読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) ☆☆☆☆

映画



かつてヒーロー映画『バードマン』で一世を風靡(ふうび)した俳優リーガン・トムソン(マイケル・キートン)は、落ちぶれた今、自分が脚色を手掛けた舞台「愛について語るときに我々の語ること」に再起を懸けていた。しかし、降板した俳優の代役としてやって来たマイク・シャイナー(エドワード・ノートン)の才能がリーガンを追い込む。さらに娘サム(エマ・ストーン)との不仲に苦しみ、リーガンは舞台の役柄に自分自身を投影し始め……。

参考リンク(1):バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)


 2015年9作目の映画館での鑑賞。
 週末のレイトショーで観賞。
 観客は15人くらいで、年齢層やや高めでした。



 オッサン、それ幻聴だよ……


 『バベル』の監督と聞いて、すごく悪い予感がしたんですよね。
 いや、内容以前に、あの「手持ちカメラのずっと微妙に揺れている映像」が、乗り物酔い、3D酔いしやすい僕にはすごくキツかったので。


 この『バードマン』、ずっとワンカットの長回しで撮られているようにみえて、すごいなあ!と関心してしまったのです。
 「ここで普通なら場面転換されるはず」などと思いながら観ていたのですけど、だんだん、自分が「神の視点」から眺めているような気分になってきました。
 ちょっとテレビゲームっぽいというか、あの『スパイvsスパイ』みたいだ、とも思いながら。


 最初は、微妙に揺れる画面にやや気分が悪くなったのですが、後半からは目が慣れたのか、あまり画面が揺れなくなったのか(たぶん、演出的な意図で、後半はあまり揺らさないで(あるいは前半揺れ多めで)撮っているのだと思います)、酔いはおさまりました。


 舞台の世界って、こんなにみんな変人だったり偏屈だったりするものなのだろうか?
 どこまでが現実で、どこからが妄想だかわかなくなりながら、「オッサン、それ幻聴だよ!」って画面に向かって無言でつぶやきつつ観ていたのですが、「わけがわからないものを観て、わかったような気分になることに優越を感じるタイプの人」以外には、ちょっとオススメしがたい映画かもしれません。


 なんだ、僕向けってことじゃないか。


 まあでもほんと、「だから、何?」って言われてしまえば、それまでの映画なんですよね。「2時間の映画を、全部ワンカットで撮っているように見えるって、すごいことなんだよ!」っていうのは、「たくさん映画を観ている、映画好き」にしか通用しないわけで。
 せっかくの週末だし、たまには映画でも観に行くか、おっ、アカデミー賞作品なのか、これにしよう!と観に来たらしい中年カップルの男性が、「うーん、これがアカデミー賞、か……」とつぶやきながら、エンドロールがはじまってすぐに出ていきました。


 いやむしろ、「こういう映画こそが、アカデミー賞向き」なんですよね……なんか申し訳ない気分になってきた。僕が悪いことしたわけじゃないのに。


 この映画、予告編を観たかぎりでは、「昔の栄光にとらわれているスターが、人気を取り戻そうとして悪戦苦闘するコメディ+感動のドラマ」っぽかったのです。
 ところが、はじまってみれば、妄想と幻聴とエキセントリックな役者とハリウッドのヒーロー映画バッシングだらけ。
 ロバート・ダウニーJrはこれを観て、怒らないのだろうか。
アベンジャーズ2』の敵が『バードマン』になるかも……
 そもそも、『元バードマン』を演じている、マイケル・キートンは、『元バットマン』だったわけで。
 実はこの映画、アメリカでも、こじんまりと公開されていたものだそうです。
 こういうのを探してきて賞をあげるアメリカ映画界の懐の深さを感じるのと同時に、フォロワー100人くらいの人の内輪向けの毒舌ツイートが、有名人にリツイートされて大炎上!みたいな感じもします。


 最近の映画って、以前よりさらに「予告編と内容が違う」ことが多いような気がするのです。「釣り予告編」とでも言うべきか。
 「予告編のほうが本編よりずっと面白かった映画」として有名な『ワイルド・ワイルド・ウエスト』みたいな「つまらない映画のマシな部分を濃縮して見せる予告編詐欺」っていうのは昔からあったのですが、より手口が高度になって、「本編を誤解させるような予告編」が増えてきました。
 『ベイマックス』の予告編をみて、あんな戦隊ヒーロー映画だと思った人は、ほとんどいないはず。
 いや、『ベイマックス』は、「予告編とは違うけど、面白かった」ので、そんなに怒るようなものじゃないかな、とも思うんですけどねえ。
 コメディだと思っていたら、文芸鬱映画を観せられたら、けっこうキツい気分のときもあるのでは。


 この『バードマン』を観ながら考えていたのですが、いまの世の中って、SNSなどで「ナマの人間の行動」があまりにも透明になってしまっていて、「フィクション」で人の心を動かすのは、難しくなっているような気がするんですよ。
 「でもそれ、作り話だろ」って言われてしまうと、なんだか興醒めしてしまう。
 そんな世の中で、人の心を動かせるのは「アクシデント」だけ。
 先日の『報道ステーション』で、古館伊知郎さんと古賀茂明さんとの「圧力」についてのやりとりが話題になりましたが、ネットでは「面白かった!」「ああいうのを観たい」という声が目立っていたのです。
「ちゃんとつくりあげた、完成度の高いもの」を見せたい「伝える側」と、「もう、作り物では満足できない。何か『面白い、予期せぬこと』を見せてくれ」という「伝えられる側」。
 そういう意味では、「映画」って、もう、「オワコン」で、舞台に観客が期待しているのは「アクシデント」になってきているのかもしれません。それも、みんなで話題を共有できるような。
 大事なのは、コンテンツにこめられた「良心」ではなく、YouTubeでの再生回数や、リツイートされた数。
 いかに「みんなにネタにしてもらうか」が勝負。
 そういう意味では、「なんだこれは?」とずっと観ている側を挑発し続ける『バードマン』というのは、すごく「現代的」なのです。
 観ると「何か言いたくなる映画」であることは確かなんですよね。


 それにしても、アカデミー賞って、映画とか、舞台に関する作品が好きだよねえ。


 万人向けとは、まったく思えませんが、これを読んでも「観てみたい」という人は、それなりに楽しめるのではないかと。


参考リンク(2):傑作?駄作?アカデミー4冠バードマンの評価が真っ二つ!【映画・評価・あるいは・主題歌】 - NAVER まとめ