琥珀色の戯言

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【読書感想】テロルの昭和史 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

青年たちの「義挙」に民衆は拍手したーー。

血盟団事件五・一五事件、神兵隊事件、死なう団事件、そして二・二六事件……。
なぜ暴力は連鎖し、破局へと至ったのか?

昭和史研究の第一人者による「現代への警世」。


【本書の内容】

・「安倍晋三銃撃事件」と昭和テロの共通点
・「正義を守るための暴力」という矛盾
・現代の特徴は「テロの事務化」
・ピストルではなく短刀にこだわった将兵
・「三月事件」と橋本欣五郎
・「血盟団井上日召の暗殺哲学
五・一五事件の「涙の法廷」
・昭和テロリズムの「動機至純論」
・愛郷塾の存在と「西田税襲撃事件」
・言論人・桐生悠々の怒り
・大規模クーデター計画「神兵隊事件」
・罪の意識がまったくない相沢一郎
・血染めの軍服に誓った東條英機
・「死のう団」のあまりに異様な集団割腹
二・二六事件が生んだ「遺族の怒り」
・一貫してクーデターに反対した昭和天皇 ……ほか


 2022年7月8日に、安倍晋三元総理が銃撃されて落命された事件は、衝撃的なものでした。
 僕自身は安倍総理の信奉者ではないけれど、新型コロナの時代に批判にさらされていたのをみて、「こういう時代に国のトップとしてやっていくのは大変だろうな」とも思っていたのです。
 白昼、応援演説中に元総理がみんなの前で撃たれるなんていうのは、信じられませんでした。
 とはいえ、政治家というのは、常に防弾ガラスの向こう側から演説をする、というわけにはいかないのも事実でしょう。
 その後、犯人の動機が統一教会によって人生を壊され、その広告塔のようにみえた安倍元総理を標的にしたことが明らかになりました。
 
 僕は高校時代に田中芳樹先生の『銀河英雄伝説』にハマり、2人の主人公のひとり、ヤン・ウェンリー提督という(架空の)登場人物に大きな影響を受けたのですが、そのヤン提督は、常々「テロリズムで歴史は変わらない」と言っていたのです。物語での提督のその後を思うと「テロリズムで歴史を変えてはいけない」という「願い」みたいなものだったのかもしれません。

 その一方で、今回の安倍総理銃撃事件は、犯人を責める声はもちろんありましたし、安倍さんを惜しむ声も大きかったのですが、統一教会の日本人信者からの搾取や政界とのつながりが大きく採りあげられ、あらためて社会問題化するきっかけにもなったのです。
 ある意味、テロリストの目的は達成された、とも言えるでしょう。

 以前、ニューヨークの同時多発テロ事件に対して、ある有名な漫画家が、テロリストグループに対して「彼らは圧倒的に強い敵(アメリカ)に対して、最も有効な手段で反撃をしてみせた。テロは正しいことではないかもしれないが、彼らがアメリカに抵抗するのには、これしかなかったとも思う」という内容の発言をしていたのです。
 当時はまだ、「炎上」するほどインターネットは普及していなかったのですが、僕はこれを読んで、「それは違う」と言い切ることはできなかったのです。


 前置きが長くなってしまいましたが、この新書、保坂正康さんが、昭和のはじめから日中戦争、太平洋戦争に至るまでの「テロの時代」を、その経緯、背景や民衆の反応などについて解説したものです。

 昭和はテロで幕が開き、それは昭和11(1936)年2月の二・二六事件まで続いた。 
 昭和3(1928)年6月に中国東北部満州に向かう列車が爆破された。これは、関東軍高級参謀の河本大作らによるテロ事件であった。乗っていたのは満州軍閥の頭領とも言うべき張作霖であった。この事件からほぼ8年間、日本社会は、軍人、民間右翼、さらにはテロリズム信奉者などにより、暴力で歴史を組み立てるという道を歩んだのである。謀略、テロ、そして暗殺が渦巻き、この8年間は日本社会が大きな歪みを見せた時代だったと言ってよかった。なぜこれほどまでに暴力に席巻されたのであろうか。
 いろいろな解釈が可能である。テロや暗殺が「悪」と思われなかったというのも理由の一つであろう。あるいは行為の残虐さが動機の至純さによって正当化されるという異様な集団心理が、暴力の時代を支えたとも言えるであろう。しかし最大の理由は意外に簡単で、目的のためには手段を選ばないというやり方が、この国の基本的な柱になった点にあるのではないだろうか。まさに軍人の論理が日本社会の基本的心情になったと言ってもよかった。


 1932年(昭和7年)5月15日に起きた『五・一五事件』では、犬養毅首相をはじめ、多くの政府要人が暗殺されました。
 その裁判は陸海軍関係者と民間人に対して行われました。

 この裁判で異様な光景が展開したのは、陸軍側の裁判だった。陸軍士官学校候補生といえば、まだ20歳前後の青年である。法廷では一大宣伝戦の様相を呈する状態が演出されたのである。かつて私は、五・一五事件の内実に分け入り、書を著したことがあった(『五・一五事件──橘孝三郎と愛郷塾の軌跡』)。
 そこで私は、この裁判について次のように書いた。
『(法廷では)被告は泣き、裁判官も泣き、弁護士も泣き、これを報じる新聞記者のペンも泣き、読者も泣き……。涙、涙の大キャンペーンだった」
 法廷では青年たちは、「自分たちは死を覚悟している。信念に基づいて行動したのだから悔いはない。今更弁護してもらいたくない」と一様に発言し、弁護士も拒否するという姿勢を示した。そうもいかないと官選弁護人が8人ついて、法廷が開かれた。士官候補生の一人は、砲兵科の首席で、あと二ヵ月で恩寵の銀時計をもらえるはずであった。そういう事実が紹介されたが、この候補生は西郷隆盛の「名もいらぬ金もいらぬ名誉もいらぬ人間ほど始末に困るものはない」との遺訓に打たれていると語り、非常時日本にはこういう始末に困る人間が必要なのだと胸を張った。
 さらにこの候補生は、出身地の福島の農村の疲弊を語るときには涙を流して言葉を詰まらせた。法廷は、前述のように「涙、涙」になったのである。 判士長(裁判長)が被告たちに、慈父のような声をかけるのもまた異常であった。
 五・一五事件の法廷模様をもう少し続けていこう。日本近現代史において、これほどテロの犯人たちがたたえられたことはなかったであろう。なぜこのような現象が起こったのだろうか。これが昭和前半期最大の謎である。私の疑問はなかなか消えない。
 たしかに20歳を越えたばかりの青年が涙ぐみながら、日本の現状を嘆き悲しむ光景は、大人たちの現実感覚を刺激したとは言えるだろう。青年たちは法廷で単に意見を陳述するのではなく、社会への憤懣を次々と口にして、まるでアジ演説をするかごとき光景が現出した。彼ら士官候補生は、一人ずつ自由に意見を言うことが許された。しかも「政党、財閥、特権階級の腐敗堕落」という具合に、まさに反体制の論理や言葉が全面に押し出され、青年層の正義感が脈打つ陳述が連日繰り返されたのである。

 弁論の場では、こんな意見も披瀝されている。逆立ちした論でもある。
「被告が厳罰に処せらるとも、犬養首相は蘇生するものではない。墳墓は依然として墳墓だ、国家改造のために起った被告の真情を知るなら、英傑犬養氏また地下に瞑して被告の将来を嘱望していることであろう」
 犬養首相の内心まで一方的かつ恣意的に持ち出して、論を続けるわけだが、「犬養氏また地下に瞑して被告の将来を嘱望していることであろう」などという箇所は、新聞報道では「感極まってか裁判長涙で顔を曇らす」と書いている。


 法廷には多数の減刑嘆願書が寄せられ、中には自分の指を詰めてホルマリン漬けにして送ってきた人もいたそうです。
 裁判が、テロを行なった青年将校たちのアピールの場になり、国民の多くも報道を通じて彼らの行為を「義挙」だと称賛したのです。
 今の時代、2023年にこれを読むと、「このテロリストたちも国民も正気かよ……」と思わずにはいられないのですが、時代の空気というのは、それだけ強い影響力を持つということなのでしょう。
 こうして「テロの時代」になってしまうと、反対すれば殺されてしまう、あるいは、社会的に排除されてしまいますから、「これはおかしい」と思ったとしても、その声をあげるのはどんどん難しくなってしまいます。

 「資本家や元老、既得権益者たちばかりがさらに富んでいく格差社会」への反発と自分たちの困窮が、「敵の敵は味方」だと、彼らを「成敗」するテロリストたちへの共感につながっていくのです。
 さらに、軍部にも派閥争いがあって、自派にとっての邪魔な存在を消すために、「義挙(=テロ)」に向かう青年将校たちを焚きつけたり、制止したり、厳罰に処したりせずに利用した高官についても著者は言及しています。

 誰だって、自分が嫌いなヤツが叩かれていれば、内心快哉を叫ぶものではないでしょうか。
 でも、そうやって、周りが「支持」していると、その力はどんどん大きくなり、暴走していく。
 そして、安全圏から眺めていたはずの自分も、危険にさらされることになる。

 「目的は手段を正当化する」のか?
 「そんなことはないはず」だと僕も思いたい。
 でも、アルカイダがプラカードを持ってデモ行進を地道に続けていたら、世界は変わっていたのだろうか。

 幸いなことに、現代社会はこうした(テロを肯定する)方向に向かっているとはまだ言えない。しかし私が指摘したような動向は一部に表れているようだ。報道によると、拘置所にいる山上某の元には未知の人からの差し入れがあり、それも現金が多いというのだ。インターネット上では「減刑嘆願」の動きもあると報じられている。テロを肯定しかねないこのような動きは社会的に注視しておく必要があるように思う。
 と同時に、私たちは昭和のある時期の「テロで歴史が動いた時代」の実態を確認いしておく必要がある。昭和のある時期からの軍事主導体制、あるいはファシズム体制は、テロが導火線になっていたからだ。それがやがて戦争に直結し、日本は自滅の方向に進んだのであった。
 無論テロは怖いが、しかしより怖いのはテロを肯定する感性、テロを義挙と見る心理、賛美する表現なのである。昭和のテロはそのことを余すことなく教えている。そのことを何度でも確認しておきたいと思う。特に国家改造運動といった言い方をされると、社会正義への志向が感じられるようになってしまい、それが暴力の是認と一体化していることが不透明になる。その辺りをきちんと整理しておかなければならないように思う。


 日中戦争、太平洋戦争前の日本人が格別に愚かだった、ということはないはずです。
 歴史の大きな渦みたいなもののなかでは、ほとんどの人は流されていくしかない。流されまい、とした人たちの多くは、闇に消えていったのです。
 
 それでも、僕は山上某が起こした事件について、「統一教会を集票装置として利用してきた政治家たちをひとりの市民が『告発』するために、あれより効率的・効果的で非暴力的な方法が存在しただろうか?」と考えずにはいられません。
 マスメディアも「衝撃的な事件」だったからこそ、彼の主張や動機を大きく採りあげた。
 『五・一五事件』を報道で知った当時の日本の国民も、同じように逡巡していたのだろうか。


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