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【読書感想】ファミリーレストラン 「外食」の近現代史 ☆☆☆☆


ファミリーレストラン 「外食」の近現代史 (光文社新書)

ファミリーレストラン 「外食」の近現代史 (光文社新書)


Kindle版もあります。

ファミリーレストラン?「外食」の近現代史?

ファミリーレストラン?「外食」の近現代史?

内容(「BOOK」データベースより)
日本で、「家族」という単位での「外食」が本格的に開始されたのは、明治以降だった。鉄道や海上交通が発達するにつれ、駅弁や駅前食堂、大衆食堂、デパート食堂といったものもまた、発展していった。その後、戦時中の食糧難、戦後のアメリカ洋食の影響などを経て、ファミリーレストランの誕生へとつながっていく。その前史から、一九七〇年代に迎えた黄金期、「食べる場所」から「いる場所」へと変化した一九八〇年代、「ファミリー」の変化とともに変質する一九九〇年代、そして低価格化と専門料理化の流れのなかで進化する現代を、「日常食」研究の第一人者が俯瞰して綴る。楽しい食べ歩きコラム付き。


 そういえば、最近「ファミレス」行ってないなあ、なんて思いながら読みました。
 あらためて考えてみると「ファミリーレストラン」というのは、けっこうその時代によって客層や利用のされ方が変わってきているんですよね。
 僕が子どもだった1970年代後半〜1980年代には、「家族で揃って、ちょっと車で外食しに行くところ」だったのだけれど、僕が大学生になった1990年代になると、「『ジョイフル』で試験勉強」を習慣にしていた同級生が少なからずいました。
 僕自身は、「あんな明るくて大勢人がいる場所で、試験勉強なんてできるのかな……」と思っていて、一度もやったことはないのですが……
 2000年代以降のファミレスは、昔のような「ちょっと贅沢して」というニュアンスはなくなり、家族連れよりも同性のグループが目立っていたり、家族で来ている場合でも、「こんな時間に子ども連れ?」というような印象を受けることが増えてきました。
 昔は「ひとりでファミレス」なんてありえない感じだったのですけど、いまはむしろ、「ひとりでも気軽に入れる」印象もありますしね。
 あと、多くのファミレスチェーンでは、「こんな安い値段でハンバーグが!」というような価格設定になっています。
 僕が子どもの頃は、ハンバーグはかなりのごちそうに属していたのですが、いまや「ファミレスの低価格メニューの代名詞」みたいになっています。
 まあ、いまは家族で行く店としては、あまり積極的な選択肢ではなくなっているのは、事実だと思われます。
 それなりに美味しいんですけどね、行ってみると。


 この新書では、時代によるファミリーレストラン業界の変遷が紹介されています。
 太平洋戦争の戦中戦後の食糧難の時代を経て、1949年頃から、日本では「外食」が復活しはじめたそうです。
 1950年の朝鮮戦争にともなう好景気により、外食はさらに広がりをみせるようになりました。
 外食の復興は、まず「デパートの食堂」からスタートしたのです。

 さて、いよいよファミリーレストランの誕生について記すこととなる。まずは、日本のファミリーレストランの嚆矢たる「ロイヤルホスト」である。九州で誕生した「ロイヤルホスト」こそ、日本のファミリーレストランの基本形の多くをつくった重要なチェーンである。

 著者は、日本のファミリーレスランのルーツとして、「ロイヤルホスト」を紹介しています。
 九州に長年住んでいる僕にとっては、あまりに身近な存在で、全国にあるものだと思って疑ったこともなかったのですが、九州生まれのチェーンだったんですね。
 この新書では、「ロイヤルホスト」の創業者である江頭匡一さんが、店舗を拡大していくために行った、さまざまな試みが紹介されています。

 店舗数を増やしたい、そのためには飲食業を産業化させなければならないと江頭は考え、銀行から融資を受け、産業化のカギを握るセントラルキッチン(集中調理工場)の建設が実現化する。最初は本社の工場の一角に簡単な設備を設けて冷蔵で各店舗に配送していたが、冷凍することを思いつき、購入したばかりのアイスクリーム工場の設備を使って試行錯誤を繰り返し、実用化のめどをつけた。一括調理した食材を小出しに各レストランに配送し、店で解凍して仕上げの料理を店でコックが行うという方式だ。
 こうして、福岡空港近くに集中調理工場「ロイヤルセンター」を1969年に建設した。当初は冷凍食品に対するコックなどの反感はとても根強く、料理専門誌からも「味を画一化するとは客を馬鹿にしている」とさんざん叩かれた。まさに、これは日本はおろか世界中の食環境を変化させるコールドチェーン(低温流通体系)にほかならず、江頭の先見の明がここでも発揮されているわけだが、当時は日本ではあまり理解されなかったのだ。
 しかし、その方法が間違いではなく、ロイヤル自体をさらに大きく飛躍させる要因となるのは翌年1970年、大阪万博であった。

 この万博で大成功をおさめることによって、ロイヤルはさらに飛躍していくのですが、「冷凍食品の使用」や「味の画一化」については、当時はかなりのバッシングもあったようです。
 考えてみれば、「どこでもほぼ同じ味」だとやはり安心ではありますし、冷凍食品を使っているからこそあの値段、あのスピードで各メニューが提供されているのですが、客側にとっては「外食のプレミアム感」みたいなものが失われていったのは事実でしょう。
 僕の記憶では、「ロイヤルホスト」、1980年代半ばくらいまでは、「ちょっとしたごちそう」というイメージだったんですけどね。


 その後、バブル時代の躍進と人手不足ののち、ファミリーレストラン業界も、バブル崩壊の影響にさらされることになります。
 そんななか、こんな動きが出てきたのです。

 さて、ファミリーレストランを不景気の波が直接襲ったのは1992年6月であった。月末に多数の店で前年対比10%前後のマイナスとなったのだ。実は不景気はやってきていたが、多くの消費者は連休がある5月までは消費を楽しみ、6月になると一斉にひきしめたのであった。
 ちなみに、この1992年、あるファミリーレストランで新しい試みが開始されていた。それを行ったのはすかいらーくで、東京・小平で実験店「ガスト」をオープンさせていた。1992年というのはすかいらーくにとってエポックな年で、なんと6月にすかいらーくグループは1000店を突破した。その年に、次なる改革が行われていたのである。
 その改革であるこの小平の店には、中古の什器備品、機械が持ち込まれていた。普通のすかいらーくと違い、スタッフは入口に立たず、好きな席に座るように指示があった。さらに立派なブックタイプのメニューではなく、分厚いクリアホルダータイプのメニュー表であった。この表紙には「創業当時のお値段で」と記され、主力商品はハンバーグ、ピザ、スパゲティなど4品のみで、価格は380〜580円で、当時はとても衝撃的な価格であった。

 ちなみに、いまやファミレスの標準装備である「呼び出しボタン」も、「ガスト」ではじめて導入されたそうです。
 「ドリンクバー」が最初に設置されたのも「ガスト」なのだとか。
 結果的に、この「実験店」が好評で、「本流」であったはずの「すかいらーく」は、次々に「ガスト」に転換していくことになります。
 そう考えると、1992年と「ガスト」の登場は、ファミリーレストラン界にとって、大きな転換点であったと言えそうです。


 その後、ファミリーレストランは「滞留する場所」へと変化し、「とにかく安いチェーン」と「専門店化するチェーン」への分化がみられています。
 しかし、文字通りの「家族でお出かけするレストラン」から、思えばけっこう遠くへ来てしまったような。


 この新書、ファミリーレストランの歴史だけではなく、著者が実際に行った店、食べた料理の紹介、思い出のファミリーレストランの話などもあって、懐かしさと微笑ましさを感じながら、リラックスして読めました。
 そういえば、僕の父親は、「ロイヤルホスト」の焼肉が大好きで、いつも僕にも肉を食べさせようとしてくれていたよなあ、とか思い出しながら。
 

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