琥珀色の戯言

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【読書感想】じつは「おもてなし」がなっていない日本のホテル ☆☆☆



Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
2020年に開催が決まった「東京オリンピック」。6年後に世界中から巨大な需要が見込まれる観光業だが、実質的な競争のスタートとなるのは、2014年から始まる“第3次”ホテル戦争だ。遡れば、バブル時代を挟んでの外資系ホテルの上陸が“第1次”ホテル戦争であり、リーマン・ショックを挟んでのアジア系ホテルの上陸が、“第2次”ホテル戦争であった。だが、“第3次”ホテル戦争の幕開け直前に発覚したのが、世間を賑わせた食材偽装問題…。かくも「劣化」しきった日本のホテルが、失われた信用と信頼を取り戻し、外資系ホテルの再攻勢を迎え撃つことはできるのか?ホテル業界の最新動向から「観光立国ニッポンの未来」をも探る、憂国ルポルタージュ


ホテル業界の内情に精通した著者が、日本のホテルの現状を憂いた新書。
一連の「食品偽装問題」のなかでも阪急阪神ホテルズの偽装は、かなり大きく採りあげられました。
僕も「安い店の『偽装』は、あらためて暴露されてしまうといい気持ちはしないけど、あの値段なら、そういうものだろうな」と、けっこう諦めがついたのです。
でも、ホテルのレストランの場合は「高いし、値段ほど美味しいとは思えないことも多いけれど、材料とかはちゃんとしているのだろうな」と信じていたんですよね。


著者は、この偽装問題について、こんなふうに述べています。

 お気づきだろうか。食材偽装に汚染されたホテルグループチェーンの多くが。”鉄道系”なのだ。
 今回の食品偽装を招いた大きな原因のひとつに、鉄道系ホテルチェーンの購買担当者が採用した”ネットによる食材の仕入れシステム”があった。従来、食材の仕入れに関しては、ホテルの購買担当者が卸売業者とフェイス・トゥー・フェイスで行い、高級ホテルが使うにふさわしい食材をシェフや調理部長とも相談して仕入れていた。それをネットによる購買システムに変えたことから、少しでも安ければ、過去に取引実績のないネット専門の卸売業者でも参入できるようになった。このネット仕入システムを始めたのが、阪急阪神ホテルズなのだ。それを他の鉄道系ホテルチェーンも、続々と採り入れていったのである。
 その結果、何が起こったのか。あるシティホテルのシェフがいう。
「安い食材というのは、質が悪かったり、料理に適さない部位が多かったりするので、その部分は調理の際、切り取ってゴミとして捨てざるを得ない。つまり、安い食材を使えば使うほど、キッチンのゴミ箱がすぐにいっぱいになってしまう。その結果、業者に頼んで有料ゴミとして捨てなければなりません。つまり、安い食材を買えば買うほど多くのゴミが出て、お金を払ってまで捨てることになる。反対に、いい食材を買えば、値段は高価ですが、部位のほとんどが有効に使えます。そして、食べたお客様も満足する。その結果、レストランの味がいいということで、ホテルも繁盛していくのです」
 コスト削減を重視するあまり、結果として高級ホテルとはまったく反対のことを、鉄道系のホテルチェーンはやっていたのだ。

 日本の長年の不況により、ホテル業界では、ホテルというサービスの現場をよく知らない経営陣による「コストカット重視」が推進されてきました。
 コスト削減のしわ寄せは従業員にも大きく影響し、経験豊富なホテルマンたちは職を追われ、サービスの多くは外注となりました。
 働いているスタッフは、安い賃金で長時間労働を余儀なくされ、今後の展望も見えず、有能な人の多くが疲れ果てて現場を去っていったのです。
 ホテルの「ブラック企業化」は、サービスの質を低下させ、経験の伝承を不可能にしました。
 あの「食品偽装」は、そんな「コストカット第一主義」の一例であって、もちろんそれは、”鉄道系”に限ったことではありません。
 この新書を読んでいると、老舗の『帝国ホテル』のように、この時代にも高級ホテルとしての伝統と矜持を守ろうとしているところもあるんですけどね。


 著者が指摘している「日本のホテルの劣化」には、頷けるところが多いのです。
 ただ、セレブではない僕にとっては、「著者のこだわりは理解できるけど、僕は今くらいでもいいなあ」とも思うんですよね。

 ところが、日本のホテルでは最近、朝食のみならず、ランチタイムからディナータイムまで一日中、ずっとブッフェ・スタイルというレストラン形態が増えている。
 なぜか――。日本のホテルでブッフェ・レストランが流行る第一の理由は、客が喜ぶからではない。ブッフェ・スタイルにする第一の理由は、客が自ら料理を取りにいくので、サービスする手間が省けるからなのだ。つまり、着席スタイルでコース料理や単品のアラカルト・メニューを注文するオーソドックスなレストランよりも、サービススタッフの数が少なくて済み、人件費が安く上がるため、こぞってブッフェ・スタイルにするのである。
 第二の理由は、ブッフェ・スタイルにすれば、サービススタッフが経験不足でも務まることだ。ブッフェでは、サービススタッフ自身がいちいち客の注文を書き取る必要もないし、発注ミスもない。客が自分で好きな料理を取りにいくからである。
 しかも、どんな客でもブッフェ・サービスを利用すれば、食事をたくさん食べようが食べまいが、ランチなら四千円前後、ディナーなら六千円前後の料金を取られる。

 フランスでも、パリのカフェなどに行くと、「ギャルソン」と呼ばれるウエイターが軽食や飲み物を持ってきて、客が席を立つときにサービスに見合うチップを乗せて支払う。小銭がなかったらチップの金額を告げ、いくら取ってくれといえば、それを引いた金額をお釣りとして返してくれる。
 このようにサービスする側は、店内の決まったシートの顧客から徴収するサービス料と安価なチップで、生計を立てている。
 つまり、スタッフといえども、各テーブルを預かってビジネスをする「自営業者」なのだ。
 その結果、基本給が安くとも、より多くのサービス業をもらえるように、必死になってサービスをする。サービスを受ける客側も、自分の好みや注文、TPOに応じた都合などをいって、それを実現してもらう。サービスが実現したら、それに応じてチップを払う。
 ところが日本のホテルのサービス料は、どこでも一律10%だ。ベテランスタッフ、新人スタッフ、どちらが担当しようと、運ぶ途中にあわててカップをひっくり返そうとも、一律10%、黙って徴収している。
 客側からすると、このウエイトレスは親切で、気の利いたサービスをしてくれたので、20%払ってもいい、というときがあるかもしれない。逆に、この新人ウエイターは注文の品を間違え、しかもズボンにコーヒーをかけられたので、サービス料など払いたくない、という場合があるかもしれない。だが日本のホテルでは、そのサービスがよかろうが悪かろうが、一律10%なのである。
 こんな不平等で”共産主義的”な労働システムがあるだろうか。

 ブッフェにしても、このチップの話にしても、著者の主張はよくわかります。
 ただ、僕としてはブッフェや「サービス料10%込み、チップなし」のほうが、ラクだよなあ、と思うんですよね。
 後者の場合、サービスする側にも「緊張感」があるのでしょうけど、こちらはそれを「評価」するために、相手のサービスをチェックしなければなりません。
 正直、いまの日本のホテルやレストランの平均的なサービスのレベルであれば、いちいち「チップをいくらにしようか……」と考えこまなくて済むほうが、ありがたいのです。
 もちろん、僕自身がそういうシステムに不慣れだというのが大きくて、ずっとそれでやってきた欧米人にとっては、「相手のサービスにかかわらず、同じチップだというのはおかしい」と思うのでしょうけど……

 
 著者も別にブッフェを否定しているわけではないのです。
 本来なら、個々のお客さんに作りたての美味しい料理を提供するはずのメインダイニングをやめて、安易にブッフェにしてしまうのは「高級ホテル」としては間違っているのではないか?と問題提起されているのです。
 ビジネスホテルのように「安く清潔な部屋に泊まること」に特化したホテルにそういう「高級ホテルとしてのスタンダード」を求めているわけではありません。

 長引くデフレ不況とともに、各ホテルが力を入れはじめたのが、シティホテルとビジネスホテルとの境界をなくした宿泊特化型の”ちょい高級”ビジネスホテルである。
 それまで日本のホテル業界は、超高級の外資系スモール・ラグジュアリー・ホテルを筆頭に、一泊二万円台の「国内大型グランドホテル」や一泊一万五千円前後の「高級ホテル」(いわゆるファーストホテル)に分かれていた。それ以下は、宿泊施設のみでレストランはないという一泊八千円台のビジネスホテルの市場に分けられてきたのだが、ファーストホテルとビジネスホテルの中間に、新たな「宿泊特化型ホテル」のマーケットを打ち出してきたのだ。
 こうしたホテルでは、宴会場はなく、小じゃれたカフェやレストランがあるだけだ。客室は、10〜13㎡と狭いビジネスホテルに比べ、シングルでも15㎡以上、シングル主体のビジネスホテルに比べ、ダブルやツインルームも多く確保している。
 最近、私もこうした宿泊施設に体験も兼ねてよく泊まるようになったが、正直いってこれらは本来の「ホテル」のジャンルには含まれない。正しくは「イン」と呼ぶべきものだ。
 「ホテル」と名乗るからには、人びとの食を満足させるおいしい食卓(キュイジーヌ)と快適さ(カンファタブル)、そして清潔性(クリンリネス)を兼ね備え、多くの人びとが集まる宴会場をもたなければならない。海外でホテルといえば、通常は「グランドホテル」を意味するが、これは、客室のほか、レストラン、宴会場、プール、フィットネス・ジムなどの”プラザ機能”も備えたフルスペックのホテルを指す。
 そうでなければ、「ホテル」とは呼べない。

 長い景気低迷とコストカットのために、日本には「ホテルと名乗るべきではなくなってしまったホテル」ばかりになってしまったと、著者は嘆いているのです。
 ああ、なるほどなあ、と。
 そして、この状況では、2020年の東京オリンピック開催などで増えることが予想される海外からの観光客、なかでも「良いサービスには、金に糸目をつけないセレブ」を満足させることは難しいのではないか、と危惧しておられます。
 僕などからすれば、「最近は、コンパクトで快適なホテルが安くなったし、高級ホテルとよばれるところも、ちょっとムリすれば泊まれるくらいの価格になって、いい時代だなあ」なんて考えてしまうところもあるのですけど。


 オリンピックまで、あと6年。
 ホテルのような大きな事業にたずさわる人にとっては、けっして「まだ先の話」ではないようです。
 むしろ、「時間が足りない」くらい。
 円安で海外からの観光客が増えていることもあり、これからオリンピックに向けて、日本のホテル事情も劇的に変化すると著者は予想しています。
 それで、ホテルで働く人たちの労働環境が、少しずつでも改善していくと良いのですけどね。
 やっぱり、つらい環境で働いている人に、すばらしいサービスを要求するのは酷だと思うから。

 

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