琥珀色の戯言

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【読書感想】英国一家、フランスを食べる ☆☆☆☆


英国一家、フランスを食べる

英国一家、フランスを食べる


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
ル・コルドン・ブルー」そしてジョエル・ロブション「ラトリエ」での猛特訓。ひたすらつくって食べて見つけた“料理の真実”とは?超名門フランス料理校で武者修行!ベストセラー『英国一家、日本を食べる』著者の最高傑作、遂に邦訳。


あの『英国一家、日本を食べる』の著者、マイケル・ブースさんの出世作
ちなみに、『英国一家、日本を食べる』以前に書かれたものです。


この本、本格的なフランス料理や、料理をつくることに興味がある人には、すごく面白いと思うんですよ。
これまでの「料理人の本」って、すごい才能を持った「伝説の料理人」が、苦労しながらも自分の才能を活かして成功していく物語ばかりだったので(いやまあ、挫折した人が本を書く、というのは考えにくいことのわけですし)、ブースさんのような「観察者」が、その世界に入り込んで、詳細にレポートすることはまず無かったので。
半分取材だったとしても、フランス料理界の最高峰の料理学校「ル・コルドン・ブルー」のカリキュラムを「体験入学」レベルではなく、ちゃんと上級コースまで自分で料理をつくって卒業し、最高峰のレストラン、ジョエル・ロブションの「ラトリエ」で研修生として働いた、というのは、すごいことだよな、と感心してしまいます。
 

ブースさんは、自分で料理をつくり、どんどんのめり込んでいくほどに、ある「ギャップ」を感じるようになったそうです。

 こうして僕はますます料理にのめりこんでいったが、それとともにギャップが広がるのを感じずにいられなかった。つまり、僕がキッチンでつくる、テレビの有名シェフもどきの料理と、自分のとりあげたレストランで食べる料理とのギャップだ。
 ミシュランの星つきレストランで食事をするようになってすぐ、デリア(有名シェフ)のレシピ通りの料理をつくれたって、料理ができることにはならないと気がついた。だいいち、レシピは最初から失敗することが目に見えている。どんなまぬけでもレシピ通りの料理はつくれるが、包み隠さずはっきり言うと「レシピはおいしくできない」のだ。
 あーあ、ついに言ってしまった。誰かが言わなきゃならなかった。出版業界の数億円規模の一角を敵に回してしまったが、これが紛れも無い事実だ。僕がいままで試したレシピのざっと4分の3に、なにかしらまちがいがあった。温度が高すぎたり、手順が省かれていたり、調理時間や材料を加えるタイミング、分量、材料自体がまちがっていることすらあった。ジェイミー・オリバーのレシピに一字一句忠実に従っても、しょっぱなにニンニクが焦げてしまったりする。シンプルを謳いながらどう見てもシンプルじゃないレシピ、わけのわからないレシピ、絶対にその通りにはつくれないレシピが多いのには本当に腹が立つ!

 ブースさんは、このあと、「それは著者だけの問題じゃない、というか、著者は自分の環境での作り方をちゃんと書いているのだろうけれど、キッチンの道具の状態や材料の質には人それぞれ違いがありすぎるので、同じものができるはずがない」と述べています。
 僕はこれを読んで、「ああ、この人は信用できるな」と思いました。
 というわけで、「本物のシェフが作る料理を体験してみたい」という、ブースさんのパリでの「冒険」がはじまるのです。


ル・コルドン・ブルー」は、フランス料理を学びたい人のための専門学校であり、著者はジャーナリストとしてではなく、ひとりの料理人志望者として、他の生徒と同じカリキュラムを受けていきます。

 デモと実習授業では、時間きっかりに授業をはじめられるよう、開始時刻ちょうどに出欠をとり、1分でも遅れると入室できない。4回遅刻すると基礎コースを落第になり、中級に進級できない。いかめしい顔をした責任者によると、基礎コースの30回目の最後の実習授業――まだ遠い先のように思われた――で最終試験が行われ、ここで落第しても、やはり次のレベルに進級できないという。このときうっかり聞き流していたのだが、試験に合格するにはあらかじめ指定された10種類のレシピを頭に叩きこまなくてはならない。当日のくじの結果でどの料理をつくるかが決まり、それからメモも見ず、シェフの指導や助けも一切受けずに、その料理をつくるのだ。


 かなり大変そうなんですよ、この学校。
 この本の原著が世に出たのは2008年なので、ここに描かれているのは、それ以前の「ル・コルドン・ブルー」の様子ということになります。
 日本人のシェフ志望者もところどころに出てきて(ブースさんとの交流はあまり描かれていませんが)、日本人はフランス料理が好きで、「本物のフランス料理」への憧れが強いのだな、ということもわかります。


 その一方で、世界の料理の「潮流」みたいなものは、「本物のフランス料理」からは、離れてきているのもまた事実。

 シェフと生徒の見方がちがうのも、無理のないことだ。ここ10年間で世界の超一流レストランは、純粋主義者と開拓者の2派に分かれた。固定客のいる伝統的なフランス料理を除けば、現代のレストラン料理はふたつの派閥にはっきり分かれている。
「食材本来の見た目と味わいを大切にする派」は、素材をなによりも大切にし、旬にこだわり、地場産の食材を必要以上の手間をかけずに粛々と調理する。料理をパッと見ただけで、なにが使われているかがわかる。ニンジンは見た目も味もニンジンで、ラムのもも肉はラムのもも肉の味がする。料理としてはたぶんこれが一番難しい。無駄を排した単純な表現を謳う芸術はみなそうだが、この料理法はごまかしが利かない。複雑なソースも使わず、風味を混ぜ合わせることもなく、人の目を欺くような演出もない。純粋主義者の技術は丸見えで、だからこそ最高の食材と正確で緻密な技術が求められる。
 他方「分子派」は、科学的根拠のある技術や器具を使って、食材をもとの姿とかけ離れた姿に変える。風船に香りを詰めてウェイターにテーブルで放出させたり、チョコレートからキクイモまでのあらゆるものを空気のような泡に変えたり、コース料理全体をスプーンの上の泡に濃縮したりする。
 この派閥に属するシェフは、技術と芸術の境界を大胆にとっ払い、風味は二の次にしてでも、料理が登場したときのインパクトを重視する。まるで宇宙食だ。

 僕自身は「分子派」の本格的なレストランに行ったことがないのですが、イメージだけでの判断としては、「そんな宇宙食みたいな料理、美味しそうには思えない」のだよなあ。
 とはいえ、世界のレストランの「流行の先端」は、「分子派」なんですよね。


 ちょっと気になったのは、この本のタイトルは『英国一家、フランスを食べる』なんですけど、マイケル・ブースさん以外の家族の出番は『日本を食べる』に比べると、圧倒的に少ないんですよね。
 本格的な「フランス料理の世界」を知りたい、というわけでもない(僕自身は自分で料理をほとんどやらないので、正直、これを読んでも、参考にはできませんし)僕としては、読んでいて、ちょっと眠くなってしまうところもあって。
 前作の「外国人からみた日本料理の世界」の面白さと、ブースさんの奥様、リスンさんと二人の子どもさんの率直すぎるリアクションに魅せられた人にとっては、「ちょっとフランス料理の話が多すぎる」かもしれません。
 自分自身が実体験することはまずありえない世界の話として、興味深くはあるのだけれど。


 これを読んでいて驚かされるのは、「ラトリエ」というレストランの職場としての厳しさでした。
 世界最高峰のレストランのスタッフでも、大部分の人は、けっして高収入ではないのです。

《ラトリエ》にはユーリや僕のほかにも、いろいろな料理学校出身の研修生がたくさんいた。全員が20代前半だった。彼らが強靭なスタミナをもち、どんなに退屈でつまらない仕事でもきちんとやり遂げるミツバチのような意志力にあふれていることを考えれば、僕がこのキッチンで出世の階段を上っていける見こみは皆無に等しかった。
 スタッフは朝8時にははたらき始め、店を出るのが深夜2時を回ることもザラだった。僕は3日間のシフトが終わる日曜にはまっすぐ立っていられなくなり、最後のサービスが終わるのをひたすら待った。仕事を中断したのは午後4時からの1時間の休憩だけで、デュ・バック通りの小さな公園のベンチで居眠りをした。
 午後8時ごろ、僕はふと目を上げて回りで料理をしている人たちを見回した。みんなまるで生ける屍のように、目は血走って腫れあがり、背中は曲がり、ぐったり肩を落としていた。なぜここまで頑張るのか、僕には理解できなかった。
「あなたの話を聞いていると、全員がサイコパスか、ほかではたらけないほど無能だとしか思わないわ」
 その夜新しい同僚たちの話を聞いたリスンは言った。たしかに店にはソルボンヌ大学とは一生無縁そうな人や、人格障害のデパートのような人もいたが、反面、何ヵ国語も操る人や、余裕のあるときには気さくで親切な人もいた。それにもちろん、全員が優れた技術をもっていた。
 僕にとって、《ラトリエ》ではたらくことの問題は、長くつらい仕事と重苦しい雰囲気だけじゃなかった。ここには女性も少しはいたし、なよなよしたウェイターも何人かいたが、雰囲気は断然男性的だった。そういうのが好きな人はいいが、僕は男らしさをウリにしたことは一度もないし、そんなふりもできない。でもキッチンにはマッチョな雰囲気と、むせ返るようなアドレナリンや男性ホルモンがむんむん漂っていた。


 仕事はきついし、体育会系だし、給料は安いし……
 「最高峰のレストラン」といっても(だからこそ?)こんなにキツいものなのか……
 僕にも、まったく向いていなさそうな職場だなあ、と。


 「料理が好きなこと」と「それを仕事にすること」のギャップについても、考えさせられます。
 『英国一家、日本を食べる』の続編のようなつもりで読むと肩すかしを食らってしまいますが、これはこれで、面白い体験記ですよ。


英国一家、日本を食べる (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

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英国一家、日本を食べる 亜紀書房翻訳ノンフィクション

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この『英国一家、日本を食べる』の僕の感想はこちらです。

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