- 作者: 若林正恭
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/メディアファクトリー
- 発売日: 2015/12/25
- メディア: 文庫
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内容(「BOOK」データベースより)
中二病全開の自意識を閉じ込めて、社会への参加方法を模索した問題作!ダ・ヴィンチ連載の読者支持第1位!オードリー若林の社会人シリーズが、待望の書籍化。社会を生き抜くための“気づき”がここに。すべての社会人へのエール。
僕はお笑いに詳しくないのですが、「オードリー」は知っています。
とはいえ、僕の最近までのオードリーの印象は、「あの春日」と、もうひとりの、なんか普通っぽいひと、でした。
最近、この本などで、「実は、普通っぽくみえる若林正恭さんのほうが、はるかに、いろんなものをこじらせた人である」ことを知ったのです。
人って、見かけによらないもの、だよねえ。
この『ダ・ヴィンチ』に連載されていたエッセイ集を読んでいくと、若林さんの人見知りっぷりや、世界に対する斜に構えた態度など、「あなたは僕ですか?」と言いたくなってくるんですよね。
売れてしまったら、慣れたり、迎合してしまう人も多いし、そのほうが「普通」なのかもしれないけれども、若林さんは、ずっと「ここじゃない感じ」を持ち続けているのです。
このエッセイがかなり支持されていることからは、こういう人は若林さんと僕だけじゃなくて、この世界にたくさんいるのでしょうね。
「そういう人がけっこういる」ということに対して、安心するのと同時に、「なんかつまんないな」と、感じる自分もいるのです。
若林さんも、たぶん、そうなんじゃないかな。
それにしても、若林さんの「自意識過剰っぷり」には、「自意識過剰派」の僕も、「これは負けたかも……」と思いました。まあ、そんなの勝っても何も良いことはないのだけれども。
あと、スタバとかでコーヒーを頼む時に「トール」と言うのがなんか恥ずかしい。「グランデ」なんて絶対言えないから頼んだことがない。S、M、Lなら言える。その前にスタバに行くこと自体が恥ずかしい。ぼくは「スタバ」で「キャラメルフラペチーノ」の「グランデ」を飲んでいるところに知り合いが来たら窓を破って逃げる。
「パスタ」と言うのも恥ずかしい。だから、「お昼ご飯何食べた?」と聞かれた時に本当はパスタを食べたんだけど、「パスタ」と答えるのが嫌だから「何も食べてない」と答えたことがある。
お昼ご飯をランチとか、デザートをスイーツもそうだが、ちょいちょいオシャレな言い方にしないでほしい。言う時に恥ずかしいから。内容は変わらないのに、何かとオシャレに見せて売上に繋げようとする店側の狡猾な仕業、眉唾だぜ。
このあいだ商店街を歩いていて「ウォーキングアイス」と書かれていたのでなんだろうと覗いてみたら、ただの「かき氷」だった。
さすがにないぜ。
ほんと、「スイーツ」なんて、誰が言い始めたんでしょうね。
まあ、これは「スイーツ」という言葉そのものに、ちょっと侮蔑的な意味が付加されてしまったこともあるんでしょうけど。
今の時代、自己啓発本を好んで読むような人は笑いの対象になりかねないが、ぼくはばかにはできない。人が本を読むそもそもの理由に自己啓発は多少なりとも含まれていると思う。
恥ずかしい話だが、僕はネガティブで消極的だという自覚が強くあったので思春期からついこのあいだまで「自分を変えたい」「違う自分になりたい」という気持ちが強かった。
20代の時は大成功を収めている会社の社長が書いた本や、イチローさんや将棋の羽生さんだとかの本をよく読んだ。
いつも明るくて前向きな友達が心底羨ましかった。毎日楽しくなかったから、そんなふうになりたいと願った。
物心ついた頃から「考え過ぎだよ」とよく言われる。
最近では、付き合いが長い人に「何度も言われてるとは思うけどさ」と前置きのジャブが入ってから「考え過ぎだよ」と言われるようになっている。避けれない。
考え過ぎて良いことと悪いことがある。ぼくの場合は考え過ぎて悪い方向に行っている。ということだろう。
みんなはなんで考え過ぎないで済むんだろう? どうすれば考え過ぎなくなれるのか? と、今度は考え過ぎない方法を考え過ぎていた。
これを読んで、子どもの頃、「無心になろう」と決心して、ずっと心の中で、「むしん〜むしん〜」と唱え続けていた自分のことを思い出さずにはいられませんでした。
自分も年を重ねてくると「いつも前向きで明るい人」も、昔からそうだったとは限らないし、内面にさまざなま問題を抱えながら、「明るくふるまうことを決心している人」もいることがわかってきたんですけどね。
これまでぼくは起きもしないことを想像して恐怖し、目の前の楽しさや没頭を疎かにしてきたのではないか?
深夜、部屋の隅で悩んでいる過去の自分に言ってやりたい。そのネガティブの穴の底に答えがあると思ってんだろうけど、20年調査した結果、それただの穴だよ。地上に出て没頭しなさい。もし今、大学一年生だったらみんなと一緒にバーベキューに行けた気がする。
この本を夜中に読みながら、「たしかに、今くらいの経験値で20歳のときに戻れたら、もっと、積極的に物事に向き合って、青春みたいなものを満喫できるかもしれないな……」と思ったんですよ。
ああ、あの頃の自分って、なんであんなに自分自身をややこしくしていたんだろう、って。
でも、隣で遊び疲れ、寝息をたてている息子の顔をみて、「まあ、いろいろあるけれど、コイツをリセットして20歳のときに戻るよりは、このままコンティニューだよな」と。
でも、みんなで海にバーベキューとか、行っておけばよかった!と悶々とする夜も、やっぱりあるのです。
この連載エッセイのなかで、若林さんは、NGワードを設定していたそうです。
それは「春日」。
人気者の相方のことを書けば、読者が喜ぶことは百も承知で、若林さんは、それを避けてきたのです。
別に不仲だからとかじゃなくて、「自分のエッセイだから、自分のことを書きたい」という気持ちから。
そう決めておかないと、「春日」という「ネタになる男」のことを書く誘惑に抗うのは、難しかったのかもしれません。
そんな若林さんが、この本の最後に収録されているエッセイで、春日さんに言及しています。
そこにいるだけで子どもたちに「春日だー!」と囲まれる相方を見て、最初は「見た目のインパクトが強いから」だと考えていたのですが、そのうち、「子どもたちは、春日という人間の自信や余裕に惹かれて集まってくるし、自分(若林さん)は余裕の無さを察知されて避けられるのだ」と思うようになったそうです。
春日は、正直本当に面白いことを言える人間じゃないと思う。でも、すごく面白い人間だと思う。それを、子どもの集まらないぼくは真横で見て楽しんでいる。自分に自信があって、特別、自己顕示するために自分を大きく見せる必要のないマトモな男だと思う。
あらためて考えてみると、春日さんって、「そんなに面白いことを言っている」わけじゃない。
そして、他人に対してあれこれ指図したり、誰かと自分を比較したりもしない。
ただ、「ここに自分自身がいることに確信を持っていて、楽しんでいる人」なんだよなあ。
そんな「マトモな男」が「異質な存在」として消費されているというのは、もしかしたら、ものすごくおかしなことなのかもしれません。
正直、「芸能人の本」ということで、そんなに期待せずに読み始めたのですが、なんだか自分のことをいろいろと思い出してしまいました。
もしあなたが、「いま、リアルタイムで、自分をこじらせている」のであれば、「何かのきっかけになりうる本」だと思いますよ。
有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方 (コア新書)
- 作者: てれびのスキマ
- 出版社/メーカー: コアマガジン
- 発売日: 2014/04/03
- メディア: 新書
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