- 作者: 田村淳
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2017/02/17
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
- 作者: 田村淳
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2017/03/17
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内容(「BOOK」データベースより)
ツイッターで意見を言ったら大炎上、一般人からのクレームにメディアや企業は振り回され、人と違うことをすると嫉妬され足を引っぱられる…最近の日本はとかく息苦しい。なぜ他人を叩き、無難を好み、みんなと同じになりたがるのか?そんな空気に抗うように、タレント「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳は、好きなことをやり続け、テレビ以外の分野にも活動の幅を広げている。なぜそんな生き方ができるのか?芸能界の“異端児”が著す初の自分史、日本人論、そして若い人たちへのメッセージ。
まあ、世の中いろんな人がいますよね。
「他人と違う生き方をしたい」という人もいれば、「みんなと同じでよければ、そのほうがラクだな」と思う人もいる。
この新書、正直、あまり僕には響いてきませんでした。
僕がもうオッサンだから、というのはあるのかもしれないけれど、田村淳さんについては、「こういう人が芸能人としてやっていけるんだろうな」というのと、みんなが「ステージに立ちたい人」じゃなかろう、というのと。
芸能界はとどのつまり、動物園でなければいけないと思っているからだ。それぞれが自分の檻の中で元気よくガオーッと吼え、お客さんを楽しませてナンボなのだから。
なのに、ジワジワと周囲を固められ、「それが芸能界ってもんでしょ」とか、「先輩のタレントさんに従わなければいけない」と諭されるたびに、僕はえたいの知れない大きな手で、鼻と口をふさがれてしまったような感覚に陥っていたものだ。これじゃまともに息が吸えない。
そんな状況に、僕はどうしても納得できなかった。
やっぱ芸能人って、犯罪はもってのほかだけど、ときにはモラルを逸脱してでも、一般人ではマネのできないことをガンガンやり続け、世間から浮いた存在でなければいけないはず。その浮いた部分に、世間は関心と期待を寄せ手くれるのだ。動物園で言えば、今まで見たこともない珍獣や猛獣の檻の前にお客さんは集まってくるわけで、どこでもいつでも見られるニワトリやハトの籠には誰も近寄らない。
ただ、そうは言っても、最近は世間の風潮ってものが、芸能人をどこにでも存在しているニワトリやハトにさせたがる。テレビの世界は特にそうだ。
いまのテレビでは規制がけっこう厳しい、というのは、たしかにその通りなのだとは思います。
田村さんは、26年前に放送された、こんな番組を紹介しています。
そう言えば、テリー伊藤さんがテレビプロデューサーだった時代に作った伝説の番組がある。1991年のお正月に放送された特番『爆笑!迎春ブッちぎり 所ジョージのオールスター自動車レース大賞』だ。その番組内で行われたのが「オールスター キャノンボール大会」で、有名人が愛車を駆り、東京のお台場から茨城県のとあるゴルフ場まで突っ走るという企画だった。
高田純次さんが「日産スカイラインGT-R NISMO」、今や国会議員の三原じゅん子さんが「シボレー・コルベット」、漫画『サーキットの狼』の作者である池沢さとし先生は「フェラーリ・テスタロッサ」に乗り込み、他にも自動車評論家の故・徳大寺有恒さんらが参加し、いざ出陣!
誰もが負けたくないと思ってしまったのだろう、行動にもかかわらずスピード違反のオンパレード。結局、プロデューサーだったテリー伊藤さんが茨城県警に出頭を命じられ、こってりしぼられたそうだ。
後年、テリーさんは言った。
「茨城県警に呼び出されたけど、別になんとも思わなかったよ。テレビの現場は面白ければ”なんでもアリ”だと信じていたしね。それは今でも思っている。テレビは夢のビックリ箱でなければいけないしさ」
これ、面白そう……ではあるんですよね、困ったことに。
でも、危険なのも間違いない。
いまのテレビは規制が多くてつまらなくなった、とは言うけれど、規制が無ければ良い、というものでもなさそうです。
淳さんは「好きなことをやる」ために地上波よりも規制が緩い(とされているCS放送で)、「覚せい剤使用経験がある芸能人と『しゃぶしゃぶ』を食べながら対談する」というような企画も実現しています。
なんなんだその不謹慎なオヤジギャグみたいなのは!と言いたいところなのですが、放送された内容は「薬物中毒の恐ろしさを徹底的に語ってもらう」という、きわめて有意義なものだったのです。
田村さんは、ネットでネガティブな影響力を持つ「匿名の人々」に対して、菅原文太さんが亡くなる1年前に週刊誌のインタビューに答えた言葉を紹介しています。
「誰も知らない同士が、ネットの中で、ああでもない、こうでもないとくっだらねえこと言い合ってる。とくには見えない剣で斬り合ってもいる。自分に関わりのない他人のことなんか、ほっとじゃいいのに。というか、そういうネットの中で文句をたれてるヤツほど、誰かとつるんでいたいんだろうな。
現実の社会じゃ誰も相手にしてくれんから、余計につながっていたいんだろうそうしないと不安で不安でしょうがないんじゃないか。でもな、相手の素性も知らない他人とつながっていて、それが幸せなのか? 違う、そんなのは幸せとは言わんよ。
特に若い連中に言いたいな。
身勝手につるむなって!
ときに孤独を愛せって!
自分を孤独に追い込むことにより、自分は一体、何をしたいか見えてくるもんだ。同時にメンタルも鍛えられる。友達じゃない他人と架空空間でつながっていても、傷を舐め合っているうちはいいが、ひとつでも自分の思い通りにならないことが起きれば、すぐに癇癪やつまらんストレスを募らせるだけだから」
たしかに、ネットで「自分の好きなものや自分と考えの近い人」に囲まれてばかりいると、うまくいかないときの耐性みたいなものが落ちてしまうような気がするんですよね。
でも、そのために、わざわざ気の合わない人と我慢して付き合う、というのも、あんまりやりたくないことだよなあ。
巷では僕のことを女たらしと指差したりするが、反論はしない。いや、できないか。
若い頃は7股も経験していたし。当時、7人の彼女にそれぞれ部屋の鍵を渡して、月曜日の彼女はキミ、火曜日の彼女はあなたといったふうに、うまくカチ合わないようにしていたんだけど、そこは人間だもの、何かの拍子にぶつかり合っちゃうんだよなあ。
そういう時って、女の子同士が「あんた、誰?」「あんたこそ、誰よ」と険悪な雰囲気になったりするのだが、僕の場合はちょっと違った。一方の女の子が美容師で、もう一方が女子大生。それで僕が部屋に入ると、美容師の彼女が女子大生の髪を切っていたことがあった。あれには驚いたけど、僕を通してのヘンな連帯感が生まれちゃったらしい。
こういう人のことを、マネしたり参考にしたりするのは、ちょっと難しいですよね。
これはもう、「才能」ではなんだよね。
田村淳さんのファンなら面白く読めるのではないでしょうか。
ちなみに、タイトルの「日本人失格」は、「主語が大きい」気がしました。