琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】ダメなときほど運はたまる ☆☆☆



Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
「僕は運だけで生きてきたんだ。だから運については一家言あるの」―。1970年代にコント55号でブレイクし、その後30%台という驚異の高視聴率番組を連発してテレビ界を席巻した著者。「みんな、運のため方、使い方を間違ってるんだよね」。どうにも運が向かない人たちに贈る、逆転人生の極意。


なんとなく手に取って読みはじめてみたのです。
最初のほうは「若い頃の苦労は、買ってでもせよ」とか「情けは人のためならず」とか、僕の親世代(1930〜40年代生まれ)が好きそうな人生訓が書かれた本なんだな、という感じでした。
萩本欽一さん、「欽ちゃん」といえば、1970年代前半生まれの僕の世代にとっては、物心ついたとき、ちょうど『欽ドン』『週刊欽曜日』『欽ちゃんのどこまでやるの』などの高視聴率番組の全盛期で、「お笑い界の大スター」だったんですよね。


その「大スター」が語る、成功の秘訣ですから、「ちょっと古くさいなあ」なんて思いつつも、けっこう楽しく読んでいました。

 受験勉強をするとか、サッカーの練習をするという「人の目に見える」努力の場合は、また別のコツがあります。
「努力は隠れてしろ」
「いいことをすれば必ず誰かが見ていてくれる」
 世間的にはこれがかっこいいってことになってるでしょ。でも、本当に隠れてやっていると、運の神様に見えないかもしれない。忙しいですからね、神様も。だから、一見隠れてるようだけど、だれか一人ぐらいには見てもらえるようにするのがいいの。
 だって、王さんのことを「畳が擦り切れるほどバットを振ってた。それぐらい振ったから世界のホームラン王が生まれた」って言うけど、どうしてそれがわかったの? 隠れて努力してたけど、一人ぐらいはそれを見てた人がいるから伝説として語られているんでしょ。
 だから受験勉強するときはお母さんにチラッと見えるようにドアを薄〜く開けておくとか、夜サッカーの練習をするときはコーチの家の近くでするとか、運のためにちょっとは工夫したほうがいいの。そうするとたまたまそれを見たお母さんやコーチが、神様の代わりに運をくれるかもしれないですからね。


完璧に「隠れて努力した」という人は、努力したことそのものが知られることがない。
皮肉なものではありますが、こういうちょっとズルいくらいのバランス感覚が、うまくやるためには大事なのかもしれません。


ちなみに、萩本さんがコメディアンを目指したのは、子どもの頃、家業が没落して借金取りに母親が土下座している姿を目の当たりにし「お金持ちになりたかったから」なのだそうです。
スポーツ選手や俳優になるのは無理だから、現実的な選択として、コメディアンを目指したのだとか。


この本の前半に書かれている、周囲の人との接し方や、つらい状況での生き方、考え方、自分の欠点を長所に変える発想などは、昔も今もそんなに変わりはないし、参考になると思います。

 僕はアドリブが得意と思われているけれど、それも欠点から生まれたの。極端なあがり症だったから、決められたセリフがあると緊張しちゃってぜんぜん言えない。だからアドリブでその場をしのぐしかなかったんです。
 自分のラジオ番組『欽ちゃんのドンといってみよう!!』(ニッポン放送)を始めるとき、リスナーからのハガキを読むことにしたのもそう。コント55号時代、「坂上二郎は芸があるので残るだろうが、萩本欽一は芸がないので残らないだろう」って活字に書かれたことがショックでね。そうか、僕には芸がないのか、それなら一人でなにかやるときには「芸」とは関係ないもので勝負すればいいやと思ったの。
 決められた台本じゃなくハガキなら僕にも間違わずに読めそうだし、自分に合ってる気がしたんです。それがフジテレビの『欽ちゃんのドンとやってみよう!』につながったんだから、考えようによっては『欽ドン』って欠点から生まれた番組ですよね。
 だから欠点がある人は運につながるの。もちろん、その欠点をどうすればいいのか真剣に考えて行動しないと、いつまでも欠点のままになっちゃいますけどね。


「欠点」も、やり方次第で、「長所」に変えることができるのです。
芸人さんというのは、自分のしゃべりに自信を持っているのが普通でしょうから、セリフもきちんと言えることを前提にしているでしょうし、自分の笑いに素人の力を借りようとは、なかなか思いつかないはずです。
ところが、萩本さんは、自分の「芸」に確信がなかったからこそ、「他人の力を利用する」というスタイルを確立することができたのです。


ただ、この本、ずっと読んでいくと、後半のほうになればなるほど、萩本さんの「運」についてのこだわりが、恐ろしくなってくるんですよね。
まるで「貯運モンスター」みたいだ、と圧倒されてしまいます。

 一緒に仕事をする人を選べるとしたら、なにを判断基準にします?
 僕の場合、才能だとか知識、学歴なんてどうでもいい。やっぱりまず顔だね。前に話したように、人間の顔にはその人のすべてが表れてますから。顔のなにを見るかというと、勝負に強そうかどうかを見るんです。
 それと僕は、さりげなく親のことも聞きますね。とてつもない運を持っている親から生まれた子は、間違いなく強運を持っているから。


実際に起こった「良くないこと」を、「それで運がたまっていくのだから」と前向きに考えるというのは、(僕自身の考え方はさておき)理解できるのですが、萩本さんの「運をためる、あるいは運を無駄に使ってしまわないようにするためのやり方」は、あまりに徹底していて、僕は読みながら「ドン引き」してしまいました。
これでは、周囲の人は大変だろうな、と。

 毎週放送する番組には大勢のスタッフが関わるから、大きな家族みたいなものでしょ。だから番組の視聴率が落ちたら、スタッフのだれかがでっかい運を仕事以外で使ったんじゃないかと思っちゃう。
 実際、こんなことがあったんですよ。ある番組の数字が急に落ちたから、スタッフみんなの前でこう言ったの。
「だれかこのなかでマンションでも買って運を使ったやつがいるような気がする」
 そうしたら番組のプロデューサーが、そおっと手をあげて、
「僕です。マンション、買いました」
 そのプロデューサー、そのあとどうしたと思います? 自分のせいで視聴率を下げたんだから自分がなんとかしようと思って、買ったばかりのマンションのカギを川に投げ捨てたんですって。それで二度とその部屋には帰らなかった……という伝説が残ってます。まさか、ふつうはそこまでしないよって思うでしょ? 僕もちょっとだけ疑ってました。で、20年ぐらい経ったとき、「マンションの鍵を捨てたっていうあの話、今でも伝説として語られているけど、ほんとはどうだったの? もう時効だから真実を語れ」
 って本人に確かめたら、ほんとに投げたんだって。しかも、もっとすごい後日談もあったの。
「あのころ結婚しようと思う人がいて、あのマンションは新居用に買ったんですよ。でもマンションを買った僕が数字を下げたって大将(萩本さん)に言われたんで、マンションも使えないし、結婚もできなくなっちゃった。いや、その彼女と別れたわけじゃないんです。一緒にはなったんですよ。でも結婚式をあげると、もしまた数字が下がったとき『お前が結婚したせいだ』って言われると思って、しばらく籍を入れずに同棲してました」
 うれしいよね。こういう話を聞くと、家族の話から仲間の話になっちゃったけど、こういうスタッフに恵まれたから番組に運がきたんです。

 プロデューサーのマンションの話を聞いて「うれしい」と語っている欽ちゃん。
 それって、いまの僕からみると、「狂ってる」ように見えます。
 マンションを買ったことと番組の視聴率に因果関係があるはずがないと思うし。

 家族のなかで不運な人が出ないようにするためには、動物をたくさん飼うといいんです。動物も家族だから、運を大勢で分けられるじゃない。イヌでもネコでも、人間が飼う動物は人間より寿命が短いし、死ぬ前に病気もするだろうから、悪い運を持っていってくれるの。その代わり一生懸命かわいがらないと、彼らに行くはずの不運が人間にきますよ。
 僕もテレビ番組が当たり始めてきたとき、これは動物家族を増やさないといけないと思って、奥さんに言ったの。
「イヌとかネコとか飼おうよ。そうしないと子供が入院するかもしれないから」

 だけどそのうち、ネコだけじゃ間に合わないぐらい番組の人気がすごくなってきちゃった。
 こりゃあまずい。ネコとイヌ、100匹ずつ飼わないといけないぐらいの運がきてる。でもイヌネコはそんなに飼えないから、金魚を100匹買ってこよう。
 そう思って大きな水槽で金魚を飼育したら、毎日一匹ずつぐらい死ぬんですよ。金魚って割合弱いのね。でももちろん死なせるのが目的じゃないから、毎日水を変えて餌もやって一生懸命世話してたんだけど、やっぱり二日に一匹ぐらいは死んじゃう。それでかわいそうになってきてね、金魚飼育はやめました。
 僕は知らなかったけど、この金魚の話って芸能界ではけっこう有名らしいの。伝説になって芸能界に伝わっていたんです。萩本欽一は自分の運を守るために、毎日金魚を殺していた――そんな恐ろしい話になっちゃってました。ある番組で一緒になったタレントの女の子に、こう直接質問されたときはびっくりしたなあ。
「欽ちゃんって毎日一匹ずつ金魚を殺してたってほんとですか?」
 そう聞かれたの。それほど僕、ひどいやつじゃないですよ。


 さすがに、「それほどひどいやつ」ではなかったのかもしれませんが、この「動物をたくさん飼って、悪い運を持っていってもらう」というのは、「身代わり」という発想ですよね。
 ちゃんと世話はしているとしても、金魚ですから、何匹かずつ死んでいくのは目に見えているわけで。
 死んだ金魚をみて、「これで悪い運を持っていってもらった」というのは、「手を下して殺す」ほど残酷ではないけれど、それはそれでけっこう怖いなあ、と。

 
「萩本基準」は傍からみていると「異様」なのだけれども、実際に芸能界、テレビの世界という「特殊な場所」で成功していれば、みんな「欽ちゃんはすごい」と受け入れてしまっていたのですよね。
この本を読むと、けっこう無茶苦茶やっているように思われるけれど、萩本さんの元で修行をして放送作家として現在活躍している人も、大勢いるのです。
ここでは語られていないけれど、「笑い」に対するセンスとか、徹底的に突き詰める執念みたいなものがあったからこそ、萩本さんはここまで成功できたと思うんですよ。
金魚100匹飼ってるだけで大スターになれるんだったら、みんなそうするでしょうし。
周りにとっては、「大将って、コメディアンとしては凄いけど、あの『運への過剰なこだわり』だけは、どうにかならないかねえ……」という感じだったのでしょうか、それとも、「そのこだわりの異様さが、大スターとしての『伝説化』に役立っていた」のかなあ。


僕はいままで、「実力だけではなく、幸運もあって、成功した人」をたくさんみてきました。
成功者でも「オレの実力でうまくいった」という人よりも「運が良かっただけですよ」と謙遜してみせる人のほうが、一般的に好感度は高くなるでしょう。
しかしながら、この本を読んでいると「すべては運のおかげ」だと考えている人のほうが「傲慢」「理不尽」になってしまうこともあるのだな、と思ったんですよ。
「努力が足りないから、努力しろ」というのは、程度問題ですが、言われたほうも理解はできます。
「番組の視聴率が下がったから、面白い企画を考えろ」というオーダーなら、できるかどうはさておき「そうしなくてはいけないだろうな」と納得しますよね。
でも、「視聴率が下がったのは、お前がマンション買って、運を使ったからだ」なんて言われたら、「そんなの関係ないだろ!」と言い返したくなりますよね。
そんな「狂気」にとらわれた男と、それに巻き込まれ、彼を信じた人たちが「お茶の間で、ふつうの家族が笑う、超人気番組」をつくっていたというのは、なんだかとても不思議な気がしました。
考えてみれば、テレビや芸術の歴史って、「アブノーマルな人たちがつくってきたもの」なんですよね。
「ふつうの人が、ふつうに作ったもの」は、「ふつうの受け手」には、喜ばれない。


これって、ありきたりな人生訓のようにみえますが、実際は『トンデモ本』のカテゴリーに入れても良いんじゃないかと思います。
でも、成功者の場合は、こういうのが正当化されがちなんだよなあ。
人生って、「結果論」なんですよね……

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