琥珀色の戯言

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【読書感想】日本のスポーツビジネスが世界に通用しない本当の理由 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

スポーツビジネスは何ら特殊なビジネスではない。日本のプロスポーツが、経営面でも海外で戦えるビジネスになるために必要なものとは果たして何なのか。何が、日本のスポーツビジネスには足りないのか。スポーツをこよなく愛し、スポーツの魅力にとり憑かれたBリーグ創設の立役者が明かす熱きビジネス論。川淵三郎氏推薦! 本書は、スポーツビジネスに携わる人にとっての必読の書である。


 「スポーツビジネス」という言葉に、観客側である僕は、少し抵抗があるのです。
 要するに「スポーツというイベントやスポーツ選手を『高く売る』ための技術であって、それは、観客にとっては「より高く買わされる」ということではないか、と。
 オリンピックで、大きな市場であるアメリカのテレビ中継の時間にあわせて、人気競技の決勝の時間が現地時間の早朝とか深夜になってしまう、という現実もあるのです。
 もちろん、選手たちにとっては、より多くの報酬が得られることによって、モチベーションが上がったり、目指す人が増えて競技全体のレベルが上がる、というメリットもあるでしょう。観客にとっても、スタジアムで観戦する料金が上がるかわりに、より快適な環境で観ることができるようにもなるはずです。

 日本のプロ野球アメリカのメジャーリーグの年俸の違いをみていると、人口も市場規模も違うのだから、どうしようもないだろ、その能力と意志のある選手は、メジャーに行けばいいんじゃない(みんな巨人やソフトバンクに行くよりは……カープファンである僕の心の声)。

 スポーツビジネスは、私にとって天職だと思っている。
 そして誤解を恐れずに言えば、世の中でとらえられているスポーツビジネス像は現実からかけ離れているものばかりだ。
 スポーツビジネスは特殊? いや、何1つ特殊ではない。
 プロスポーツの球団は赤字だらけ? そうでは、ない。
 そのスポーツが盛り上がるには、スーパースターが不可欠? 絶対要件ではないと、はっきり言える。
 プロスポーツは勝たなければ意味がない? これはもう、完全な思い込みだ。勝つだけではダメだ。


 著者は、もともとスポーツ関係の仕事をしたい、と考えていて、外資系のコンサルティングファームで4年間働いたあと、2007年にオリックス・バファローズに転職しています。
 その後、横浜DeNAベイスターズの社長室長を経て、2015年からはバスケットボールのプロリーグ、Bリーグの創設に関わり、2019年には、東アジアバスケットボール協会の理事をつとめておられます。現在は独立して、スポーツビジネスに関するコンサルティングを行っているそうです。

「なぜ、うちのスポーツはうまくいかないと思いますか?」
 相談をされた時に、必ず受ける質問だ。そして次には、
「やはりスーパースターが必要ですよね?」
「代表が弱いからですよね?」
 とたいていの人が口にする。
 違う。選手たちは頑張っているし、彼らに罪はない。
 日本のスポーツビジネスが世界に通用しないのは、他に理由がある。


 著者は、これからの日本のスポーツのメイントピックとして、「Governance」「Professional」「Arena」「Global」「Engagement」の5つを挙げています。
 こんなふうに英語の標語をあげられていると、外資系のコンサルティング会社出身っぽいよなあ……とツッコミを入れたくなるのですが。

 僕なりに日本語にすると「その競技全体を統括する組織がしっかりしていること」「経営者が『プロ』としての経済感覚を持つこと」「物販なども含めて自分たちで運営して稼げるスタジアム(競技場)を持つこと」「日本国内だけではなく、世界とのつながりを意識できるようにすること」「さまざまな顧客に満足してもらうために、競技場での観戦だけではなく、ネット配信などで観てもらい、ファン層を広げること」という感じでしょうか。

 読んでいると、いままで、僕が「スポーツをビジネスにして稼ぐこと」に対して、誤解していたこと、あるいは、古い考えに縛られていたことを思い知らされるのです。

「盛り上がるため、儲けるためには、お客さんをたくさん入れなければいけない」と考える人が圧倒的多数を占めているが、これは完全な思い込み、思い違いだ。たしかに動員数は大事な要素の1つではあるが、それがすべてではなく、もっと大事なものが存在する。
 野球やサッカーは、スタジアムの収容人数が大きい。お客さんをたくさん集めれば収益が増え、空間の盛り上がりも生まれる。タイトルのかかった重要な試合は、チケットの単価を高くすることもできる。
 それに対してマイナースポーツは、何万人も収容できる会場を使わない。しかも、人気に乏しいわけだから、チケット代が高いと足を運んでもらえない。
 私の考えでは、マイナースポーツはあえてお客さんを集めないという発想があってもいいと思う。たとえば数百人サイズのキャパシティなら全員無料で招待して、とにかく会場を盛り上げてもらえる人だけに来てもらう。言わばテレビのスタジオ観覧者的位置づけであり、「お客様」ではなく、一緒にコンテンツを盛り上げてくれる「演者」の役割を担ってもらう。
 そのうえで、人目を引く映像を作ってインスタグラムやツイッター、LINEやYouTubeなどのOTT(オーバー・ザ・トップ)サービスで配信し、売る。ここで言う「人目を引く」の定義は、「ルールが分からなくても楽しめる」「メジャーかマイナーかは関係なくカッコいい(あるいはキレイな)映像」といったところだ。
 スポーツにおけるOTTビジネスの売上高は大きいので、あえてそこを戦略的にロングテールの発想で攻めるという考えかたである。先日もカバディのプロリーグの映像をネット上で観たが、場内観覧エリア部分を暗くし、ピンスポットで競技エリア部分を当てて、成績表示やリプレイなどに最新映像テクノロジーを駆使した、見違えるほどのカッコいい世界が繰り広げられていて驚いた。決済を伴うサービスも、オンライン決済の選択肢が多様化しているので、SNSを身近に使っているユーザーなら困ることはない。


 野球やサッカーなどの日本のメジャースポーツは、スタジアムへの観客動員とテレビ局の放映権料が収入の中心でした。
 ところが、2020年からの新型コロナウイルスの流行によって、無観客、あるいは観客の収容制限が続くことになったのです。
 それは、経営陣にとっては大きな危機であるのと同時に、入場料収入頼りのチーム経営からの発想の転換へのきっかけにもなっているのです。
 そもそも、娯楽の多様化もあり、スタジアムで3時間以上も贔屓のチームを応援しようとするコアなファンが、これからも増え続けるとは考えにくいのです。
 日本の人口は減っていくし、とくに、若年層の割合はどんどん少なくなっていきます。
 しかも、野球をやる子どもも減っている。
 僕の子どもたちはプロ野球中継に見向きもしないで、YouTubeを観たり、スイッチで遊んだりしていますし。
 テレビ観戦で、3時間も拘束されるようなスポーツは、斜陽になっていくのではなかろうか。
 プロ野球でいえば日本シリーズ、サッカーなら日本代表の重要な試合やワールドカップでなければ、テレビで試合の最初から終了まで観てもらうのは難しくなると思います。いま、テレビで野球中継を観ている人たちだって、多くは、何か他のことをやりながら時々画面に視線を移しているでしょうし。

 熱心なファンからすれば、「そんなライト層よりも、『本物のファン』を大事にしてくれ」と言いたいところなのでしょうが、コアなファンだけでは、スポーツビジネスはどんどんジリ貧になっていくのです。

 スポーツ観戦が生活の大切な一部になっている人がいる一方で、日常生活の「主役」に位置づけていない人もいる。だとすれば、カフェやスポーツバーでくつろぎながら観戦するといった日常の「すき間」を埋めるツールにしてもらうべきだ。そういった消費が広がっていくような「見せかた」を、スポーツビジネスに携わる立場の人たちは考えていかなければならない。
 スポーツ観戦を取り巻く日本の空気には、2021年の今でも「現場は〇で他は×」といった白黒思考が貼りついている。
 昭和の時代とは日本人のライフスタイルが変わっていて、「ウィズ・コロナ」でさらに多様になっているのだ。ひと括りにできないことが圧倒的に増えているのだから、「〇」なのか、「×」なのかで論じるのは私たちの生活様式に合わない。
 私がサードプレイスに着目したのも、「プロスポーツは主催試合で稼ぐ」という固定観念へのアンチテーゼだ。自分たちの主催でなくても、試合は行われている。それならば、相手側の主催試合でも、稼ぐ方法を考えていくほうが効率はいい。


 あまりに「ビジネス至上主義」になるのは感じ悪いな、とは思うのですが、プロチームの経営が安定することは、そのスポーツの選手たちが安心して競技に集中でき、試合がきちんと開催されることにつながるのです。
 スタジアムへの入場料しか収入がなければ、新型コロナ禍で、試合が開催されるのは難しかったはず。

 「スポーツへの接し方の多様性」に、ファンの側も、もっと寛容になったほうが良いのではないか、と思いながら読みました。
 自分が好きなスポーツやチームがこれからも続いていくために。


fujipon.hatenadiary.com

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