Kindle版もあります。
スマートフォンカメラなどに搭載される「電子の目」、イメージセンサー。ソニーのイメージセンサー事業は現在シェアナンバーワンで、ソニーの収益面をがっちりと支えている。
しかしこの事業、実はソニー社内では「問題事業本部」「負け組」「お荷物集団」と言われ、事業所の中心も神奈川県厚木市の「辺境」にある。そして、会社のトップはひそかに事業売却を検討していた――。
一体どのようにしてソニー半導体は幾多のピンチを乗り切り、ついには会社の基幹事業といわれるまでになったのか? 素人本部長とプロの技術者集団による痛快逆転ストーリー!
この「内容紹介」や表紙のコメントなどをみて、「リアル『半沢直樹』」みたいな話なのかと思いつつ手に取った(というか、Kindle版を買った)のです。
実際に読んでみると、著者自身は開発に従事した技術者ではなく、東京工業大学で経営工学を専攻し、「文系枠」でソニーに入社したそうです。
『プロジェクトX』的な「最前線での開発者のドラマ」というよりは、ソニー受難の時代の迷走っぷりと社内政治というものの複雑怪奇さが印象に残りました。
当初はほとんど期待されておらず、他社への事業売却も検討された部署が、「イメージセンサー」の革新によって、会社の屋台骨を支えることになったのです。
ソニーほどの大きな、優秀な人材が大勢いる会社でも、未来を予見することはできないのだなあ、と、あらためて考えさせられました。
1年半くらい前から、株を少しだけ買っているのですが、ソニーの株価って、この1年半でかなり上がっているんですよね(日経平均株価も上がっているので、全体的に株価は上昇傾向ではあるのですが)。
投資関係の雑誌を読んでいると、ソニー株が「買い」である理由に、必ずといっていいほど「イメージセンサー事業が好調」と書かれています。
1970年代生まれの僕にとっての世界の『SONY』のイメージは、ウォークマンやAV機器、VAIO、映画、そして、プレイステーションなのです。
ソニーをはじめする日本メーカーのAV機器は、価格競争力の低下で世界でのシェアを落としており、ソニーは携帯ゲーム機でも、PS VITAがニンテンドー3DSに遅れをとっていました。
そんなソニーを救ったのが、「イメージセンサー」だったのです。
「はじめに」より。
最近のソニーの業績を見ると、イメージセンサー(撮像素子)を中心とした半導体事業が収益の柱の1つとなっています。
ソニーといえば、昔は革新的でユニークなエレクトロニクス機器(電子機器)を世の中に提供し、世界をあっと言わせてきた企業です。世界初の商品を開発することに情熱を注いできた会社でもありました。 しかし2000年代に入ると、その輝きが薄れたという評価を受けるようになります。
「ソニーがダメになった」という理由に対しては、本当にさまざまな分析がなされています。
ダメになったのは、べつにソニーに限った話ではありません。2000年以降、日本の家電、電機業界全体で地盤沈下が起きています。業界全体が下り坂に苦しんでいたころ、ソニーでは出井伸之会長兼CEO(最高経営責任者)からハワード・ストリンガー会長兼CEOに政権移行が行われたのです。
このころ、私はデバイス(部品)部門である半導体事業本部に副本部長として異動してきたばかりでした。ソニーでデバイス部門というと、テレビや家庭用ゲーム機といったセット(完成品)の差異化に貢献するサポート部門という位置づけが強くなります。本社のマネジメント部門の注目度も低く、部品供給と予算で約束された利益創出に興味を示すくらいで、それ以外ではあまりとやかく言われない存在でした。
半導体事業本部は、神奈川県厚木市に事業の中心を構えています。ソニーでは「厚木、仙台、ニュージャージー(アメリカのニュージャージー州にアメリカの販売拠点がかつてあった)」と言われる存在です。本社からの縁遠さや古い体質を密かに揶揄して、そう呼ばれていたのです。2005年に半導体事業本部の副本部長、2008年には本部長を拝命した私は、半導体技術についてはまったくの素人でした。興行系の大学を卒業したといっても、専攻は経営工学という、電子工学とは無縁の領域です。
しかも副本部長に就任して以降は危機続きでした。製品の品質管理による赤字、家庭用ゲーム機「プレイステーション3」用の半導体の赤字……。本社からは「問題事業本部」と目をつけられていました。事業売却候補の集団でもありました。
仙台、厚木、ニュージャージーの人たちが、なんだかかわいそう……僕が住んでいるところより、ずっと「都会」なのに……(ニュージャージーに関しては、どんなところだかよくわからないけれど)
そもそも「イメージセンサー」って何なのか?スマートフォンのカメラなどに使われている、ということくらいは知っているけれど……
僕はこの本を読んで、ようやく、「イメージセンサー」の仕組みがわかり、「なぜ、イメージセンサーがソニーを救ったのか?」も理解することができました。
時代の流行に遅れつつあったソニー。
同じようなことは、本書の舞台である半導体事業本部にも起きていました。
主力商品であるCCDイメージセンサーが早晩、CMOSイメージセンサーに取って代わられると見られていたのです。イメージセンサーは撮像素子ともいいます。光を感じて電気信号に返還する半導体センサーで、「電子の目」とも称されます。デジタルカメラに代表される光学機器の重要な部品です。
フィルムカメラでいうならフィルムにあたります。カメラのレンズを通って入ってきた光をイメージセンサーがお皿のように受け止めて、画像を作り出す大切な部品です。
ソニーでは、元々CCDイメージセンサーを製造していたのですが、他社との差別化のために、いちはやく、より高画質で処理速度が速いCMOSに注力していったのです。
ちなみに、ソニーがCMOSイメージセンサーを初めて商品化したのは2000年で、AIBOの鼻の部分に搭載されたそうです。
その後、イメージセンサーの品質トラブルやリチウムバッテリー発火問題、あまりにも製造コストが高すぎる(初期の)プレステ3と、ソニーは踏んだり蹴ったりの状態に。状況を打開するために著者が事業本部長に任命されたのですが、本社の上層部は、ソニーの半導体事業を売却する方向で動いていたのです。
結果的に、上層部のなかでひとりだけが「内部でデバイス(部品)をつくっているのがソニーの収益性を高めている」と反対したことで、事業売却は立ち消えになりました。
ソニーの半導体事業は、何度も売られそうになりながらも、ギリギリのところで、社内に踏みとどまったのです。
もちろん、先見の明がある人や優秀な技術者たちのおかげではあるのですが、こういうのって、「運」とか「巡り合わせ」の要素が大きいのではないかという気がします。
正しい選択をしたから結果が出た、というよりは、良い結果を生んだから、正解を選んだことにされたのかもしれません。
ソニーのイメージセンサーは金の卵を産む鶏だったのですが、その陰には、卵を産まない鶏がたくさんいたはずですし。
ソニーの高品質のCMOSイメージセンサーはデジタルカメラや家庭用ビデオ撮影機、オリンパスの内視鏡などで使われていったのですが、最も大きな市場となったのは、携帯電話(スマートフォン)でした。
ただし、最初のころは携帯電話機メーカーから見向きもされませんでした。
「500万画素の写真を携帯同士で交換する? 動画も撮影するって? 一体、通信コストがいくらかかると思っているの、あなた方は通信の素人だね」
売り込みに行くと、こう言われたそうです。
ところが通信技術はどんどん発達し、送信できる情報量が増大し、静止画を送り合う時代へとあっという間に移り変わりました。最初は500万画素だったものが800万画素となり、さらに1200万画素へと各社が画素数を競い合う時代になりました。そのうち、動画撮影機能をアピールする会社も出てきたのです。
動画を送り合う文化を作ったのは、スマホを使いこなした欧米の若いユーザーでした。現地ではWi-Fi(無線LAN)が早くから発達していたからでしょうか。スマホで撮った写真を仲間とシェアするのに飽き足らず、動画を撮影してシェアするようになったのです。
今では当たり前のトレンドですが、実はスマホに装備されているCMOSイメージセンサーの実力では厳しい使われ方でした。当時のインターネット上の書き込みでは、「スマホの動画が暗すぎて使い物にならない」というクレームが飛び交っていたのです。
当時はまだスマホ用のイメージセンサーとして、低コストな通常タイプ(表面型)のCMOSイメージセンサーが使われていました。各メーカーはCMOSイメージセンサーの欠点である暗さを補うために、フラッシュをたくことで明るい静止画を撮れるようにしていました。
しかし動画となるとフラッシュをたくわけにはいきません。特にスマホ用に供給されていた通常タイプのCMOSイメージセンサーは暗くて室内での動画撮影には不向きでした。
かくしてソニーの裏面照射型CMOSイメージセンサーが、にわかに脚光を浴びるようになったのです。なにせ明るさが2倍になるわけですから、「動画が暗い」というクレームをたちまち解決できるというわけです。ソニーにとっては、まさに千載一遇のチャンスが巡ってきました。
スマートフォンがすごい勢いで普及し、スマホのカメラの性能もどんどん上がっていったのです。
スマホのカメラの性能が、その機種のセールスポイントになりました。
「写真はデジカメ」だったのが、あっという間に、スマホのカメラで撮って、そのままSNSに投稿される時代が来たのです。
「自撮り」のために、表側カメラに求められる性能も上がっていき、ソニーのイメージセンサーの需要はさらに増えていきました。
2019年度に、半導体部門の売上高は初めて1兆円を突破しました。そのうち9割近くをイメージセンサーが占めています。今や、半導体事業は全社利益の4分の1を生み出す稼ぎ頭です。
最近では複眼といって、主要カメラには複数のセンサーが取り付けられ、コントラストや望遠などの性能向上を図るようになっています。上位機種では4眼もめずらしくありません。
この本を読んでいると、技術者たちの底力とともに、ソニーという会社の「幸運」も感じずにはいられないのです。
イメージセンサー事業が売却されていてもおかしくない場面はたくさんあった、というよりは、上層部が売ろうとすると、誰かが反対したり、買い手の都合が悪くなったりしたために、「売るタイミングを逸してしまった」のだから。
どんな賢者でも、未来のことを予測するのは難しい。
2000年、いまから20年前に、AIBOの鼻に新しいセンサーが搭載されたときに「イメージセンサーという『部品』がソニーの稼ぎ頭になる」なんて、おそらく、誰も考えてはいなかったはずです。
あと、これを読んでいると、会社の「人事」というのも、本当に予測不能なものだな、と思わずにはいられないのです。
『課長・島耕作』って、けっこうリアルなストーリーだったんだな……(島耕作がモテすぎるのは別として)