琥珀色の戯言

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【読書感想】すべてのJ-POPはパクリである ☆☆☆☆


すべてのJ-POPはパクリである (~現代ポップス論考)

すべてのJ-POPはパクリである (~現代ポップス論考)


Kindle版もあります。

内容紹介
◆ヒット曲を分析したら現代社会が見えてきた


 マキタスポーツ氏は芸人でありながら、10年以上にわたりバンド「マキタ学級」を率いて音楽活動をしてきた。
 その中でカノン進行、J-POP頻出ワード (「ツバサ」「サクラ」「トビラ」「キセキ」)、楽曲構成など、「ヒット曲に共通する要素」に気づき、それらの要素を分析・分解し、『十年目のプロポー ズ』という曲を発表したところ、配信チャートでスマッシュヒット。その流れと同一線上にある「作詞作曲モノマネ」というネタでも各メディアから注目を浴びることとなる。
 もともと構造分析フェチであったマキタ氏は、本書で「アイドルとは終わりを愛でる芸能である」「『トイレの神様』理論」「ビジュアル系とはビジネスモデルである」「『鰻の甕』理論」など、数々のロジックでヒット曲の謎を解き明かしている。
 そして、最終的に行きついた「すべてのJ-POPはパクリである」という結論とは?
 本書は芸人による音楽評論本でありながら、現代社会における「オリジナリティー」とは何かなどを考えさせる現代社会批評の書ともなっている。


「すべてのJ-POPはパクリである」という、かなり挑発的なタイトルです。
 炎上ビジネス?なんて思いながら読み始めたのですが、著者のマキタスポーツさんは、これまでのヒット曲を徹底的に分析して、「ヒットの法則」らしきものに辿り着くのと同時に、「オリジナリティとは何か?」という疑問への答えを探しているのです。
 この本を読んでいると、いま流行りの「ビッグデータ」を駆使して、「売れた曲のエッセンス」を解析してくっつければ、大ヒット曲ができるのではないか、とすら思えてきます。
 でも、実際は(現時点では)そんなに簡単に売れないし、一度売れても、売れ続けることは難しいんですよね。
 実は、こういうふうに「売れるためのマーケティングやデータ解析」をやっている人は、少なからずいるのではないかと思うんですよ。でも、そういう「手の内」を明かした人はいなかった。
 まあ、「飯の種」ですからね。

 さて、いよいよ「ヒット曲の法則」をひもといていきましょう。
 まず最初にご紹介しておくと、「ヒット曲の法則」は、次の4つの項目から成り立っています。


・コード進行
・歌詞
・楽曲構成
・オリジナリティー


 この4段階のステップを踏まえていくことで「あなたにもヒット曲が作れる!」という、ちょっとした「講座形式」で説明をしていきます。音楽を作る側の人はもちろん、リスナーとして楽しんでいる人でも、きっと今後の音楽の聴き方が劇的に変わるはずだと自負しています。楽器などを手にしたことがない人に向けてもなるべく丁寧に説明していきますが、もし分からないところがあった場合はざっと読み飛ばしながらでも、ページをめくっていってください。


 僕も「楽器などを手にしたことがない人間」なので、実感としては分からないところも多かったのですが、著者の説明は丁寧で、実際の曲も例として挙げられており、概略は理解できたと思います。
 

 では、本題に入りましょう。ずばり、これさえ覚えれば、ヒット曲っぽい感じになるというコード進行が存在します。その名は「カノン進行」。
 というのも、日本のポッポスのヒット曲で使われているコード進行にはカノン進行をベースにしたものが多いのです。
 カノン進行とは17世紀のドイツ人オルガン奏者のヨハン・バッヘルベルが作曲した『バッヘルベルのカノン』という楽曲で使われているコード進行で、後に近代西洋音楽の基礎を作り「音楽の父」とまで呼ばれているバッハにも影響を与えたといわれています。


 この「カノン進行」をベースにした曲には、山下達郎さんの『クリスマス・イヴ』、荒井由実さんの『ひこうき雲』、KANさんの『愛は勝つ』、大事MANブラザーズバンドの『それが大事』、サザンオールスターズの『真夏の果実』、米米CLUBの『浪漫飛行』、Xの『Endless Rain』など、さまざまな「名曲」があるのです。
 人気アーティストの「代表曲」が多く、それと同時に「一発屋」と呼ばれるアーティストの「一発」として語り継がれている曲も少なくありません。
 あまりにも「売れ線の曲」ができてしまって、その後、その曲を越えられない場合も多い、という「劇薬」なんですね。


 J-POPの分析者であるのと同時に実作者でもある著者の、いまの音楽シーンへのコメントは、非常に刺激的で、「そういう聴き方があったのか!」と感心せずにはいられません。

 ももクロの場合は、本来は60分のステージで「盛り上がる曲も歌えば、バラードもあり、MCやミニコントなども挟みつつ構成する」ことを、すべて一曲の中に演出として詰め込んでいるわけです。
 完全にドーピング的な感じではありますが、そうじゃないともうファンには刺激が足りないし、ライブ会場で盛り上がろうとする人たちはそういったアッパーなものを体験するためにその場に来ているのです。
 ももクロは、ファンの「ぶっ飛びたい」というニーズに応えるために、極端なことをやっているのです。そして今、日本の音楽シーンで、一番乱暴なことができるアイドルという便利な装置の中でも、ももクロの場合はさらに乱暴さにドライブがかかっています。それはやはりアイドル戦国時代の本丸にどーんと構えているAKB48が超保守的な楽曲を作ってくれているからこそ、過激な実験ができるという側面もまたあるわけです。


 また、「シーンの内部にいる人」から、こんな言葉も引き出しています。

 ビジュアル系バンドの多くのボーカルは、ボーカルにのみ専念していて、「ボーカル&ギター」というようなパートは担っていません。LUNA SEAのドラマーである真矢さんとお話をする機会があり、実際にそのことについて尋ねてみたところ、「ボーカルがギターを弾くというのは現実をお客さんに思い起こさせて醒めさせてしまう行為です。ビジュアル系のバンドというのは夢を見させなければいけない」と言っていました。
 つまりビジュアル系バンドは、お客さんを非日常の世界に連れて行かなければいけないし、そのためにボーカルは常にお客さんのほうに顔を見せて疑似恋愛を楽しませているのです。もしボーカルがギターを持っていたとして、一瞬でも演奏を気にして目線を観客からギターの指のポジションへと外したら、それだけでお客さんは醒めてしまうのです。真矢さんは「ボーカルはその辺にいそうな人ではいけない、孤高の存在でなければならない」とも言っていましたが、夢を見させてくれる非日常的な存在こそが、バンドの「カオ」になっているのです。
 ビジュアル系バンドは総じて演奏技術が高いのですが、誤解を恐れずにいえばボーカルに求められることはとにかく「顔がいいこと」であり、演奏力や作詞作曲能力は必要ないのです。


 そうか、「ギターを弾いてはいけない」のですね。
 そこまで、お客さん目線で考えなければならないのか……
 でも、これを読んでいると、「そもそも、バンドじゃなければいけないのか、音楽を演奏しなければいけないのか?」という気もしてきます。
 

 著者は「パクリ論争」について、こう述べています。

 こう考えると、この章の最初に書いたような「パクリか、パクリじゃないか」などという論争は途端にバカバカしいものに思えてきます。何しろ、ポップスやロックは「規格」そのものが輸入されてきたものなのですから。
 そして、ついつい「規格」にばかり目が行きがちですが「人格」が乗っかっていることを忘れてはいけません。逆にいえば、これさえあればどんな作品も「パクリ」になりようがないはずだ、とさえいえます。意図的に盗作をするのではない限り、重要になってくるのが、「一流のアーティストであれば元ネタを引用し、解釈して新しいものを作っていく手法にこそオリジナリティが発揮される」という話なのです。


 完全な「オリジナル」など、いまの音楽シーンには存在しようがない。
 でも、その一方で、それを人がなぞっているかぎり、「完全なパクリ」というのも無くなってしまうのです。


 実際のところ、いまの世の中で、「何の影響も受けていない、オリジナル」は、存在しえないと僕も思います。
 しかしながら、「パクリのどこが悪い!」って言う人がいたら、やっぱりなんだか腑に落ちないのも事実なんですよ。
 そのあたりは、「夢を見させてほしい」ところではあるのだよなあ。

 

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