琥珀色の戯言

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【映画感想】ハドソン川の奇跡 ☆☆☆☆☆

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あらすじ
2009年1月15日、真冬のニューヨークで、安全第一がモットーのベテラン操縦士サレンバーガー機長(トム・ハンクス)は、いつものように操縦席へ向かう。飛行機は無事に離陸したものの、マンハッタンの上空わずか850メートルという低空地点で急にエンジンが停止してしまう。このまま墜落すれば、乗客はおろか、ニューヨーク市民にも甚大な被害が及ぶ状況で彼が下した決断は、ハドソン川への着水だった。


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 2016年15作目の映画館での観賞。
 公開初日・土曜日のレイトショーで、観客は50人くらい。
 けっこう力を入れて宣伝されていたおかげなのか、初日だからなのか、僕が最近観たイーストウッド監督作品のなかでは、悪くない滑り出しなのではないかと。
 トム・ハンクス主演、というブランド力も大きいのかもしれません。


"This movie is based on a true story."
(この映画は実話に基づいています)


 この作品のすごさというのは、これに尽きるのではないかと。
 観る前に、上映時間が96分というのを知って、実はちょっと不安だったんですよね。
 現在86歳というクリント・イーストウッド監督の年齢を考えると、「もうあまり長い映画を撮ったり編集したりする体力がなくなってしまったのだろうか?」って。
 でも、それはまさに「杞憂」でした。
 やたらと企業のCMみたいな映像が挿入されている180分よりも、磨き抜かれた96分!
 長い映画はトイレが気になる、映画館でもチラチラ時計をみてしまいたくなる、という僕やあなたにも優しい、濃密な作品です。


 この映画、すごく不穏な状況からのスタートなんですよ。
 ハドソン川に奇跡の着水を行なった、USエアウェイズ1549便のチェスリー・サレンバーガー機長。
 機体の故障による川への着水という、きわめてリスクが高い状況にもかかわらず、乗員・乗客155人が全員生存、というのは、まさに「奇跡」としか言いようがなく、マスメディアや報道でこの奇跡の生還を知った人々は、彼を「英雄」として絶賛します。
 いやほんと、全員生存ってすごいよ。
 ちなみに、映画で観ると、なんだか無難に救助されたようにも見えるのですが、事故機は着水後1時間で水没してしまったそうで、スタッフや球場活動を行なった人々のの的確・迅速な対応とともに、着水地点が港から近く、救助艇が迅速に現場に向かうことができたという幸運もあったのです。
 この「ニューヨークの中心部」での着水というのは、一つ間違えば、周囲の建物や船などを巻き込む大惨事を生んでいた可能性もありました。


 この映画、『極限状態で奇跡を起こした英雄」を描いたものかと思いきや、物語はどんどん不穏な様相を帯びてきます。
 本当に「川への着水」は正しかったのか?
 周りの空港に「着陸」して、機体を失うことを防いだり、乗客のリスクを軽減することはできなかったのか?
 機長や副機長、スタッフに何か問題はなかったのか?


 事故検証委員会は、機長に感情移入しかけている観客に冷水を浴びせるように、さまざまな「可能性」を示します。
 もう、みんな助かったんだから、機長を責めるなよ……
 僕はうんざりしながら観ていたのですが、「助かったんだから、プロセスについてはどうでもいい」というのは、思考停止でもあるわけで。
「結果オーライ」では、長い目でみれば、大きなトラブルを繰り返してしまう可能性が高くなります。
 逆に「ベストを尽くしても、命を救えなかったら、機長は責められてもしかたがない」では、あんまりですし。
 その一方で、「感じ悪いくらい、徹底的に検証する人」も、やはり必要なのです。
 英雄と祀り上げられているからといって、検証する側と馴れ合いになってしまっては意味がありませんし。
 そしてまた、イーストウッド監督は、コックピットの外のサレンバーガー機長が「完璧な聖人君子」でないことも、しっかりと描いているのです。
 僕はこの映画の予告を観た際に、2012年公開の『フライト』という映画を思い出しました。
 この『フライト』はフィクションなのですが、同じように奇跡を起こした機長に、さまざまな「問題」があったことが描かれ、観客としては、たいへん「すっきりしない」というか「何なんだこれは……」という印象が強い作品となっています。


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 観客としては、トム・ハンクスに肩入れしかけたところで、「ちょっと待てよ」という気分になり、そして、事故調査委員会で機長が責められているのをみると「みんな助かったのに、そこまでやらなくても……」と、また天秤が機長側に傾く。


 結末はもちろん書きませんが、季節の変わり目で何だか元気が出ない人、自分の仕事で「最近、オレ何やってるのかなあ……」と、ちょっと目標を見失っている人、そして、イーストウッド作品って、なんかこうスッキリしない気分で映画館から出なきゃいけないヤツだろ?(僕はそういうのが好き、ではあるのですけど)って思ってしまう人にこそ、ぜひ観ていただきたい。


 もうちょっと、「感動してください!」「疑ってください!」っていうわかりやすい演出を加えることも可能だったと思うんですよ。
 しかしながら、イーストウッド監督は、この映画では、「観客の感情をコントロールするような演出を極力減らし、実話である素材を活かす」ことに専心しているように思われます。
 それこそが、この「奇跡」の本質を語るのに、もっとも劇的であることを信じて疑わなかったのでしょう。


 『アメリカン・スナイパー』、そしてこの『ハドソン川の奇跡』を観ると、『阿部一族』や『渋江抽斎』を書いた晩年の森鴎外みたいだな、とか感じるところもあるのです。
 イーストウッド作品は、エンターテインメントとしても十分成り立っているのだけれど。
 僕はこの『ハドソン川の奇跡』のエンドクレジット(とその背景に流れていた映像)を観ながら、「これはそういう場面じゃないはずなのに、これはそういう映画じゃないはずなのに!」と思いつつ号泣してしまいました。


 劇中に「この『ハドソン川の奇跡』は、ニューヨークにとっては、本当に久しぶりの飛行機に関する明るいニュースだ」という登場人物のセリフがあるのですが、何事に対しても、「誰かの責任」にしようとしたり、後付けで「もっと良い方法があったはずなのに、なんでそうしなかったんだ」言ったりする人はいます。
 さまざまな技術の革新や情報公開によって、昔は考えられなかったところから、矢が飛んでくるようにもなりました。
 世論の「風向き」というのは、大変読みにくいもので、「英雄」と過剰に持ち上げられるほど、堕ちるときの落差は激しくなりますし、追い風は、反対側を向いてしまえば、強烈な向かい風になります。


 僕はこの映画を観ながら、同じようなことが医療の現場でも起こっているよなあ、と考えていたのです。
 明らかな技量不足によるミスは責任を問われてしかるべきです。
 でも、現在の人間の力では、ある一定の割合で、医療事故は起こってしまう。
 あるいは、熟練者が困難な状況に全力で対応しても、悲しい結末に至ってしまうこともある。
 プロフェッショナルが緊迫した状況で判断したこと、客観的にみて「常識的な判断だと思われること」に対して、後付けで「それはベストの選択ではなかった。もっと良い方法があったのに」と罪を問うことは「妥当」なのだろうか?
 もちろん、「次に同じようなことが起こったときに、より良い対処ができるようにするため」に、事後、検証することは大切です。それは間違いないのだけれど。


 あとひとつ感じたのは、こういうふうに検証していけばいくほど「人間というバイアス」は、どんどん排除する方へ向かっていくのだろうな、ということでした。
 今は、まだ熟練の人間の判断力のほうが上回る場面があっても、いつか、人間はコンピュータに勝てなくなる。
 ある棋士(将棋のプロ)が、こんなことを言っていました。
「コンピュータはとにかく終盤に強い。人間だったら、勝ちを焦ったり、持ち時間が少ないことにプレッシャーを感じたりして悪手を打ってしまうことがあるけれど、コンピュータには、そんな『感情の波』が無く、ミスをしてくれない」
 飛行機の操縦にしても、医療にしても、「ミスが怖いから、まだ信頼しきれないから」現時点では人間の仕事になっていますが(飛行機に関しては、すでにコンピュータでほとんど運航できるようになっているそうです)、データの蓄積やアルゴリズムの進歩に伴い、「緊張・動揺しない、つねにベストの(であろう)判断ができる」コンピュータに運転してもらったり、診療してもらったりしたほうが安心だ、という時代はやってくるはずです。
 すぐに、じゃないかもしれないけれど、遠からず。


 たまには、本物の「奇跡」があっても、良いじゃないか。
 でも、これからは、「人間が生む奇跡」って、どんどん少なくなっていくのだろうな。
 そんなことも、ふと、考えてしまう映画でした。


機長、究極の決断 (静山社文庫)

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