- 作者: 藻谷浩介/ 山田桂一郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2016/11/16
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
- 作者: 藻谷浩介,山田桂一郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2016/11/25
- メディア: Kindle版
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内容(「BOOK」データベースより)
爆買い、インバウンド、東京オリンピック…。訪日外国人の急増とデフレの慢性化で、国策としての「観光立国」への期待が急速に高まってきた。しかし、日本のリゾート・観光地の現場には、いまだに「団体・格安・一泊二日」の旧来型モデルに安住している「地域のボスゾンビ」たちが跋扈している。日本を真の「観光立国」たらしめるには何が必要なのか。地域振興のエキスパートと観光のカリスマが徹底討論。
「観光業界のカリスマ」二人による「観光立国をめざす日本」の現状分析とこれから、について。
日本への外国人観光客が増加してきていることが、ニュースで伝えられています。
最近はやや勢いが衰えているようですが、中国人観光客の「爆買い」によって潤っている店、なんていうのもかなり大きく報道されてきました。
僕にとってはもっとも近場の「都会」である博多に行ってみると、こんなにアジアからの観光客がたくさん来ているのか、と驚かされるのです。
しかしながら、東京オリンピックを控え、「おもてなし」で観光立国をめざす日本の「観光業界」には、まだまだ問題点が山積みなようです。
著者のひとりである山田桂一郎さんは、スイスのツェルマット在住で、スイスの「ブルガーマインデ」という住民主体の地域経営組織を模範として、日本の観光地の再生を試みておられるそうです。
お役所や補助金頼みではなくて、住民たちが自発的に「地域全体の発展」をめざすことによって、魅力を高め、観光客を増やしていこうとしているのです。
実際のところ、どんなに有名な、素晴らしいホテルや旅館が一軒あったとしても、その旅館そのものはさておき、地域全体の活性化にはつながらない。
山田さんは、それを和倉温泉と『加賀屋』を例示して説明されています。
『加賀屋』がどんなに有名で素晴らしい旅館であっても、和倉温泉全体がそのおかげで賑わっている、という状況ではないようです。
多くの旅行客は、『加賀屋』が空いていなければ、他の温泉地に向かってしまうだけ。
それでも、そういう「象徴」が無いよりはずっとマシ、なのかもしれませんが。
現在の観光は「団体客をツアーで呼んできて、安くて画一的なサービスをしていれば良い」時代ではなくなっているのに、そういう古い感覚に縛られている人が少なくないのです。
個人単位で、同じところに長期間滞在してくれるリピーターを獲得する、というのが世界の観光業では重視されていいるのもかかわらず。
残念ながら日本の観光・リゾート地のほとんどは、そういった厳しいリピーター獲得競争を知らないまま、ひたすら一見客だけを相手に商売を続けてきました。特に高度成長期からバブル期、近年までずっと一拍だけの団体客メインでやってきたために、せっかく二泊、三泊と連泊を希望している個人のお客様に対して、二泊目以降の夕食を出せなくなってしまう旅館やホテルが未だに存在しています。もしくは、そういう個人客にも団体用のビュッフェスタイルの食事でごまかしています。
経営的に見ればどう考えても長期滞在者の方がありがたいはずなのに、そういう一番大切な顧客を満足させるノウハウを持っていないのです。このことは、日本の観光業界において「リピーターあってこそのサービス業」というビジネスの常識すら共有されていない証拠と言えます。
昔々、画一的な団体旅行が主流だった時代は、それでも問題なかったかもしれません。しかし、これだけ価値観が多様化し、インターネットでいくらでも情報が得られる時代、その手法が通用しないのは明らかです。実際、宿泊者数ではなく消費額ベースで見ると、団体客のシェアはすでに全体の約1割です。つまり業界の売上の約9割が、今では個人によって支えられています。しかし、そういう現実は理解していても、古いタイプの事業者というのは自らマーケティングをしてきた経験もありません。そもそも自分たちの魅力について真剣に考えたこともないため、どういう層のお客様にどのような商品提供や情報発信をすればよいかも分からないのです。その結果、やみくもな価格競争に巻き込まれてしまうケースが多くなってしまうのです。
さらに困るのは、寂れた観光・リゾート地ほど、そういった老舗旅館や大型ホテルの経営者が地元観光連盟のトップや役員になどに君臨していることです。
既得権にどっぷり浸かった古株の中には、自分たちの無策を棚に上げて、お役所から予算を引っ張ることしか頭似ない人も多々います。観光産業を狭い枠でしか捉えられず、社会全体の中に位置付けることができないため、お客様から見放された真の原因を見抜いていません。
著者たちは、こういう「既得権にどっぷり浸かっていて、いまの情勢を理解しようとせず、新しいことをやろうとしている若い経営者たちの邪魔ばかりする人」を「ボスキャラ」と呼んで嘆いています。
観光業というのは、どうしても行政とのつながりが大きくなりがちなので、地方自治体の首長が変わるとそれにともなって方針も180度転換されるようなことが起こりがちでもあります。
山田さんも「あとがき」に、「この本を執筆しているあいだにも、成功例として紹介しようとしていたところがうまくいかなくなってしまった」と、その栄枯盛衰の激しさについて書かれています。
「団体客は1割だけ」というのを読んで、旅行業界に無知な僕も「そんなに少ないのか」と驚いてしまいました。
著者たちが述べているのは、「観光業」というのは、経営者側からは宣伝やツアー客の誘致、そして「価格」ばかりが重視されがちだけれど、顧客は「ここでしか味わえない、特別な体験をする」ことが第一の目的なのだ、ということなのです。
そして、地域全体の活性化を考えないと、長い目でみればうまくいくことはないのです。
(スイスのツェルマットでは)レストランで使う食材やホテルの備品にしても、「地元で買う・地元を使う」の思想は徹底しています。多少コストが高く付いたとしても、地域内でお金を使ってキャッシュフローを活発にした方が、結局は地元のためになる。この考え方はツェルマットが観光・リゾート地としてスタートした19世紀末から一貫して変わりません。もちろん、質が悪いものを扱うと厳しく指摘されますから経営努力を怠ることはできません。
今、日本の観光・リゾート地に一番欠けているのが、この「地域内でお金を回す」という意識ではないでしょうか。特に近年は、目先の価格競争に気を取られ、1円でも安い業者から食材・資材を購入しようと躍起になっている事業者が増えています。しかし、そうやって無理に利益を出しても、地元の生産者や業者が倒れてしまえば、結局はその地域の活力そのものがなくなってしまいます。
観光客は、人々が幸せそうに暮らしている土地にこそ、長期滞在したがるのです。
住んでいる人が居心地悪そうにしていれば、どんなに設備が豪華でも、そこの雰囲気は悪くなってしまいます。
この新書の後半は、ふたりの著者の対談なのですが、ふたりとも歯に衣着せぬ言葉で、現在の日本の観光業界を憂いておられます。
旅行に関する話って、どうしても「PR込み」みたいなものが多くて、批判は表に出てこないことが多いのですが、「実態がわかる」というか、僕の「実感」に近いものをようやく読めた気がします。
藻谷浩介:行政がすすめているガイド養成事業についても、山田さんは「ボランティアガイドばかり増えていてプロとしては使えない」と指摘されていますよね。熊野古道などではガイドをちゃんとプロにするぞという考えを持って、養成事業に税金も使ってきたわけですが、これは相対的にはマシと言えるんでしょうか。
山田桂一郎:これも全国的に同じ問題を抱えているのですが、どこも的を射ていないというか、極めて効率が悪い。例えば、行政が主催するガイド養成講座は平日の昼間中に開催することが多く、基本的にリタイアした暇なおじさんおばさんしか参加出来ません。しかも、稼ぐ気がなく生涯学習の講座のような感覚で参加しているので、ビジネスの話をすると文句を言う人までいます。これでは、他に仕事を持った人たちや既にガイド業で活躍している人たちがスキルを磨いて食っていきたいと思っても参加出来ません。
きつい言い方に聞こえるかも知れませんが、私は「質の低いボランティアガイドはストーカーと同じである」と言っています。相手が何を望んでいるのかも確かめず、自分の知識をひけらかすように上から目線でひたすらしゃべり続けて観光客につきまとっているわけですから。
「ストーカーと同じ」というのは確かにキツい言葉ではありますが、「ありがた迷惑」みたいな場合ってありますよね。
「知識」だけあって、人と接する技術みたいなものが欠けている人も少なくないし、「善意」というのは、「正しいこと」だけに、押し売りになってしまいやすいのです。
ちなみに、現在旅行会社を使って旅行する人は、(切符だけの購入なども含めて)全体の約3割くらいだそうです。
それも、高齢者の割合が高い。
ネットの普及によって、旅行のしかたは、大きく変わってきているのです。
それを自分の感覚として理解している若手経営者と、その上の年代とには、まだ深い溝があるようです。
藻谷:観光地は地域としてまとまって行動しなきゃダメですよという話をすると、若い世代は比較的分かってくれる。なぜかというと、いい時代を知らないから。
旅行業界のアンシャンレジーム構造がなぜできたかというと、戦後、旅行の「リョ」の字も知らない人たちが一生に一回ぐらいは旅行に行ける時代になり、さらに一年に一回ぐらい行ける時代になったので、今の中国人による爆買いみたいな現象が国内で起きたわけです。素人さんが大勢旅行に行くので案内業、つまり旅行代理店が大成長を遂げるという時代が70年代にあった。年寄りの脳中にはその残像がいまもあるんだけど、そんなのを知らない若い人たちは、昔の常識は役に立たないと分かっている。旅館だって、飲食店と同じように直接ネットで見て自分で選ぶと分かっている。だけど、旧来型の人たちがまだ生き残っていて、客が来ないと「お前ら観光協会のプロモーションが悪いからだ。だから俺に実権を戻せ」となってしまう。有名観光地で起きているのはそういうことですよね。せっかく若手が頑張ってやろうとしたり、北陸の某有名温泉のように県の観光担当が事情を分かって指導していたところで、突然先祖返りが起きてしまう。もしくは、世代交代を全くせずに老害が残る。
山田:まあ、戻ってきても考えることは単純な宣伝や広報が中心で、例えばいきなり知事のところへ行って「大河ドラマか朝ドラを引っ張ってこい」と訴えたりするから、行政側も頭抱えますよ。
藻谷:つまり彼らは、「知名度が落ちているから客が来ない」という認識なんですよね。松下村塾のあった山口県の萩は二年に一度は大河ドラマに出ているのけれど旧態依然の事業者の巣のようになっています。関ヶ原も同じく二年に一回は大河ドラマに出るけど、誰も観光に行かない。事実に照らして考えればわかりそうなものですが、考えない。ましてや知名度ではなく自分の経営が悪いと考えることはない。
人というのは、自分の「成功体験」に引きずられやすいのです。
そして、「良い時代を知らないからこそ、若い世代はわかってくれる」というのは、なるほどなあ、と。
言われてみれば、「大河ドラマの経済効果」っていうのもそんなに長続きするものではないのです。
人気アニメの「聖地」として観光客を集めるようになったところもありますが、それらの地域は「知名度アップ」だけに頼るのではなくて、ファンを喜ばせるような工夫をずっと続けているのです。
「事実に照らして考えればわかりそうなものなのに、考えない」
これは、観光業だけの話ではないんですよね、自戒せねば。
東京オリンピックの経済効果について、山田桂一郎さんはこう仰っています。
山田:ただ次回の東京に関して言えば、そもそも言われているような経済効果はないですよ。都市圏人口もGDPも世界最大の都会で、元々が巨大ですから、オリンピックのプラスなんてほとんどないのです。東京でのオリンピック効果と、鳥取での国体の効果は、比率で考えれば後者の方が大きいですね。そしてどちらもたいしたことはない。
東京くらい、もともとの経済規模が大きなところでは、オリンピックの効果もたかがしれている、というのは、たしかにそうだろうな、と思うのです。
ただ、直接の効果というより「期待感」で経済が動いているような感じもするので、終わったあとの反動はかなりあるかもしれませんね。
日本は「観光立国」にはまだまだほど遠い、ということがわかる新書ではありますが、だからこそ、まだ「伸びしろ」が多く残されているのではないか、という気もするのです。
観光業のみならず、サービス業に従事している人は、読んで損はしないと思います。
- 作者: 飯田泰之,木下斉,川崎一泰,入山章栄,林直樹,熊谷俊人
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2016/05/27
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