- 作者: 内田樹,岡田斗司夫 FREEex
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2013/02/23
- メディア: 新書
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内容(「BOOK」データベースより)
本書で示されるのは、新しい「交易」と「共同体」のありかた。貨幣も、情報も、評価も、動いているところに集まってくる。ならば、私たちはどのような動きをする集団を形成すればいいのか。そのために個々ができる第一歩とは。キーワードは「情けは人のためならず」。若者と年長者の生態を読み解き、ポストグローバル社会での経済活動の本義にせまる変幻自在の対談。
内田樹さんと岡田斗司夫さん。
二人とも、現代を代表する「思想家」であり「行動者」でもあります。
とはいえ、「アカデミック方面」と「オタク方面」のふたつの頂であるこのふたりに「接点」があるのだろうか? 話がかみ合うのだろうか?などと思いつつ読み始めました。
(実際は、岡田さんも東大で講義をされており、「アカデミック方面のひと」でもあるんですけどね。ただ、岡田さんの場合は、「アカデミックのほうから、岡田さんにすり寄ってきた、という感じもします)
でもまあ、実際にこの対談を読んでみると、このふたり、内田さんが1950年生まれ、岡田さんは1958年と比較的世代も近いし、お互いに他者とのコミュニケーションに慣れているということもあって、うまく「接点」を見出しているし、ふたりの考えには共通点も多いということがわかります。
岡田斗司夫:いまって、本質的な議論の判定がなくて、世論の流れというか、単なる流行りだけがあるんですよね。つまり「いまこれが注目されている」「キーワードでこれが上位に来てる」というだけの情報。かつては有識者がいて、「この人なら信じられる」っていうのがあって、その人たちの話を聞いたうえで個人個人がそれらを見比べて、意思決定をするというのが近代自我の主体を立ち上げるということだった。いまは「流行りだから間違いない」「ランキングが上位だから良いに違いない」という発想。
例えば、なでしこジャパン。いま流行ってるなでしこジャパンで感動するのは間違ってないよね、と寄りかかっているだけ。あるいは、いまこの人やこの会社がバッシングされているから、自分としては特になんとも思わないけど、みんなとおなじようにバッシングしておけば間違いないよね、って。ぼく、「イワシ化」って読んでるんですけども、社会がイワシ化しているんです。
内田樹:「イワシ化」ね。それ、うまい言い方ですね。
岡田:イワシって小さな魚だから、普段は巨大な群れになって泳いでいる。どこにも中心がいないんだけれども、うまくまとまっている。自由に泳いでいる。これは見事に、いまの日本人なのではないかと。そのときの流行りとか、その場限りの流れだけがあって、価値の中心みたいなものがなくなっているんじゃないかと思いますね。
イワシ的にシステム全体がなんとかうまく動いているおかげでまとまっているように見えますが、突発的になにか起きたら容易にバラバラになる。そんな時代に大手メディアが少しずつプレゼンスを失っている。イワシの群れをコントロールすることができない。
この話に関連して、僕がこの本のなかでいちばん印象に残ったのは、岡田さんのこの言葉でした。
岡田:いま、若い男子が一番嫌なことっていうのは、誰かにいいように利用されるっていうことなんですよ。利用されたり、いいようにされたり。だから草食系になっちゃうのはなぜかというと、欲望というものを持ってしまったり、それが他人にばれたら、巧みに利用されてしまうと思っているから。欲望を逆手にとって操られるのが怖いから、欲望に背を向けようとしているんですね。欲望というのを意識したくないし、できれば持ちたくない。そうすると女の子のほうはイライラしてくる。欲望あるでしょ、と。
女の子は身体的に月に1回自分の身体があることを意識させられるけど、男って身体がないって考え方ができるじゃないですか。子どものころから痛くても痛くないふりをすると褒められる。悲しくても涙をこらえないと怒られる。身体性を無視するように男の子はしつけられてますから。
「女の子は」以下については、僕には正直わかりません、実感できない。
でも、「誰かにいいように利用されるのがいちばん嫌」「そのくらいだったら、自分が当事者になるより、傍観者になっていたほうがいい」という気持ちはわかります。
それは「最近の傾向」ではないかもしれませんけど。
いま40歳オーバーの僕ですが、中高生の時代から「自分が好きなもの」を他人に語って「そんなつまんないものが好きなの?」と否定されるのが怖い、という感情はあったんですよね。
ただ、現在はネットで、より広範囲に「いいように利用されるのは嫌だ」という人たちからの声が聞こえてきます。
何かを褒めると、すぐ「ああ、ステマですね」って。
確かに、「何かを褒めるのは、みんなステマ」ということにしてしまえば、騙されて傷つくことも無いのかもしれないけど……
そうやって、全てに対して「傍観者」であろうというのは、「賢い」ようにみえて、実はいちばん「人生を無駄遣い」しているのではないか、という気もするんですよね……
この本を読んでいると、頷かされるところが多い一方で、結局のところ「評価と贈与の世界」で生きていくのは、おふたりのような秀でた人間じゃないと、なかなか難しいような気もします。
「最終的には『いいひと』が評価されるような社会になるのではないか」というのは、良いことのようで、実際はなかなか大変です。
むしろ、「いいひと」であるのが難しいからこそ、「お金という道具」ができた、という面はあるんですよね。
以前読んだこの本(『僕はお金を使わずに生きることにした』)は、まさにその「評価と贈与で生きることを実践した人の話」なのですが、そういう生き方というのは、「お金」の代わりに「体力」とか「手間」とか「気くばり」がかなり必要になるのです。
ここまで「貨幣経済」が発展してきたことには、やはりそれなりの理由があって、「そのほうがラクな人が多い」のも事実だと思うのです。
内田:何年か前に、ある雑誌がネットカフェ難民を特集したときにね、取材を受けたネット難民の若者が「ぼくとおなじように、ここで1ヵ月以上寝泊まりしている人がほかに30人います」って言っているのを読んでびっくりしちゃった。だって、30人もいるんだよ。だったら、なんであと3人に声かけて、「ねえ、一緒に部屋借りない?」って言えないんだろう。ネットカフェの利用料ってそのときで1日1500円なんだ。畳一枚くらいのスペースに月4万5000円払ってるわけですよ。ルームシェアする仲間をあと3人見つけて4人で暮らせば18万円でしょ。都内でも、10万円もあれば、風呂付きの部屋が借りられるよ。
岡田:そこに二段ベッドを2つ入れて4人で寝たほうが絶対いいですよね。
内田:そうすれば住民票も手に入るし、病気になっても「薬買って来て」とか頼めるし、「面接あるからスーツ貸して」とかありなわけでしょ。はるかに安定した生活環境が、より安価に手に入るにもかかわらず、その選択肢そのものを思いつかない。これは「自立・自己決定イデオロギー」で洗脳された結果としかぼくには思えない。
他人に迷惑をかけたくない、他人に迷惑をかけられたくない、だからネットカフェでひとりで暮らす」というのが彼らにとっては「正解」なんだよね。どれほど生活上の不自由さに耐えても、「自己決定しているオレ」は正しい生き方をしていると思っているんだよ。これって、もろに1990年代以降の「自己決定・自己責任」イデオロギーの帰結だよ。発想そのものを切り替えないと。
この話、読んだときには「そのとおりだなあ」って感じたのですが、あらためて考えてみると、僕の場合も「ルームシェアするより、ネットカフェの個室のほうが気楽」だと思います。
そういうふうに生きてきた人間にとっては、「じゃあ、みんなでルームシェアしよう」という発想そのものが出てこないのです。
その一方で、最近の日本では「たしかにその通りで、みんなでシェアしたほうが合理的だし、思ったほど気詰まりじゃないな」という「揺り戻し」みたいなものもきているような気がします。
そういう意味では、「自分に向いているほうを選べる」というか、「本来はルームシェアのほうに向いている人は、それを選べるようになった」のは、良いことではないかな、と。
この話などは、まさにその一例で、「自己決定している」ように思い込んでいるだけで、実際は困難なほうに追いやられているだけ、というケースは、けっして少なくないし、「自由だと自分が思い込んでいるものをちょっと変えてみれば、かえっていろんな束縛から解放される」という可能性はありますよね。
内田:インターネットっていまは人の悪口を言うことに特化したメディアになっていますよね。このツールを活用して、適切な評価を作り出すということにユーザーはあまり熱心じゃないですよね。でも、ぼくはインターネットが「ほめる」メディアにだんだん軸足を移していったら、その社会的影響は想像以上に大きいと思う。
岡田:いまは過渡期なので悪口が目立っているんですけど、これからはもっと透明性が高まってくるのでだいぶ違ってくるんじゃないかと思いますけどね。ぼく自身が壊したいと思っているのは、人間には本音があるという幻想なんです。これを打破したい。本音なんていらねえじゃんと。
内田:そのとおり! それ、ぼくも大賛成。
この「ネットに対するスタンス」には、僕も共感します。
というか、ネットで匿名で悪口を言うのも聴くのも、疲れてきたというのがあって。
時間が有限であって、「つまらないコンテンツ」が星の数ほどあるのだから、それを否定するのに時間を費やすのは勿体ないような気がしてきているのです。
もちろん、悪口言いたいとき、聞きたいときもあるんだけどさ。
それでも、全体として、ネットのなかで、「悪口」の居場所は、少しずつ狭くなってきているのではないかと思うのです。
悪口ばっかり読もうと思えば、それが可能なのもネットの世界ではあるけれど。
おふたりは、「生きるのに精一杯な人間の現状」があまり見えていないのではないか、と思うところもありますが、それはそれとして、こんなふうに未来を語る人の存在は大切なのでしょう。
これを読んで興味を持たれた方は、ぜひ一度読んでみてください。
今の世の中でも、ちょっと見方、考え方を変えれば、けっこう生きやすくなるのかもしれません。
- 作者: マークボイル,吉田奈緒子
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2011/11/26
- メディア: 単行本
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