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下馬評を大きく覆し、2年連続最下位からのペナント制覇は、いかに成し遂げられたのか? 逆に、なぜかくも長き暗黒時代が続いたのか? 黄金期も低迷期も見てきた元番記者が豊富な取材で綴る。
1994年の仰木彬監督就任まで遡り、イチロー、がんばろうKOBE、96年日本一、契約金0円選手、球界再編騒動、球団合併、仰木監督の死、暗黒期、2014年の2厘差の2位、スカウト革命、キャンプ地移転、育成強化、そして21年の優勝までを圧倒的な筆致で描く。主な取材対象者は、梨田昌孝、岡田彰布、藤井康雄、森脇浩司、山崎武司、北川博敏、後藤光尊、近藤一樹、坂口智隆、伏見寅威、瀬戸山隆三、加藤康幸、牧田勝吾、水谷哲也(横浜隼人高監督)、望月俊治(駿河総合高監督)、根鈴雄次など。
2021年のプロ野球のペナントレースは、セ・リーグがヤクルトスワローズ、パ・リーグがオリックスバファローズと、前年度最下位チームが優勝しました。長年のカープファンの僕としては、なぜ、あの投手陣でヤクルトが優勝できたんだ、それならカープだって可能性は十分あったのでは……とか、オリックスとロッテの優勝争いには、ソフトバンクホークスの不調が大きかったんだろうな、とか、あれこれ考えていたのです。
二桁勝利をあげたピッチャーが一人もいなかったのに日本一になったヤクルトの闘いぶりには、カープファンの僕も「やればできるものなんだな」と思い知らされました。
オリックスの優勝に関しては、いまや日本のエース、山本由伸投手の存在が大きかったのですが、九州で生活している僕の印象としては「今年はソフトバンクの調子が上がらなかったから、相対的に『浮上』できた」という感じだったんですよ。
オリックスは、何年か前に森脇監督のもとで終盤までソフトバンクと熾烈な優勝争いをしたことがあったものの、毎年すごいお金をかけて、実績はあるけれどピークを過ぎた選手をかき集めては失敗、というのを繰り返しているチーム、だと思っていました。
イチローが大活躍し、「がんばろうKOBE」のキャッチフレーズとともに勝ち続けたオリックスは、イチローがアメリカに移籍し、近鉄との合併騒動を経て、長い間低迷していたのです。
1995年、阪神淡路大震災の年に、イチローらを擁してリーグ優勝。翌1996年にはパ・リーグを連覇し、巨人に勝って日本一。
その後もしばらくは3位以内で優勝争いに絡んでいたのですが、2000年に4位とBクラスになってからは、2008年、2014年に2位になった以外は、ずっとBクラス(4位以下)だったんですよね。その2回の2位にしても、その翌年にはまたBクラスに転落してしまい、監督交代も頻繁に行われていました。低迷期のオリックスは、1シーズン結果を出しても、それが持続しませんでした。
この本を読むと、オリックスが2022年にリーグ優勝できたのは、2022年に頑張ったから、というよりは、5年くらい前からの変革の積み重ねが、このタイミングで開花したのだ、ということがわかります。
それまでの「実績のある選手を外から獲得して戦力を上げる」方針から、「才能のある若手をドラフトで獲得して、チーム内で育成していく」という方針に切り替えたのが実ったのです。
オリックスは、以前にも「契約金ゼロ円選手」で一芸に秀でた選手をお金をかけずに獲得する試みをやったことがあるのですが、それは結果としてうまくはいかなかったんですよね。
のちに、ソフトバンクや巨人は、育成制度を利用して、「光るものはあるけれど、まだ完成度が低かったり、実績が乏しい選手」を綿密な調査のもとに発掘し(ソフトバンクの千賀投手や甲斐選手も育成出身です)、強いチームをつくっていきました。
完成度が高い選手は、ドラフトで他球団と競合し、獲得できる保証はないけれど、「あと何年かすれば、ドラフト1位級になるかもしれない未完成の素材」であれば、確実に入団させることができるのです。もちろん、育成選手のすべてが成功したわけではありませんが。
オリックスの歴史を辿っていくと、「球団合併」というのは、他球団ファンから、あるいは外部からのイメージよりもずっと、大きな影響があるものなのだということがわかります。
プロ野球チームなんて、どこも似たような野球が得意な人たちの集団じゃないの?
近鉄バファローズに入団し、球団合併時にオリックスに移った近藤一樹投手は、こんな話をされています。
「正直、合併した時に一番、それを最初に感じましたね」
チームカラーが、あまりにも違い過ぎたことだったという。
近藤は、寮生活を例に出しながら、その戸惑いを思い返してくれた。
「近鉄の寮って、団体生活としては、ちょっとはみ出ているんじゃないかと思われるかもしれないですけど、それくらい逆に個性があったというか、野球選手はそれぞれの個性が商品だと思うので、その個性がすごく強かったんです」
近鉄のかつての本拠地・藤井寺球場のライト後方に、選手寮の「球友寮」があった。
帰ると「おかえり」。声を掛けてくれた先輩の手にはパターが握られ、廊下でゴルフボールを転がしていた。その先には、ローラーブレードをやっている選手がいた。
風呂に入ると「波乗りや~」。浴槽と同じくらいの幅のサーフボードを持ってきて、笑いを取る選手までいた。
「あ、ぽい、なあって。それぞれのカラーがあって、それがすごい強かったと感じました。でもそれが、普通の生活だと思っていたんです」
合併して、オリックスの選手寮、神戸の「青濤館」に移った。
「寮の中で、誰一人、遭遇しなかったんですよ。寮に入った瞬間の静けさが、言葉は悪いかもしれないですけど、えっ、病院? と思って。こんな静かでいいのかなと」
同じパ・リーグ、関西を本拠地にしていたチームなのに、チームカラーというのは、こんなに違うものなのかと僕も驚きました。
「いてまえ打線」と呼ばれ、豪快なイメージがあった近鉄は、寮でもこんな感じだったんですね……
これだけ違うと、人によって、そのチームに合う、合わないもあるでしょうし、所属チームへの愛着が強い選手がいるのもわかります。
ただ、その表面的な部分とは対照的に、近鉄時代の方が、風紀や生活面で先輩たちから厳しく指導されることが多かったのだという。
ユニホームの着こなしでも、上のボタンが開いていると「閉めろ」
ロングパンツが流行り出した中「怪我を防ぐためにストッキングまでしっかりはけ」
近鉄の先輩たちは、近藤に事あるごとに注意したという。
「その立場で、そんな車に乗るな」
高級車を購入した若手が、本気で雷を落とされていたシーンにも遭遇したという。
「あのカラーで、そんなこと言ってるの? という感じだと思うんですよ。でも、オリックスだと、自分のお金なんだから、好きなの乗れよ、みたいな感じなんです」
一見豪快、その実、先輩後輩のけじめ、野球選手としての心得。そおに、昔気質のにおいも残していた近鉄バファローズ。見た目はクール、スマートな野球スタイルだったオリックス・ブルーウェーブ。その2球団が、一緒になる。
近鉄バファローズというのは、やはり、唯一無二のチーム、だったのかもしれません。
この本のなかでも、近鉄からオリックスに移ってきた選手が、サインに「オリックス」とは書けても、「バファローズ」と書くことはずっとできなかった、と話しています。
プロのスカウトであっても、選手の潜在能力を見極めるというのは本当に難しい。
ドラフト1位で指名されるような選手はともかく、中位~下位指名で「化ける」選手を獲れるかには、運とか縁もあるのです。
日本代表のエース、山本由伸投手の高校時代について、当時の編成部長としてオリックスのドラフト改革を進めていた加藤康幸さんは、そのアスリートとしての立ち居振る舞いやコントロールの良さに好印象を持ちつつ、「中位から下位で残っているのなら、この選手はすごくいいなと思った」そうです。
「心配だったのは、あまりにもスタンダードだったこと。ここから伸びるのか、伸びないのか、ちょっと分からなかったけど」
あのイチロー選手も、オリックスのドラフト4位。山本由伸投手も、ドラフト4位でした。
彼らを見いだしたオリックスのスカウトたちの慧眼は称賛されてしかるべきですが、逆に、それぞれの年で、オリックスは彼らよりも上位で評価していた選手が3人いたのです。
優勝に大きく貢献した紅林選手はドラフト2位でしたが、同じ年のドラフトで、抽選の末に中日に決まった石川選手がオリックスに来ていたら、紅林選手の指名はなかったはずです。
野茂英雄投手のように、多くの球団が競合し、その期待にたがわぬ活躍をみせることもあれば、鳴り物入りで入団したのに活躍できずに去っていく選手もいます。
それでも、評判や実績だけに頼らずに、自分たちの目で選手の能力を見極めていくというオリックスのドラフト改革がなければ、2021年の優勝はありませんでした。
勝負の世界というのは、「正しいから結果が出た」というよりも、「結果が出たからその方法が正しいとみんなが認めた」のではないか、とも思うのですが。
加藤さんもオリックスの優勝の前に球団を去っていますし、種を蒔き、育てた人が、その果実を手にできるとは限らない。
「正しい方法」であっても、結果が出るのには時間がかかるものではあります。
この本のなかで、いちばん印象に残ったのは、岡田彰布監督の話でした。
阪神の監督として実績を残し、オリックスに招聘された岡田監督は、結果を残せず、選手との折り合いも悪くなって辞任してしまいました。
監督としての力量不足だったのだろうな、と僕は思っていたのですが、当時の内部事情をこの本で読んで、驚いたのです。
岡田の「回想」は、こちらが疑問を挟む余地がないほどにクリアで、痛烈で、そして何よりも、驚きの要素がたっぷりと含まれた裏話ばかりだった。
「忘れもせんで」
2010年(平成22年)の就任1年目。
岡田オリックスは、7勝1敗と開幕ダッシュに成功した。
本拠地・京セラドームに戻ってきての千葉ロッテ戦。ロッテも6勝2敗と好調なスタートを切っていた。
4月2日からの首位攻防3連戦。その試合前のバッテリーミーティングでの出来事だった。
部屋の最後尾にいた岡田は、スコアラーが行う報告に、思わず耳を疑った。ロッテが、よう打ってたんや。めちゃくちゃ調子よかったんや。
その時、スコアラーが言うたんや。
「ロッテ打線は絶好調です。どこ投げても、今打ちます」って。
で、ちょっと待って、って。
「どこ投げても」って、今までは、そんなミーティングやってたかも分からんけど、どこ投げても打たれます、って言ったら、これ、バッテリー、どないするんや、って言うたんや。
やっぱり、そんな感覚でやってたんやな、と思ってな。
すごいう言葉を聞いたからな、俺は。ミーティングでな。これはアカンわ、と。
緩さ、かな。負け慣れっていうのもあるかも分からんけどな。
そういうのもあって、これは変えていかなアカンと。そういうのは、な。
自信持って、ここへ投げて下さいと。
責任は、自分がミーティングをやってきてるんやから、自分で責任持ちます。
そういうくらいに、スコアラーももっと言わなアカンよと。
経てないんよ、勝つための作業いうか、プロセスをな。
選手も「そしたら、どこへ投げたらええんですか」って質問したらええやん。それも、何もせえへん。聞いてるだけなんよ。
そんなん、いっぱいあったわ。
当たり前のことよ。当たり前のことができなかったんやからな、結局。
岡田監督も、選手、スタッフの意識を変えるための努力はしたのです。
しかしながら、当時のオリックスは、岡田監督が求めていたレベルにはほど遠く、「このくらいは言わなくてもわかってほしい」という監督の態度は、周囲には「突き放されている、怖い」としか思われなかった。
岡田監督は「勝負に対する厳しさ」で、チームのなかで浮いてしまったのです。
世の中には、「能力はあったのに、相手にうまく合わせることができなかった」とか「置かれている環境が難しすぎた」ために、無能なリーダーだと見なされてしまった人が、数多くいるのだろうな、と岡田監督の話を読んでいて痛感しました。
名将がチームを移ったら輝きを失ってしまう例もたくさんみてきたのです。
チーム(組織)というものを考えるうえで、示唆に富む先人の経験が詰まっている本だと思います。
オリックスファン、プロ野球ファンだけではなく、これを読んで興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。