琥珀色の戯言

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【読書感想】メジャーリーガーの女房 ☆☆☆☆



Kindle版もあります。

内容紹介
メジャーリーグ挑戦にあたり、田口夫妻にはある決まりごとがあった。


「こんなはずじゃなかった」と絶対に言わないこと。


ところが、「こんなはずじゃなかった」ことだらけで、どこから突っ込めばいいのかわからないほど、二人の行く手は険しかった。
夫婦二人三脚、途中からは息子・両親も加わって、家族一丸で駆け抜けた激動の8年間。
悠々自適、豪華絢爛なメジャーの奥様生活なんて夢のまた夢だ。
笑いあり、涙あり、喜びあり、苦い思いあり。ワールドチャンピオンに二度輝いた男「田口壮」を支えたヨメだけが知るメジャーリーグ挑戦秘話が今、明かされる!

もう3年以上前に出た本なので、若干時期を逸した感はありますが、いま読んでも十分面白かったです。
おそらく、「メジャーリーグに挑戦した選手とその家族」の環境が、この3年で激変したということもないでしょうし。
高額年俸をもらい「メジャーリーガー保証」で渡米したというわけでもなく、チームの「便利屋」としてメジャーリーグマイナーリーグを行ったり来たりしながらも、所属チームで不可欠な選手として存在感を示すようになった選手と家族の記録というのも、ちょっと珍しいところではあります。


この本を読んでいると、「海外で夢を追って生活すること」の難しさ、そして、「家族の絆」みたいなものを考えずにはいられません。
これまで渡米した日本人のなかにも、野球そのものではなく、生活環境が合わずにうまく実力を発揮できなかった選手もいたのではないかと想像してしまいます。

 夫・田口壮が日本を離れて、メジャーでやってみたいと言った時、彼はどんな自分を思い描いていたのだろう。たぶん、アメリカ野球と生活を満喫しているかっこいい俺、が想像の8割を占めていたのではないか。そしてあとの2割は、(まあどうにかなるやろ)くらいに思っていたに違いない。自ら決断して新しいことにチャレンジする人は、きっと不安より期待のほうが大きいのだろうから。
 ところがどっこい、残りの2割が生活のすべてを占めることになり、しかもどうにもならなかった。遠征先のホテルは5つ星どころか、バスタブもないし、チャーター便でラクラク移動どころか、超巨体の一般旅客にはさまれた真ん中席で、一睡もできずに試合に乗り込んだ。
 そのうち主人は、「今日はシャワーのお湯が途中で水にならんかった」「空が綺麗で、気持ちのいい試合日和やった」と、これまで気にもかけなかったことを喜び始めた。日本で守られ、保障された自分から脱皮するように、主人はどんどん「裸」になっていった。それは当然野球に対しても同様で、メジャーのいい球場で、たくさんのファンを前に試合するのも、マイナーのぼこぼこ球場で、薄暗い照明の中走り回るのも、同じアメリカ野球であり、お客さんは喜んでくれる。野球ができるってありがたいよなあ。自分の気持ち次第で、目の前にあるものの価値は大きく変わるんやなあ、と言うようになったのだ。


 以前、『情熱大陸』で、広島カープからメジャーに移籍し、いまやニューヨーク・ヤンキースの主戦となった黒田博樹投手が採り上げられていたんですよ。
 家族をロサンゼルスに残して、ニューヨークの豪華な部屋で生活している黒田。
 ヤンキースは、スタジアムの選手控え室も豪華で、超高級スポーツクラブの会員ルームのようでした。
 これはもう、黒田は日本に帰ってくることはないだろうな、年俸も含め、あまりにも広島時代とは待遇が違いすぎる……なんて思いながら観ていたのですが、あれはまさに「メジャーリーガーの頂点」にいる、ごく一部の選手にだけ許された生活なんですね。
 田口選手の場合、日本にいたときにはオリックスの主軸のひとりとして高い年俸をもらっていたのですから、アメリカでの生活を、よく8年間も続けてこられたなあ、と。
 この本を読んでいると、田口夫妻は、いろいろ大変な体験をしつつも、「アメリカで生活すること」「アメリカで野球をするという経験」そのものを楽しむという姿勢を失わなかったからこそ、やっていくことができたのでしょうね。
 その「好奇心」は、本当にすごいなと感心するばかりです。


 とはいえ、好奇心だけでは、生活は成り立たないわけで。

 アメリカで過ごした8年のシーズンは、「引越し」の日々だった。
 キャンプ地、マイナー、メジャーで「家を借りて1ヵ月以上住んだ」場所は、フロリダ州ジュピター、テネシー州メンフィス、ミズーリ州セントルイスコネチカット州ニューヘブン、アリゾナ州スコッツデール、ジュピター、セントルイス、メンフィス、ジュピター、セントルイス、メンフィス、ジュピター、セントルイス、ジュピター、セントルイス、ジュピター、セントルイスフロリダ州クリアウオーター、ペンシルバニア州フィラデルフィアアリゾナ州テンピ、アイオワ州デモイン、イリノイ州シカゴ(同じ都市名が出ている場合は、その市内での引越しがあったことを指す)……西へ東へ南へ北へ。
 ここに「仮住まい」の場所を入れたら、もうなんだかわけがわからない。

 選手のほうは、けっこう遠征があったりするので、「旅生活」に慣れている面もありますが、異国でのこの「引越しだらけの生活」は、かなりキツイはずです。
 また、田口家では夫が野球に集中できる環境をつくるために引越しなどは恵美子夫人中心にやっていたそうなので、その苦労はいかばかりか……


 この本では、異国での野球選手のコミュニティのなかでの生活や子育ての話なども書かれていて、非常に興味深いものでした。

 ところで、野球選手の奥さん、というと、どんなイメージをお持ちだろうか。
 昨今は「女子アナ」が多いとか、一昔前はキャビン・アテンダントが多いなどと言われ、いずれにしても「選手を釣り上げた」かのような、野心家のイメージを持たれることがある。「お金があって、暇で、いいね」という誤解をされることもしばしばだ。
 アメリカもそれは同様で、「ゴールドディガー」(金を掘る人)などと揶揄されて、あたかもお金目当てに選手と結婚したように陰口を叩かれることも多い。
 多くの選手は、ハイスクールスイートハート(高校時代の恋人)と結婚するなど、下積み時代を共に支えあって乗り越えているのだが、綺麗な奥さんほど、下心いっぱいに思われてしまうようだ。
「お金持ちで、有名で、別世界」と思われている彼女たちはしかし、お金があるがゆえの悩みを抱え、家族関係や子供のことで悩み、夫の稼ぎを社会に還元すべく、チャリティー活動などで忙しく働いている。その上、夫の成績や怪我などで一喜一憂するから、精神的に追い詰められる人も少なくない。
 よく、野球選手の家族の生活は「感情のローラーコースター」などと言われる。起伏が激しくスピードが速く、息つく暇もない喜怒哀楽の変化に翻弄されるからだ。
 あるスーパースターの奥さんは、いついかなる時に会ってもお酒のにおいがした。
 完全なアルコール依存で、お酒がないと幸せな気持ちを保てない。夫が有名選手であるがゆえに、夫婦揃ってファンや世間に求められるものも多く、いつでも「見られている」というプレッシャーで押しつぶされそうになっていた。
 同じく有名選手の奥さんは、向精神薬が手放せなかった。夫の怪我や成績によって激しく落ち込み、その都度寝込むほどに思いつめていた。

 その他にも、「夫が有名になるにつれ、『親戚』や『知りあい』が増え、お金の無心をされる」ということもあるそうです。
 とくにファミリー意識が強いラテン系の選手には、その傾向が強いのだとか。
 セレブ生活も、ほんと、ラクじゃないというか、アメリカの場合はとくに「セレブらしい振る舞い」を求められることが多く、けっして「お金持ちだから、自分は何もしないで遊んでいればいい」わけではないのです。
 むしろ、めんどくさいことが、かえって増えてしまう。


 この新書のなかでとくに印象的だったのは、田口選手と強い信頼関係にあった、故・仰木彬監督のエピソードでした。
 豪放磊落なイメージがあるけれど、実際は、緻密なデータと戦術眼でチームを率いていた仰木監督
 その仰木監督と田口夫妻のあいだに、こんなやりとりがあったのだとか。

 主人が言いたくても言えないことは、私がどんどん口にしてしまっていた。
「あ、監督、そういえば、どうして主人の打順だけ、あんなに毎度毎度変えていらっしゃったんですか?」
 隣で主人が、ぴく、っと動く。
 監督も、隣にいる主人の存在を無視するふりをして、涼しい顔で言う。
「ああ、あれねえ。田口、怒ってた? 怒ってたやろ?」
「はい。それはもう、かなり」
「うーん、そうだねえ。僕もかわいそうとは思ってはいたんだけど、でもねえ、田口って何しても絶対に文句言わないんだもん」


 ずるっ。隣で主人が椅子からずり落ちかけた。
「彼はね、監督という立場から言うと、非常に使いやすいんですよ。何でもできるし、何でもさせられるしね。どんな状況にも突っ込めるから、先発させてもよし、ピンチに取っておいてもよし、と、チームに一人、監督だったら絶対に欲しい選手なの。それに、他の選手だったら自分の使われ方が気に入らないと、ぷっとむくれるようなことがあるんだけど、田口は違うからなあ。僕がそれに甘えちゃったんだよねえ。いやあ、怒ってたか。悪いことしちゃったねえ」
 場所は大阪、宗右衛門町のおでん屋さん。
「単に文句言わんからって、それだけだったんや……」
 主人は複雑な表情で監督を横目で見たあと、ぼそっとつぶやいた。
「文句言えばよかった……」

 田口夫妻と仰木監督のエピソードは、本当に読んでいて心に響くものばかりで、仰木さんという名将の人間的な魅力が、あらためて伝わってくるものばかりです。
 この話も、「田口選手が文句を言わないのを良いことに、好きに使っていた」と読むのはあまりに短絡的で、「ユーティリティプレイヤーである田口選手の最大の魅力を、仰木監督は理解して使いこなしていた」ということなのでしょう。
 そして、「文句を言わずに従う」のは損したようにみえますが、「使いやすい選手」として、田口選手の選手寿命を延ばした面もあるのです。
 カージナルスの監督も、田口選手を、同じように「チームに欠かせない選手」だと評価していたそうです。
 そういう「自分の活かし方」もあるんですよね、それもまた、プロの世界。


 読んでいて面白くて、「夫婦」とか「家族」についても考えさせられる、素晴らしい一冊だと思います。
 田口夫妻のことを知らない人が読んでも、きっとこのふたりのことが好きになるんじゃないかな。

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