- 作者: 村瀬秀信
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2013/06/26
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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内容紹介
横浜スタジアムの脇を流れる大岡川で産湯をつかった著者が放つ、愛と笑いと涙の大洋ホエールズ&横浜ベイスターズ球団回想録。
平松政次や遠藤一彦、高木豊などホエールズ時代の主力選手はもちろん、石井琢朗や谷繁元信、鈴木尚典、佐々木主浩、といった伝説の1998年の優勝メンバー、内川聖一や古木克明、木塚敦志といった“暗黒期"を支えた主力選手たちなど、総計30名を超える関係者へのインタビュー取材を敢行。
あの横浜スタジアムに、再び選手の歓喜の声とファンの大喝采が帰って来る日は来るのだろうか。
弱小球団ベイスターズとそれを愛するファンに捧ぐ、渾身の一冊。
これは、球団創設以来、2012年までで「4522敗」も喫してきた大洋&横浜を総括する一大叙事詩であり、そして多くの敗戦と奇跡のような一瞬の中に生きた、選手たちとファンの群像劇だ!
著者について
1975年神奈川県生まれ。茅ケ崎西浜高校野球部卒。
全国を放浪後、出版社・編プロ勤務を経て独立。
エンタテイメントとプロ野球をテーマに「Number」「週刊文春」「週刊プレイボーイ」「GOETHE」などの雑誌へ寄稿。
幼少期からの大洋・横浜ファンのため、勝敗に左右されずプロ野球を愉しむ術を自然と体得。
僕は物心ついてからずっとカープファンであり、ベイスターズに対しては、(今年まで)お互いにCSにも出たことがないチームとして「同病相哀れむ」という気分がありました。
それと同時に「最近に関しては、ベイスターズよりは、カープのほうが若干マシだよな」なんていう、妙な優越感などもあったんですよね。
ペナントレースの順位もそうなのですが、ベイスターズは、主力が次から次にFA宣言して出ていき、ドラフトは「なぜこの選手?」という指名。監督もコロコロ変わり(カープファンは逆に、今年までずっと「まだ野村謙二郎監督なの?」って言っていたわけですけど)、まさに泥沼。親会社は、ソーシャルゲームで稼いでいる、なんだか怪しげな企業になってしまったし……
この本のオビには、谷繁、内川といった「FAでベイスターズから出ていった選手たち」のコメントが紹介されています(これらの選手のベイスターズへの「想い」も本文中で紹介されています)。
でもさ、この人たち、チームを、ファンを裏切って出ていった人たちですよ。
「カープが大好きです!」って言ってFAしていった、某A井選手に対して、カープファンが抱いているような、複雑な気持ちを抱えている、ベイスターズファンも多いはず。
このオビ、逆効果じゃないの?と思ったのですが、この本を読んでいくと、彼らの「ベイスターズ愛」とともに、「このチームを離れることを選んだ理由」もわかるような気がします。
「わかる」=「許せる」じゃないのもまた、ファン心理ではあるのだとしても。
1998年の「伝説のマシンガン打線」から書きおこし、「1998年後の迷走」へ。
そして、時代を遡って「大洋ホエールズ」の球団創設以来の苦闘を語ってから、「いまのベイスターズ」という流れで、この本は書かれています。
1998年、リーグ優勝を果たし、日本シリーズも制したときの横浜ベイスターズの布陣。
1番ショート 石井琢朗
2番センター 波留敏夫
3番レフト 鈴木尚典
4番セカンド R・ローズ
5番ファースト 駒田徳広
6番ライト 佐伯貴弘・中根仁
7番キャッチャー 谷繁元信
8番サード 進藤達哉
この年の横浜は、本当に強かった。
すべてのポジションに、「適材適所」の選手たちが揃っていました。
しかし、あらためてこのメンバーを眺めてみると、この中で、横浜に在籍したままユニフォームを脱いだのは、2008年に引退した鈴木尚典選手と、2003年に引退した中根選手くらいなんですよね。駒田選手は戦力外通告を受け、現役続行を模索したものの獲得球団がなくそのまま引退、ローズ選手は年俸交渉がうまくいかずに退団、あとの選手は、みんな他球団に移籍してしまいました。
著者は「強いチーム、良いチームというのは、みんなに嫌われても、そのチームのために周囲に手本を示し、伝統を受け継いで行く『捨て石』になるような選手が必要なのだ」と述べています。
そして、他球団から移籍してきた選手では、なかなかそういう立場にはなりにくいと、多くの選手が語っていたそうです。
ところが、ベイスターズは、「経営」の名の下に、功労者達を切り捨てていきました。
年齢とともにスポーツ選手としてのパフォーマンスが落ちていく以上、どこかで「辞める」ときはやってきます。
でも、ベイスターズは「選手にとって、球団にとって、そしてファンにとっての幸せな幕引き」を演出することができなかったのです。
先日、小池選手が引退試合で2本のホームランを放ち、ファンの大歓声を浴びて、「子どもたちにカッコいいところを見せられた」と喜んでいました。
あの松坂大輔選手と横浜高校で同級生だった小池選手は、実力的には、まだ、現役を続けられたかもしれません。
にもかかわらず、こうして「横浜で現役を終える」ことを選ぶ選手が出てきたというのは、ベイスターズの「変化」のひとつではないかと思います。
1998年にベイスターズが日本一になったときの球団社長、大堀隆さんは、こう述懐しています。
「球団社長を退いて10年、まさかここまで弱くなるとはね。情けないですよ。それもこれもすべては人事の問題と言ってしまえば片が付くんです。監督の人事、編成の人事の失敗。それでかなりの人間を追い出してしまった。今の親会社は知らないけど、前はひどかったからね。
ただ、俺にも反省すべきところがある。大きなミスを2つやってしまった。1つは98年に日本一になった時点で補強をしなかったこと。もう1つは、決定的なミスキャストをしてしまったこと――」
一度強い勝ち方をしてしまったら、「現状維持」で来年もいけるはず。
ところが、勝負の世界は、そんなに甘くはありません。
不調の選手もいれば、ケガ人も出る。新しく出てくる選手もいるのですが、横浜は、あまりに「優勝できた戦力」を過信しすぎてしまったのです。
僕のようなカープファンからすれば「なんで巨人は、あんなに強いのに、容赦なく金をかけてさらに補強するんだ……」と思うのですが、この本を読むと「巨人は優勝慣れしているからこそ、優勝した後の怖さを熟知しており、だからこそ、なりふり構わず補強している」ことがわかります。
いやまあ、横浜とか我らがカープの場合には「優勝しちゃうと選手の年俸が上がって、補強費にまわすお金が無くなってしまう」というような悲しい現実もあるのですけどね。
「決定的なミスキャスト」とは、権藤監督時代の末期、選手たちから「監督にちゃんと細かい指示を出してほしい」という希望が噴出したため、名将・森祇晶監督を招聘したことでした。
それまで権藤監督のもとで「自由でもあり、放任されてもいた」選手たちにとっては、自ら望んだこととはいえ、森監督の管理野球はあまりにもギャップが大きすぎたのです。
選手と森監督のどちらかが悪かった、というのではなく、とにかく、この組み合わせは相性が悪かった。
その後、横浜は優勝から遠ざかり、危うく100敗を喫するようなシーズンまでありました。
ちなみに、多くの関係者が「横浜の凋落を決定的にしたのは、谷繁捕手がFAで中日に流出したこと」だと語っています。
前述の大堀元球団社長は、こう仰っています。
「先日ね、中日のピッチングコーチを辞めた権藤さんが言ってたよ。『ドラゴンズが強いのは谷繁のお陰だ』ってね。キャッチャーはチームの大黒柱。球団にとってもかけがえのない財産ですし。谷繁ほどの人間ならばなおさら。将来は監督になるべき人間ですよ。そのことは十分にわかっていました。
ただね、メジャーとの交渉が終わって帰ってきた時点で、ベイスターズはあまり引き留めに熱心とはいえなかった。いろいろと葛藤があるんだけど、『相川がいるからいいよ』って意見もあったんだろうね。『それならば声をかけませんよ』ということですよ……。谷繁は日本一のキャッチャーですよ。でも、相川も後に日本を代表するまでになるだけの素晴らしい素質を持っていた。そして後々に相川すらもベイスターズは出してしまう。後には誰もいなくなった。それがすべてだよね」
谷繁はチームの戦略的な柱であると同時に、野手と投手の緩衝役にもなれる、チームリーダーの器を持つ替えのきかない存在だった。それをわかっていながらも、球団は引き留めに動くことができなかった。優勝後のチーム改革の途にある中での人事のタイミング。しかし、谷繁は若い投手陣にとっての師であり、越えなければならない壁でもあった。ただ、それはちょっとばかり怖い存在だった。
当時、若い投手を教育するために厳しく接していた谷繁に、「もっと優しく接してやってくれ」と頼んだ球団関係者もいたそうです。
うーむ、たしかに、厳しく接すればいいというものではないのかもしれませんが……
谷繁選手、来年、2014年のシーズンからは、中日ドラゴンズで選手兼監督となることが発表されました。
監督としての手腕はどうか、選手との兼任は大変だとは思うのですが、興味深いところです。
たしかにこの谷繁捕手、相川捕手の相次ぐ流出と、その後の場当たり的な捕手補強と失敗の繰り返しというのは、まさに「横浜の迷走の象徴」ですね……
でも、そんな横浜も、変わろうとしている。
ずっとチームに残ってきた人と、外部からの血で。
この本の最後、「ハマの番長」こと三浦大輔投手の言葉、そして、中畑監督の話を読んで、僕は本当に胸が熱くなりました。
「またしてもパフォーマンス目当ての外様監督か」「プロが精神面ばかりを問題にしていたらまた最下位だよ」「結局、どんな野球をやりたいか見えてこない」
どこもかしこもノムさんも、中畑に対してはそんなネガティブな見方がほとんどだった。
しかし、1年目のシーズンがはじまって見方が180度変わった。
いつも通りなら、選手のミスを嘆き、戦力が足りないことをぼやき、気が付けば、ベンチからは誰もいなくなってしまうほど空気が悪くなっていたのだが、中畑清は、どんなに負けが込んでも、これまで多くの監督が体験したような、黒星の闇に取り込まれることはなかった。
どんなに負けても指揮官自ら全力で悔しがり、「前を向け、声を出せ」と選手を鼓舞し続けた。どんなに内容のない惨敗でも試合後のインタビューを拒否することもなかった。
スタンドで、キャンプ地で、宿泊先のホテルで、街角で、1人でもファンがいれば足を止めてサインに応じた。この人のチームを変えようとする気持ちは本物だった。
ある生え抜きのコーチがこんなことを呟いていたのが印象的だった。
「中畑さんは本物のスーパースターだよ。ダメなものはダメと言うし、嘘がないから人を引っ張っていける本当に凄い人だと思う」
著者は実際に中畑監督本人にもインタビューしています。
そのなかで語られている中畑監督の「覚悟」を読んで、僕は「中畑さん、元気なだけがとりえのパフォーマンス監督だと、バカにしていてすみませんでした」と心の中で謝りました。
僕も「人気取りのための監督」だと思っていたんですよ。
でも、中畑監督は「横浜の地にあらためてプロ野球チームを根付かせるためなら、いくらでも自分が捨て石になってみせる」と語っていたのです。
自分自身が、「緻密な作戦で、常勝チームを率いるタイプの監督ではない」ことは百も承知で、中畑監督は「いまのベイスターズに必要なこと」を率先してやっているのです。
たぶん自分が監督ではなくなっている、「将来のベイスターズ」のために。
なんか怪しいソーシャルゲーム屋、というイメージだったDeNAですが、ベイスターズの運営に関しては、それまでのTBSよりも、うまくやれているのではないかという気がします。
チームの雰囲気が改善されているのは、中畑監督の力とともに、中畑監督をバックアップしているであろう、フロントのおかげでもありますし。
カープの対戦相手としても、強いなあ、しぶといなあ、って感じましたものね、今年のDeNAは。
大洋ホエールズ・横浜大洋ホエールズ・横浜ベイスターズ・横浜DeNAベイスターズは、セントラル・リーグが発足した1950年から2012年までに、12球団最多の4522敗を喫しているという。
たぶん、カープはその次くらいに負けているのではないかと思います。
でもさ、こんなに負けてばっかりでも、ファンっていうのは、やめられないんだよね……ほんと、「業」みたいなものかも。
近いうちに、カープと横浜で優勝争いしましょうね!
勝つのはもちろん、カープですけど。
他球団ファンでも涙無しには読めない一冊です。
がんばれ、横浜! そして、横浜ファン!(ただし、カープ戦以外で!)
野球ファンなら、絶対に読んで損はしませんよ。