱いにくいところがあって……なんだかもう、放っておいてほしい、と思うこともあるんです」
僕には一生縁がないタイプの悩みだと思いますが、世の中には、こういうことで困っている人もいるのです。
僕に実感はできないけれど、「あなたが好きです」って多くの人に言い寄られるのも、けっこう面倒なんだろうな、というのは、想像できなくもない。
「人間関係」というのは、すごく難しいというか、いたたまれない面があります。
どんなに立派な人格者でも、二人から求愛されて、どちらか一人を選べば、残りの一人を傷つけないわけにはいかない。
そこに「悪意」がなくても、人は、誰かを傷つけてしまうことがある。
この『ソロモンの偽証』で描かれているのは、「優等生たちの素晴らしい行動」ではなくて、「誰かを傷つけながら生きていくことの痛みと、それでも生きていこうとする、あるいは、生きていかなければならない人間(とくに若者たち)への静かな声援」だと僕は思いました。
「こんな優秀で、芝居がかった中学三年生はいない」
僕もそう感じました。
でも、学校という存在への違和感とか、プライドとコンプレックスが入り混じった同級生との関係とか、他人をもてあそぶことの快楽と嫌悪とか、「僕もあの頃、感じていたこと」がたくさん詰まった作品なんですよね、これは。
オビで高らかにうたわれているような「意外な結末」ではなかったように思います。
ただ、これが「意外」ではないような世界で生きているというのは、けっこう怖いことですよね。
自分がよりよく生きようとしているだけなのに、誰かを傷つけてしまうとしたら、それは「罪」なのだろうか?
人は、そこまでして誰かを助けなければならないのだろうか?
いまの中学生、高校生にも、ぜひ読んでみていただきたい作品です。
「生きることの理不尽」は、今も昔も変わらないはずなので。