- 作者: 森内俊之
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2014/02/03
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
- 作者: 森内俊之
- 出版社/メーカー: 小学館
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内容紹介
大器晩成の竜王名人が明かす半生と勝負哲学
小学六年生で、羽生善治(現・三冠)、佐藤康光(現・九段)らとともに奨励会に入会。16歳でプロ棋士昇格、25歳での名人位挑戦は、棋士として順調な経歴と言えた。しかし、名人戦の相手・羽生善治はそのとき七冠王になっていた!
実績で水を空けられた相手に、何を考え、どう戦ったか。雌伏のときに思索を深め、研鑽を続けた著者は、30代以降、雄飛のときを迎える。30代で初めて名人となり、羽生より早く永世名人の称号を得て、40代で渡辺明から竜王位を奪取。若手が有利と言われる竜王位を40代で奪取したのは、史上初の快挙だった。現在は竜王・名人という、棋界の2大タイトルを保持する著者が明らかにする、半生と勝負哲学。世評を覆し、差を覆す秘訣は、己を知ることと、敗北に謙虚に学ぶことにあった!
「羽生世代」を代表する棋士のひとりであり、現在は名人・竜王という将棋界の2大タイトルを保持している森内さん。
僕には、森内さんに、なんとなく「地味」なイメージがあったんですよね。
ライバルの羽生さんが、「将棋界の代表」として、本を書いたり、さまざまなメディアに登場しているのに比べると、森内さんは、将棋以外での露出は少なめなので。
本当は、羽生さんが「特別」なだけなのでしょうけど。
この新書、「棋士が書いた、『ビジネス』に役立つ本」みたいなライフハック系の内容ではありません。
森内さんという、大器晩成型の棋士が、自分のこれまでの半生について、実直に語っていった、そんな内容です。
だからこそ、なんだかしみじみと「こういう、一歩一歩積み上げていくタイプで、名人にまでのぼりつめた人もいるのだなあ」と感慨深いものがあるのです。
将棋は、どんなに強い人でも、全勝はありえない世界です。トッププロでも、勝率7割を超えることは、めったにありません。
自分が強くなればなるほど、強い相手とやらなければならない仕組みですし。
そんななかで、森内さんは、腐らずに自分を高め続けてきたのです。
森内さんは、「はじめに」で自分のことを、こんなふうに分析しておられます。
二十六年間のプロ棋士生活を振り返ってみると、勝利の確率が低そうなときに勝ち、高そうなときに負ける、その繰り返しであった。順当な結果を出し続けることの難しさは、身をもって分かっているつもりだ。
大相撲の横綱を見ていると、大きくて強そうな力士たちを相手に、何年間も高い勝率を残し、角界のトップであり続けている。畏敬の念を禁じえない。
私はと言えば、自分よりも強い相手に挑むときはふだん以上の力が出せるのだが、その一方で、自分が有利ではないかという自覚を持つと、途端に安定しなくなる。将棋を知る友人にも言われたことがあるが、プロ棋士の公式戦では、どのような相手と指してもいつも”いい勝負”。かなり珍しいタイプかもしれない。
なんとなく「相手に合わせてしまうタイプ」なのかもしれませんね、森内さんは。
もちろん、実力がなければ、高いレベルの相手に「合わせる」ことは難しいのですけど。
2013年の竜王戦、森内さんは、竜王位十連覇がかかった渡辺明竜王への挑戦者となりました。
そんな渡辺さんの竜王位十連覇を懸けたタイトル戦の挑戦者になったのが、43歳の私だ。私が予想する立場だったとしても、「竜王の十連覇は濃厚」と見ていただろう。
相性も良くない。過去の戦績は10勝17敗。ここ二年間は対局がないものの、直近の10局は1勝9敗。その中には2009年の竜王戦での4連敗も含まれている。
竜王戦を前に、表向きは弱気な発言を控えていたが、はっきり言って、勝てる見込みも自信もなかった。勝てる確率はゼロではないが、50パーセントには遠く及ばないと考えていた。
ちなみに将棋のタイトル戦において、年上の挑戦者が年下のタイトルホルダーに勝ったという例は、過去1割にも満たない。一般的に将棋が一番強い時期は、体力と棋力が充実している20代後半から30代前半と言われている。
私を含めてほとんどの棋士は、40歳を過ぎたあたりから、考え続ける体力や記憶力が衰え、成績も下降線をたどることになる。将棋界において時計が逆回転することはまずありえないのだ。
僕が子どもの頃に読んだ将棋の入門書に「将棋はスポーツ」と書いてあって、「いやそれはいくらなんでも無理があるだろ……」と思ったのですが、棋士たちの著者を読んでいると、プロとして将棋を指すというのは、ものすごく知力・気力・体力を消耗するもののようです。
30歳前後がピーク、というのは、多くのアスリートにもあてはまりますよね。
それにしても、ここまで「年齢による違い」が出てくるものだというのは、将棋のイメージを考えると、かなり意外ではありました。
森内さんは、子どもの頃から同世代の羽生さんとの接点は多かったそうなのですが、羽生さんがスーパーカーのように駆け上がっていったあとを、一歩一歩追いかけていったのです。
この本のなかで印象に残ったのは、森内さんが若い頃から、「負けがほぼ決まった将棋でも、最後まで時間を使ってきちんと考えるように自分に課していた」というところでした。
結局、年齢を重ねていって、差がつくのは、そういう「貯金」があるかどうかなのかな、と。
森内さんは高校一年、三段のとき、将棋界の伝説の研究会、島朗さん(現九段)の「島研」に参加されています。
当時は、さまざまな棋士が研究会をつくっていたそうなのですが、この「島研」には、特徴がありました。
この島研が特殊で斬新だったのは、参加人数が奇数だったということだ。二人が対局し、残った一人が記録係をやるというのが島研のルールだった。
これは「人の対局を見ることが実際の対局と同じくらい勉強になる」という島さんの考えによるものだ.奨励会員がプロの記録係をやることはよくあるが、佐藤(康光)さんと私が対局するときは、プロ棋士である島さんが記録を取るのだ。普通なら思いつかないことだろう。
プロ棋士の「研究会」として考えれば、まず人数は「偶数」にして、みんな一斉に対局できるようにするのではないでしょうか。
ところが、島朗さんは「ライブの戦いを間近で見て、考えること」を重視していたのです。
森内さんも(他の人たちの対局をみていると)「自分が指しているよりも多くの思考を巡らすことになり、考え方に幅が出てくる」と仰っています。
将棋にかぎらず、若手の「仕事を覚える早さ」をみていると、大事なのは「自分自身が手を出してやっているときだけではなく、他の人がやっているとき、どういう姿勢で見ているか」なんですよね。
でも、多くの人は、つい、「見ているだけ」になってしまう。
これは、僕自身もこれまでの人生を振り返って、「もっとちゃんと見ておけばよかった」と後悔しているところでもあるのです。
森内さんは、この新書のなかで、何度も「負けること」について語っておられます。
勝ちながら吸収していくのが理想だが、レベルが上がってくると、そうそう若い頃のように思いどおりにはいかない。目先の数字にこだわると、どうしても成長がおろそかになってしまう。
すべての将棋に勝つことはできない。ならば、負けをいかに有効に活用し、そこから何を学ぶかを考えるべきだろう。成長につながる一つの負けが、後の二勝、三勝をもたらしてくれる。そんなふうに考えられるようになった。
私にとって、敗戦は勝利のための必要経費のようなものだ。棋譜で見ているのと、実際にやって負けるのとでは、まるで違う。知識と経験は別物だ。たとえ負けたとしても、公式戦の場で集中して考えることで、棋士として進化できるはずだと信じている。
そんな森内さんも、ずっとそんなふうに「負けを肯定的に受け止めていた」わけではないそうです。
若い頃の私は完璧主義者で、自分の一度のミスが許せず、その動揺した気持ちで指し続け、ミスを重ねて負けてしまったことが何度もある。しかし、そんなことを繰り返しているうちに気がついた。
ミスをしないなんてありえない。誰でも、どんなときでもミスはある。だから自分のミスを許そう、と。
大切なのは、一回目のミスを許容する余裕だ。
「ちょっとくらいなら、いいか」
そんなふうに考えて、”ちょっと”で止めるように意識を転換すればいいのだ。きっとミスを繰り返すことはなくなるだろう。
この新書を読んでいると、森内さんみたいに「負けを糧にして、さらに強くなってくる人」というのは、対戦相手にとっては、イヤだろうなあ、と思うのです。
自分のペースでいっているときは強くても、一度乱れてしまうと立て直せない「天才」よりも、よっぽど怖い。
羽生さんにとっても、森内さんというのは、「どこまでこの人は強くなってくるのだろう」と感じる相手であり、意識せざるをえないライバルのはず。
「早熟の天才」ではなくても、頂点にのぼりつめた人の「静かな凄み」みたいなものが詰まっている一冊です。