琥珀色の戯言

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【読書感想】石油の「埋蔵量」は誰が決めるのか? ☆☆☆☆



Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
資源ナショナリズムが高まる今こそ、「教養」としてのエネルギー複眼思考を。商社でエネルギー部門に携わること40年以上の著者が、これまで誰も言わなかった石油「埋蔵量」のカラクリ、シェールガスの未来、「第5のエネルギー」の可能性をやさしく解説。資源が乏しい日本が選ぶべき道は?


 各地の原子力発電所の再稼働についての議論など、「エネルギー」は、ずっと大きな問題として認識され続けています。
 僕は原発の再稼働には反対なのですが、それは、事故が起こった場合に、何十平方キロメートルもの土地が住めなくなり、多くの人の命が失われるような「コントロール困難なもの」を未来に遺すべきではない、と考えているからです。
 それを意識しながら、この本を読んだのですが、僕は「エネルギー問題の基礎知識」を、あまりにも持っていないことに気づかされました。
 無理に原子力発電所を動かさなくても、今の日本では、石油や天然ガスの輸入を増やすことによって、エネルギーをまかなっているんだから、それで良いんじゃないか? 「シェールガス」っていうエネルギー源も、まだまだたくさんあるみたいだし。
 とか言いつつ、「シェールガス」っていうのがどういうものかも、あんまりよく知らなかったりするわけですよ。
 

 ちなみに、この本は原発再稼働を推進している内容ではありません。
 そして、再稼働に反対しているわけでもないのです。


 原発の話は、とりあえず置いて、いま、2014年の日本で利用されているエネルギー、とくに石油や天然ガスというエネルギーについての基礎知識を丁寧に教えてくれる新書です。


 たとえば、天然ガスのこんな話。

 天然ガスは気体であるため、パイプラインかLNG(液化天然ガス)しか輸送方法がない。アメリカから西欧へ、大西洋を横断してパイプラインで天然ガスを供給するのは非現実的だ。したがって、LNGとして輸送せざるをえない。しかし、現在、アメリカにはLNGを製造するためのガス液化装置は存在していない。意外に思われるかもしれないが、アメリカは長い間、天然ガスも輸入依存国のまま推移すると見られていた。だからガス気化装置を備えたLNG受入基地プロジェクトがいくつも進行していたのだ。
 ところが2000年代半ばからのシェールガス大増産により状況は一変した。天然ガス需給ギャップが逆転し、余剰となったガスを輸出することが視野に入ってきた。そのため、現在いくつかのLNG製造・輸出基地プロジェクトが進行中だが、液化基地が完成し、物理的に輸出が可能となるのは早くても2015年末から2016年初めでしかない。さらに、本文で詳しく説明するLNGビジネスの特性から、現在建設中および建設開始直前の製造基地で生産されるLNGはすべて引取先が決まっており、政府といえども勝手に輸出先を変更することはできないのだ。だからLNG輸出ができるようになったとしても、それが西欧に向かう保障はない。


 この新書に掲載されているBPの統計によると、日本の電源燃料の構成比率は、以下のようになっているそうです。

2010年:石炭 25.0% 石油 7.5% 天然ガス 29.3% 原子力 29.6% 水力 8.5% 再生エネルギー 1.1%
2013年:石炭 30.3% 石油 14.9% 天然ガス 43.2% 原子力 1.0% 水力 8.5% 再生エネルギー 2.2%

 原子力発電所が停止している分を、石油と天然ガス、石炭でカバーしているのです。
 ところが、天然ガスは、先述したように「採掘場所から近いほうが、利用しやすいエネルギー」であり、また、採掘されているものの多くは、あらかじめ行き先が決まっているものなので、日本は「数少ない、行き先の決まっていない天然ガスを、割高な価格で買っている」ことになります。
 そのコストは、日本の貿易収支にも、大きな影響を与えているのです。
 また、今後のエネルギー情勢に大きな影響を与えるといわれるシェールガスも、存在は確認されていても、採掘が難しい場所にあったり、採掘は可能であっても、それを使う場所まで輸送するパイプラインの距離が長くなりすぎたりといった問題点が多々あって、アメリカ以外ではコストが高くなりすぎ、すぐにエネルギー問題を改善することは、難しいようです。
 太陽光や風力や地熱などといった自然エネルギーも、現状では、大量に、安定して供給するのは難しいのが現実です。


 著者は、実際に世界各地の「エネルギー採掘の現場」をみてきた人なので、机上の理論ではなく、「エネルギーを効率的に利用することの難しさ」を語っています。
 そして、あまりにも大きな政策やイデオロギーの話になってしまって、基礎的な知識が抜けたまま議論が続いている現状に対して、警鐘を鳴らしてもいるのです。

 新聞などの報道では、EIA(アメリカエネルギー情報局)発表データがあたかも経済的に生産がほぼ可能な「埋蔵量」であるかのような表現を見かけるが、実は「技術的に回収可能な資源量」なのである。それでは「資源量」と「埋蔵量」の違いとは何なのだろうか?
 大雑把にいうと、「資源量」とは、地中に存在するすべての炭化水素量のことで、不確実性の高い順に「未発見資源量(unidentified resource)」、「推定資源量(estimated resouece)」、「原始資源量(in-place resource)」と呼ぶ。EIAが発表しているものは、「原始資源量」のうち「技術的に回収可能な資源量」である。これがどの程度、経済性を持って実際に生産できるかは現時点ではわからない。
 一方、「埋蔵量」とは、この「技術的に回収可能な資源量」のうち、通常の方法で経済的な採掘が可能なものを言い、回収可能性の度合いに応じて「確認埋蔵量(proved resource=1P)」、「推定埋蔵量(probable reserve=2P)」、「予想埋蔵量(possible reserve=3P)」という。詳細な定義について共通なものはないが、一般的には90%以上の回収可能性がある場合を「確認埋蔵量」といい、50%以上の場合を「推定埋蔵量」、10%以上の場合を「予想埋蔵量」と呼ぶ。
 通常、「埋蔵量」と言うとき、それは「確認埋蔵量」を指し、ほぼ全量を経済性をもって生産する事が可能である。
 資源量と埋蔵量とはまったく異なった概念なのである。


 いくらそこに「石油や天然ガスが存在している」といっても、採掘するのに莫大なコストがかかるような場所では、それを利用するのは現実的ではないんですよね。
 著者は、この本のなかで、「どのようにして専門家は埋蔵量を推定しているのか」についても解説しています。
 僕が子供の頃は、「大人になるころには、石油が枯渇していまう」と言われていたものですが、採掘法の改善などで、いまだに石油は利用され続けています。
 もちろん、無から有を生み出すことはできないので、未来永劫に、というわけにはいかないでしょうけど。


 原子力発電の是非について語る前に、「エネルギーの基礎知識」くらいは、持っていて損はしないと思うんですよ。
 片方が経済を理由に再稼働の必要性を主張し、もう一方はリスクを理由に廃炉を主張しているという状況では、結局のところ、妥協できるところが見当たらないし。
 エネルギー問題というのは、経済的にも、政治的にも、そして、安全管理においても重要であり、多面的に考えていかなければならないのです。
 それはもちろん、「原発問題」に限らず。


 この本のなかで、著者が実際に体験した、ある国の話が紹介されています。

 ある時、ベトナムの後を追うようにして「タイも原子力発電所建設を検討する」とのニュースが流れた。「エネ懇」メンバーの中から、タイのエネルギー省高官を呼んで話を聞きたい、との希望が出され、早速ルートを通じてお願いをした。担当次官補を筆頭に数名のエネルギー省の役人が会合に来てくれた。なぜか年配者ばかりだった。その理由を彼らに聞いて納得した。
「タイでも原子力発電所導入の検討を20年以上前にしたことがある。だが事情があって、長い間、中断していた。今回、再び検討をしようということで、昔やっていた我々に招集がかかった。これから再検討を始めるが、原子力技術というのは簡単なものではない。この20年間のギャップは大きい。最近の若いタイ人には原子力を勉強している人がほとんどいない。これから検討を再開して、種々研究を重ね、実際に動いている原子力発電所で研修も行い、建設を始め、実際に運転ができるようになるのは、早くて今から20年後だろう」
 その後、東日本大震災を見て、タイ人はこの検討を中止したようだ。
 彼らの説明にあるように、原子力技術を我が物にするのには膨大な時間と費用のかかるものなのだ。不幸な被害を受けた我が国としては、再稼働問題にも慎重にならざるを得ないのだろうが、積み上げてきた技術、知見、経験は大きな財産だ。これを必要な国に対し、有効に使うべきであろう。


 あのチェルノブイリでいまも働いている人へのインタビューで、技術者が「原発にリスクはあるが、スイッチをオフにすれば、すぐに廃炉できるというものではない。それならば、放置しておくよりも、動かして電気を作りながらこまめに人間がメンテナンスしていったほうが、より安全なのではないか」と言っていました。
 それもまた、一理ある、というか、そのほうが現実的だな、とも思えるのです。
 ただ、廃止されていくためだけの技術には、有能な人材が集らないだろうし。

 
 ああ、結局また、原発の話になってしまった。
 この新書には、原発の話はほとんどなくて、賛否についても著者は語ろうとしていないことをあらためて付記しておきます。
 ここに語られているのは、あくまでも「エネルギーの基礎知識」なのです。
 エネルギーについて語るときに、最低限このくらいは知っておくべきだろう、という。


 ちょっと難しいな、と感じたところもありますが、新書レベルではあまり類書が思いあたらない、貴重な一冊です。

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