あらすじ: 本能寺の変によって織田信長が亡くなり、筆頭家老の柴田勝家(役所広司)と羽柴秀吉(大泉洋)が後見に名乗りを上げた。勝家は三男の信孝(坂東巳之助)、秀吉は次男の信雄(妻夫木聡)を信長亡き後の後継者として指名し、勝家は信長の妹・お市(鈴木京香)、秀吉は信長の弟・三十郎信包(伊勢谷友介)を味方にする。そして跡継ぎを決めるための清須会議が開催されることになり、両派の複雑な思惑が交錯していく。
2013年35本目。
金曜日のレイトショーで鑑賞。
公開から1か月くらい経っていることもあり、観客は10人くらいでした。
ネットでは「あまり面白くない」という評価が多くてあまり期待しないようにしていたのですが、僕はすごく楽しめました。
いままでの三谷幸喜監督作品の「コメディ要素」を期待した人にとっては「ほとんど笑えるところがなかった」のは不満だったのかな。
作中での柴田勝家の失態とか、信雄のうつけっぷりとかは、たぶん、「笑わせよう」としているのでしょうけど。
こういう「史実をモチーフにした作品」というのは、フィクションとはわかっていても、「さすがに秀吉はこんなことはやらなかったのでは……とか、勝家もここまでバカじゃないだろ……」とか、あれこれ考えてしまうものなんですよね。
柴田勝家や滝川一益が、さすがにこれではかわいそうなのでは、とか。
結局のところ、清州会議でどんなやりとりがなされたのかなどというのは、映像記録や速記録が残っているわけでもないので、実際はわからないのです。
そして、わからないからこそ、かえってフィクションに対して頑に拒絶してしまうところもあります。
いちおうの「史実」がある程度はっきりしていれば、それが改変されていても「こんなふうに変えてきたのか」と楽しめるのですが、むしろ「三谷さんがつくった『嘘』で、歴史上の人物を評価しないように気をつけねば」なんて身構えてしまったりもして。
(以下はネタバレ感想です。派手じゃないけど、僕は人間の感情の機微みたいなものが丁寧に描かれた傑作だと思うので、よかったら作品を先に観てから読んでくださいね)
本当にネタバレですよ。
この映画、笑えるというより、「秀吉、なんておそろしい男……」と、観終えてゾッとするような感じがしたんですよ。
下働きの者たちをねぎらって大宴会をしている秀吉を、ある男が「あれも藤吉郎のいくさなのです」と評していたりもして。
ラストも「秀吉、勝つために、ここまでやるのか……そして、その結果が、朝鮮出兵とか大坂の陣なのか……」とか、歴史好きとしては、かえって冷たい予感がよぎるのです。
三法師にしても、秀吉が「偶然の出会いで思いついた」なんてことは、あの状況では考えづらく、おそらく、清洲会議のスタートの時点から、構想に入っていたはずです。
みんなが「三法師に決まったこと」に気をとられている中で、ただひとり、「三法師をみんなの前にどう登場させるか」まで考えていた人物として描いているところなどは、「さすが三谷幸喜」と感心しましたけど。
僕には、小日向文世さん演じる丹羽長秀というキャラクターが「転向」する場面が、すごく印象的でした。
長秀は織田家の中でも賢者として知られていて、長年の盟友である柴田勝家をずっと支えていたのですが、秀吉は、長秀に対して、恫喝と報酬を織り交ぜながら、「勝家を裏切るための、ちゃんとした大義名分」を与え、「決断」を迫るのです。
この映画を最初からみていた僕は、「勝家+長秀連合」vs秀吉、だと思っています(まあ、原作も読んでいるので、結末も知ってはいたのですが)。
ところが、秀吉は、勝家と長秀は「一枚岩」ではないことを見抜いてしまった。
固い絆があるのだけれど、長秀には、ひとつ「弱点」があったのです。
長秀が勝家を「盲信」していたり、「頭であれこれ考えずに、友情を重んじる男」であれば、おそらく、秀吉には「攻略」の糸口はなかったはず。
ところが、長秀は頭が良くて、自分の理性を重んじるタイプの人間なので、秀吉の「理屈としては正しい解決策」を「敵の言うことだから」と切り捨てられず、「計算」しはじめてしまうのです。
そして、ついに「柴田勝家の長年の盟友としては選ぶべきではないのかもしれないが、客観的にみて、より正しそうな理屈」になびいてしまう。
ナチスの台頭に対する、イギリスのチェンバレン首相の「宥和政策」って、こんな感じで出てきたのかもしれないなあ、なんて考えもしたのです。
賢い人には、賢い人向けの「攻略法」みたいなものがあるのです。
賢いからこそ、「賢い自分なら、『客観的に正しいほう』を選ぶべき」だと自分の感情をおさえつけてしまう。
でも、そうやって出した「理屈として正しそうな答え」は、けっこう間違っていたり、自分を危険にさらしたり、大事な人を傷つけたりするのです。
考えた末に、「正しい選択」をしたはずなのに、会議のあと、ずっと押し黙ってうつむいている長秀。
中途半端に賢くて、理性的にふるまおうとしすぎる人間というのは、自分の「賢さ」に負けてしまうことがある。
そして、そういう「中途半端に賢い人たち」の能力を抽出して、適材適所で使いこなしていたのが、秀吉だった。
長秀は、秀吉という人物の危険性を十分承知していたはずなのに、「歴史を変える勇気を持てなかった」。
賢いからこそ、もっとも愚かで、かつ不名誉な行動をとってしまうことがある。
もしかしたら、三谷さんもまた「丹羽長秀的なひと」なのかもしれませんね。
コメディ、ではなかったし、「どこまでが史実?」とか、つい考えてしまうのですが、自分のなかの「歴史人物像」にこだわりすぎなければ、「類型的な人間たちによるギリシャ悲劇」みたいな感じの、なかなか面白い映画でした。
ただ、歴史に興味がない人にとっては、背景がわかりにくそうだし、詳しい人、思い入れがある人にとっては、「あの人がそんなこと言うかなあ……」とか考えてしまうのも事実ではありますね。
「清洲会議」を「歴史を動かした日本史上はじめての会議」と定義する目のつけどころなんて、さすが三谷さんだなあ、と感心せずにはいられませんでしたし、「派手な戦闘シーンとかクライマックスが無いこと」こそが、この映画の魅力じゃないか、と僕は思います。
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