- 作者: 大家友和
- 出版社/メーカー: ポプラ社
- 発売日: 2017/10/11
- メディア: 新書
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内容紹介
年俸5億3000万円から月給10万円台まで
メジャー51勝の男が14球団で味わった夢と現実
メジャーリーグ、日本のプロ野球、マイナーリーグ、日米の独立リーグなど、あらゆるステージを経験した著者だからわかる、メディアが「夢」と表現するプロ野球の現実を、「お金と契約」という最もリアルなもので明かす一冊。
(もくじより抜粋)
序章 私の野球人生
第1章 入団から若手時代まで。メジャーと日本のプロ野球の違い
・日本とメジャーの契約金事情
・プロ野球ルーキーの世界とは など
第2章 マイナーからメジャーへ。驚きのアメリカンドリーム
・メジャーリーグでは毎年1200人がドラフト指名
・昇格時はファーストクラスで移動 驚くべきメジャーリーグの労使協定 など
第3章 年俸100倍以上から3億減へ。メジャーの究極の交渉
・「日本人投手最高年俸」をつかんだ攻防
・3年21億円の想定も単年1.8億円で決着。契約交渉の激しい攻防 など
第4章 メジャー生き残りをかけた極限のサバイバル
・日本人2人目のメジャー通算50勝達成も、1ヵ月後には戦力外
・サバイバルの舞台は国境を越える など
第5章 月給10万円台!? 再起を目指すマイナー&独立リーグの世界
・日本球界では受け入れられない魔球、ナックルボールへの挑戦
・チームの「思惑」をいかにして読み解くか など
第6章 最後のチャンスをつかみ取れ。トライアウト&マイナーキャンプ
・開幕までにクビなら無給の厳しい招待選手の待遇
・戦力外通告「君のための仕事がないんだ」 など
書店で見かけて購入。
大家友和選手といえば、いつのまにかメジャーリーグで活躍していて、そういえば晩年に横浜に少しだけ在籍していたことがあったな、というくらいの記憶しかないのですが、日本のプロ野球から、アメリカのマイナー、そしてメジャーリーグに独立リーグ、さらに日本の独立リーグまで、日米のほぼすべてのプロ野球のカテゴリーを渡り歩いた人なんですね。
この本の内容は、大家選手のプロ野球人生を淡々と振り返る、というものなのですが(感動のエピソードやチームメイトやファンとの温かい交流、みたいなものはほとんど書かれていません)、そこに「お金」(年俸)と「詳しい契約内容」が加えられているだけで、こんなに面白くなるものなのだな、と感じました。
日本からポスティングでメジャーリーグに移籍した選手の高額年俸には「こんなにもらえるのか……」と驚かされるのですが、そんな契約ができるのはごく一握りの選手だけで、年俸を抑えたい球団側と、少しでも自分を高く売りたい選手・代理人側の虚々実々の攻防が毎年繰り広げられているのです。
大家選手の「お金にも、自分にも厳しい姿勢」を読むと、ああ、こういう人がプロの世界で成功するのだな、という気がしてきます。
大家選手よりも才能に恵まれている選手はたくさんいるのかもしれないけれど、大家選手ほど、自分が置かれたポジションを意識し、生き残るために工夫し続けた人は少ないのではなかろうか。
大家選手が、高校を卒業し、横浜ベイスターズにドラフト3位で指名されたときの話。
めでたい契約の席上で、実は、私は最初の”年俸交渉”を行っています。最初に提示された年俸はもう少し低い金額でした。自分なりに高卒のドラフト3位入団の選手がどれくらいの年俸を手にしているのか、新聞記事などを参考にイメージしていました。新聞に出ている金額は推定であり、もちろん、正確ではありません。ただ、大きく的を外しているとも思えませんでした。そう考えたとき、自分の中で「提示額が少し低い」と思ったのでした。
そして、スカウト部長に「年俸をもうちょっとどうにか、してもらえないですか」と伝えました。スカウト部長からすれば、相手は17歳のガキくらいにしか思っていなかったはずです。そんな高校生がいきなり「年俸をもう少し上げてほしい」と言い出すのですから、驚いたに違いないでしょう。
こちらとしては、ごねるつもりも、駆け引きをするつもりもありませんでした。ただ、自分の中で、もし足元を見られているのなら、それは「あかん(だめ)」と思いました。
球団も家庭事情は調べているはずです。母子家庭で、家にお金がないことくらいすぐにわかります。「だから、これくらいの金額でいいや」と思われたのなら、納得するわけにはいかないのです。
ちなみに、このときの契約金が6000万円、年俸450万円。
僕だったら、契約金の6000万円のほうに目が行って、まあ、年俸が少し低めでもいいや、って思ってしまいそうです。
大家選手は、プロ野球の世界に入って驚いたことがあるそうです。
1年目の春季キャンプ。最初は横須賀の施設でスタートし、後半になると1軍は沖縄県宜野湾市で、当時の2軍は静岡県静岡市へ場所を移しました。
私は最初から2軍に配置されていました。
2軍というのは、みんな1軍昇格を目指して必死に練習する姿を想像していました。しかし、前日に酒を飲んだ話をしている先輩がいました。練習を早く引き上げたいと嘆いている選手がいました。
最初は悪い冗談かと思いましたが、それは1日や2日のことではなかったのです。これが、子供たちがあこがれるプロの世界なのか、信じられないという気持ちになりました。
そう言いながらも、その「悪い冗談のようなプロ野球選手」になってしまうんですよね、多くの人が。
彼らだって、入団時には、大家選手と同じことを感じていたのだろうから。
そこで、結果がなかなか出なくても、努力しつづけることができるかどうか。
大家選手は、そんなに速い球を投げられるわけではないけれど、相手の打者を研究し、毎年少しずつ球種を増やしたり、タイミングをずらす工夫をしたりしていたそうです。
165kmの速球でも、その球が来るとわかっていればスタンドに運ばれてしまうことがあるのがメジャーリーグだから、と仰っています。
晩年、怪我で球速が出なくなったときには、ナックルボーラーとして再起をかけています。
僕はその挑戦を「なんか往生際が悪いな」と感じた記憶があるのですが、思いつきレベルではなく、ここまで真摯に取り組んでいたことを知って、申し訳ない気持ちになりました。
プロスポーツの世界というのは、夢があるのと同時に、容赦のない競争の世界だということも、この本を読んでいると伝わってきます。
私がメジャーに昇格したのは、オールスターが終わって4日後の7月18日。黒塗りのリムジンが、ポータケットに迎えにきました。ポータケットからボストンまでは車で1時間ほどの距離で飛行機に乗るほどではありません。ただ、私は車を所有していなかったので、球団がリムジンを用意してくれたことでした。
3カ月前までTシャツ、短パン姿で、長距離バスに乗って移動していたのが、うそのような待遇になりました。フェンウェイ・パークの選手専用出入り口に横付けされたリムジンを降り、スタジアムへ足を踏み入れました。大リーグ最古を誇る球場のクラブハウスは、想像していた以上に狭かったです。
2005年、ナショナルズから、シーズン途中にブリュワーズにトレードされた大家投手は、シーズン通算11勝9敗、防御率4.04と、2シーズンぶりの2ケタ勝利をマークしました。
その年の契約更改では、年俸500万ドルをめぐる攻防となったそうです。
春季キャンプが始まる時期になっても交渉がまとまらず、調停やむなし、という流れになりました。
調停に出席する準備をし、日本を発ち、ニューヨークの空港に到着した時点で、大家選手は、球団と合意した、という連絡を受けたそうです。
年俸453万ドル。また、このときの年俸交渉では、SGPと略される年俸保証も初めて付くことになりました。
SGPとは、「Salary Guarantee Provision」の略語です。
メジャーでの年俸は正確に言えば、契約更改した時点で保証されているわけではありません。更改した年俸は、原則として開幕をメジャーで迎えた時点から支払いが発生します。どういうことかといえば、もしも、春季キャンプ中に絶不調に陥ったり、大けがを負ったりした場合、球団は違約金(ターミネーションペイ)を支払うことで契約を解除することができます。
具体的には、開幕の16日前までに解除すると30日分の給料、つまり年俸は6カ月分の給料で算出されているため6分の1を支払えば、15日前からは約4分の1に相当する45日分の給料を支払うことで契約が解除できます。
選手側がこのリスクを回避するための契約条項がSGPで、契約後には球団が契約を解除しても、当初の金額を支払う義務が生じます。SGPを盛り込むことを要求しても、球団側が契約したいと思える選手かどうかで判断は分かれます。このときはまだFA権はなかったのですが、球団としては高い評価をしてくれたのだと思います。
SGPが付いて、金額自体が保証されたものとなっていました。投球イニングについての出来高も設定されていました。185イニングで2万5000ドル、195イニングでさらに2万5000ドル、200イニングでさらに5万ドルと悪い条件ではありませんでした。
ここまで来れば、調停に持ち込めばいいのではという意見もあるかもしれませんが、代理人も球団側も実は冷静な側面を持っています。
調停とは、聞こえはいいですが裁判のようなものです。お互いが提示した金額がいかに正当かを戦わせる場になるのです。その中では、球団がどれくらい自分に期待しているのかというような、聞かなくていいことも耳に入ってくることがあります。
たとえば「クオリティスタート(6回以上投げて3失点以内)が少ない」など、球団側の厳しい評価を知れば、シーズンで投げるときのモチベーションの低下にもつながりかねません。球団側も必要以上に、選手を攻撃したくないという部分もあります。
それだけに、年俸調停の権利を持ったからといっても、実際に毎オフで調停までもつれるケースは5件程度に落ち着いているのです。
日本のメディアでは、453万ドルを同時のレートで日本円に換算して約5億3000万円と報じられました。海を渡って8年目。当時のメジャー、日本球界に在籍している日本人投手の中で最高年俸になった、とも伝えられました。
どうしても必要な選手には、ものすごく手厚く、そうでない選手には、かなりシビアに。
年俸5億円の年もあれば、数百万円しか稼げない年もあり、長く活躍しても、40歳くらいで現役を続けるのは難しくなる。
浮き沈みが激しい世界で生きてきて、晩年は日本の独立リーグやアメリカ再挑戦など、ほとんど稼げなかったはずの大家さん、いま、どうやって生活しているのだろう、と思いながら読み進めていったのです。
「おわりに」の冒頭で、大家さんはこう仰っています。
41歳まで現役を続けた私の現役晩年、選手としての年俸はほとんどありませんでした。
私が独立リーグでプレーしている記事を新聞などで読んだ人の中には、メジャーで活躍していた若いときの稼ぎを食いつぶし、夢を追い続けているように、見えていたかもしれません。
しかし、きれいごとではメシは食べられません。私はもっと現実を見つめていました。
メジャーリーグ時代に得たお金は運用に回し、日本では不動産投資などのビジネスもしており、現在は京都市内の賃貸マンション4棟を所有しています。さらに、メジャーリーグには日本とは比較にならないほどの年金制度もあります。人生設計はかなり先まで見通してきました。
副収入ともいえるキャッシュの入りがあってこそ、プロ野球選手としての夢を追いかけ続けることができ、滋賀県高島市に本拠地を置く社会人野球のクラブチーム「OBC(大家ベースボールクラブ)高島」という若者が野球をするための受け皿作りも担えるのです。
これを読んで、大家さんの「人生設計」に圧倒されてしまったんですよね。
大家選手は、年俸が5億円になっても、浮き足立たずに先を見据えていたのです。
「お金の心配がないから、夢を追いかけられる」か……たしかに、そうだよなあ。
プロスポーツという「夢の仕事」と「お金」の話。
興味を持たれた方は、ぜひ読んでみてください。
大金を稼ぐということは、それだけの「責任を負う」ということでもあるんですよね。
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