- 作者: 伊東潤
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2013/07/29
- メディア: 単行本
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内容紹介
己を知るものほど強いものはおらぬ
天才信長の周囲に集まった者、五人のそれぞれの数奇な運命を描く歴史短編集。黒人奴隷の弥介、信長に父信行を殺された織田信澄など。第150回直木賞候補
内容(「BOOK」データベースより)
現在最も注目を浴びる気鋭の歴史小説家が描く織田家をとりまく異色の人々、毛利新助、原田直政、津田信澄、彌介など。
伊東潤さんの作品といえば、前々回、第148回の直木賞候補になった『国を蹴った男』が僕にとっては印象的でした。
とくにこの短編集の表題作『国を蹴った男』が、すごく心に残ったんですよね。
この短編は、今川義元の息子、今川氏真が主人公だったのです。
氏真といえば、歴史小説のなかでは「織田信長に桶狭間で討たれた今川義元の跡を継いだが、蹴鞠にばかり夢中になり、今川家を滅亡(といっても、氏真自身は江戸時代まで長生きしているのですが)させた暗愚の大将、として描かれていることがほとんどで、僕も、そういうものだと思っていました。
ところが、伊東さんは、氏真という人を「生まれる時代と環境を誤ってしまった、蹴鞠の天才」であり、「善良であるがゆえに、あの時代では生きづらかった人物」として描いていたのです。
ああ、僕が「無能」として切り捨ててしまった人は、「観点」を変えれば、すごく良いところがあった人なのかもしれないな、と、すごく考えさせられました。
この『王になろうとした男』は、あまり顧みられることのない「織田信長の地味な家臣たち」を主人公として描いた5つの短編集です。
僕はこの作品集のなかでは、最初の2作、「今川義元を討ち取った男」毛利新助と、交渉能力を武器に「出頭(出世)」し、大和の守護にまで上り詰めたものの「結果を出さなければ生き残れない信長の家臣」であり続けようとして、無理をして自滅してしまった塙直政の話が好きだったんですよ。
織田信長という人は、徹底した「成果主義者」で、プロセスはどうあれ、結果を残した人間を評価する。
そのことによって、家臣たちには競争意識が生まれ、有能な人物が登用されていったのだけれど、その一方で、それは「無能だと見なされれば、いつでも切り捨てられるレース」でもありました。
今川義元を討つ、という大功をあげたものの、ひとりの戦士としてしか生きられない毛利新助という男の孤独と矜持。
そして、そんな毛利新助を、彼なりのやりかたで尊重する信長。
織田信長という人の「合理性」は、日本の歴史を変えていきました。
しかしながら、このあまりに厳しすぎる環境は、信長の家臣たちにとっても、大きなストレスになっていたのだろうな、と、この作品を読むと想像してしまうんですよね。
本能寺の変は、明智光秀がやらなかったとしても、他の誰かがいつか、近いうちに起こしていたのではないか?
信長の周囲には、一芸に秀でた人材が集まり始め、各分野で能力を発揮することで、出頭(出世)の階を登り始めていた。
それは、欲に駆られて出頭したいというよりも、己の才をさらに大きな舞台で発揮したいという、人としての根源的欲求から来ているものだと、直政は語った。
信長自身がその筆頭であり、己も含め有象無象の力を、野望達成のために結集していくことにかけては、信長の右に出る者はいないというのだ。
ただ、この短編集を読んでいると、とくに後半の作品では、「これ、どこまでが『史実』なのだろう?」と、けっこう気になってくるんですよ。
それでも、もちろん、安土桃山時代の武将たちのやりとりがきちんと遺されているわけがありませんし、歴史小説というのは、作者の創作の部分が大きいのは確かです。
歴史小説にはありがちなこととはいえ、裏付けもないのに、「本能寺の変の黒幕は羽柴秀吉!」というような話が出てきたりすると、「フィクションだとわかってはいるのだけれど、実在の人物を、こんなに勝手に動かしても良いのだろうか?」という気がしてきます。
あの時代の雰囲気を描きたいのはわかるんだけれど、この短編集では「織田家の地味な武将たち」それぞれが「類型的な人間のひとつのかたち」として分厚く描かれ「ああ、こういうところ、僕にもある……」と頷けるだけに、「作者の想像が走りすぎてしまっているように思われるところ」が、気になってしょうがないのです。
「この人、本当にこんなことやったのか?」
思わず、Wikipediaなどで、登場人物の史実での死にざまとかを調べまくってしまいました。
最近どうも、「歴史小説」を読むのが苦手になってしまっています。
歴史上の人物の話だと「どこまでが史実で、どこからが作者の創作なのか?」がわからないので、「ここで感動してもいいのか?」とか、考え込んでしまって。
そして、その「フィクションの部分」が、どうしても気になってしまって。
歴史上の人物の本当の行動や考えなんて、いまの人間にわかるはずもない。
だから、「歴史小説」というのは、「人間の類型」を描くための手段なのだ、とわかっているつもりなのだけれど、実在の人物なだけに、やっぱり割り切れないところがあるのです。
この『王になろうとした男』、本当に「すばらしい歴史小説」だと思うのですが……
僕の頭が固くなってしまっているのかなあ。うーむ。
- 作者: 伊東潤
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/10/26
- メディア: 単行本
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