琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

タイタニック 3D ☆☆☆☆☆


あらすじ: 1912年4月10日、イギリスのサウザンプトン港から豪華客船タイタニック号が出港。婚約者の資産家キャル(ビリー・ゼイン)と乗船し、彼との政略結婚に絶望するローズ(ケイト・ウィンスレット)は、甲板から海に身を投げようとする。だが、そこに居合わせた画家志望の青年ジャック(レオナルド・ディカプリオ)に助けられる。それを機に彼らは惹(ひ)かれ合うが、キャルの策略でジャックは宝石泥棒に仕立て上げられて警備員室に閉じ込められる。そんな中、タイタニック号の船首が巨大な氷山と接触して浸水が始まり、船体が傾いていく。


解説:アバター』のジェームズ・キャメロンが1997年に発表し、アカデミー賞作品賞ほか全11部門に輝いたパニック・ラブロマンスの新バージョン。300人ものスタッフと最先端のデジタル・テクノロジーを投入、オリジナル映像の全フレームを改めてチェックしてクリーンにするという、入念かつ壮大な作業を敢行。その結果、タイタニック号の船内や甲板の奥行き感、沈没シーンの迫力と臨場感が一段とアップしたバージョンとなっている。そのビジュアルの数々には、1997年の初公開時に劇場へ足を運んだ人も再び圧倒されてしまうはずだ(シネマトゥデイ)。

参考リンク:『タイタニック 3D』公式サイト


2012年13本目の劇場鑑賞作品。

水曜日・レディースデーということもあり、20時からのレイトショーの観客は20人強くらい。
さすがに『ファントム・メナス』よりは入っているなあ!と、ちょっと感動してしまいました。


この映画、最初に劇場公開されたのは1997年、僕がまだ20代半ばの頃でした。
とにかく凄まじい人気で、当時ですら珍しかった「立見」のお客さんがいたのを覚えています。
いまとなっては、1990年代の映画の代名詞のような存在である『タイタニック』。
公開前に映画館で予告編を観たときには、「こんなベタなラブストーリーに莫大な制作費かけちゃって、大丈夫なのかねえ」と感じたものでした。
実際、ジェームズ・キャメロン監督があまりに制作費を使いすぎてしまい、制作会社の経営危機まで噂されていたのだとか。


公開されて、歴史に残る大ヒット作品となり、アカデミー賞でも11部門を獲得しました。
主要部門でことごとく受賞したにもかかわらず、ディカプリオだけ主演男優賞にノミネートすらされなかったことが、当時はけっこう物議をかもしたものです。
いまあらためてこの映画を観ていると、ディカプリオの「青さ」は、この映画の「みずみずしさ」として、重要なエッセンスになっているんだけどねえ。
まさに、「あのときのレオナルド・ディカプリオにしかできなかった役」のようにすら思われます。
これほど商業的にも賞レースでも成功した映画は、近年では『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズくらいのものでしょう。


ちょっと脱線してしまいましたが、15年ぶりの『タイタニック』。
僕は基本的に「同じ映画は一度しか観ない」ので(なんか時間がもったいないような気がするので)、ほぼ15年ぶりに観ました。
大まかなストーリーは記憶していたのですが、今回の3Dバージョンが、以前のものとどう違うかは、ほとんどわかりませんでした。
気づいたのは、タイタニックが真っ二つになって海に沈んでいく場面が変わっていたことくらい。
あの場面、15年前に観たときに、やたらと強引というか、前後の場面と合っていないCGだなあ、と記憶に残っていたのです。


正直、3Dに関しては、期待したほどではありませんでした。
水の表現や船内の様子に関しては、ある程度「違い」がわかりますが、観ながら何度か「ああ、そういえばこれ、3Dだったな」と思い出さなければならないくらいです。
その一方で、眼の疲れかたが、ほとんど2D映画と同程度なのは、長尺のこの作品の観客にとって助かるのではないでしょうか。


僕15年前に観たときから、この映画の「ジャックとローズのラブロマンス部分」には、まったく魅力を感じなかったんですよね。
なんだか、ジャックが世間知らずで自分探し中のローズをその気にさせてやっちゃうまでのプロセスをみていると、大学時代に新入部員の女の子に「世の中のことを教えてあげるよ」って近づいていって、あっという間に口説き落としていたスケコマシの先輩を思い出します。
観ながら、この二人の愛にとっては、絶妙のタイミングで沈んだな、タイタニック!とか考えてしまうんですよ。
もしあのまま何事もなく駆け落ちしていたら、「稼ぎが悪くて粗野な夫と世間知らずで感情の起伏が激しい妻という悲劇的な夫婦」が誕生していただけなのではないか、と。


しかし、僕の記憶では、映画の半分以上はタイタニックが沈没していくシーンだったのですが、今回見直してみると、タイタニックが氷山に激突するまでで、2時間近く経過していました。その後、脱出するために船内を逃げ回るシーンも、「まだ続くのか……」というくらい長かったはずなのに。
それにしても、3時間以上の長尺なのに、ほとんど「長さ」を感じることは無かったのです。
最近すっかり忍耐力がなくなってきて、120分くらいの映画なら、必ず2,3度は時計を確認するのに。


この映画、いま、この時期にあらためて観ると、東日本大震災原発事故のことと、つい頭のなかで結びつけてしまうのです。
「最高の技術の結集」であり、「絶対に沈まない船」といわれたタイタニック
スタッフも優秀な人ぞろい。
その技術と自分の経験への信頼が、タイタニックの悲劇を生んだのです。
「沈むことはないだろうし、デッキの美観を損なうから」という理由で、乗客の半分しか乗れない数の救命ボートしか積んでいなかったことや、氷山の情報を知っていたのに、スピードをアピールしようとして加速してしまったこと、氷山に激突し、設計者は「沈没」を予測していたにもかかわらず、「パニックになるから」という理由で、それがほとんどの乗客には秘められていたこと。
設計者のアンドリューは、船が沈もうとする際に「もっと丈夫な船をつくればよかった!」と嘆きます。
船長は、処女航海の船がいきなりスピードを出しすぎることを危惧しながらも、自分の最後の航海が新聞のトップニュースになるという誘惑に、つい惹かれてしまいます。
みんな優秀な人間たちで、悪意もないのに、ほんの少しの油断と過信が重なり合って、タイタニックの悲劇は生まれたのです。
誰かひとりのせい、というわけではなくて。


ちょっとネタバレになってしまうのですが、タイタニックが沈んだ際に、1500人が海に投げ出されました。
そのなかで、救出された人は、わずか6人のみ。
タイタニックの近くには、とりあえず船から離れていた20艘の救命ボートがいたにもかかわらず、タイタニック沈没後に生存者の救出に向かったのは、わずか1艘だけでした。
それは「人間の薄情さの物語」でしょう。


でも、そのエピソードも「19艘の救命ボートの人たちが、自分たちの危険を避けるために現場に戻ろうとしなかったなか、1艘だけ、『人間の当然の行為として』現場に戻った船がいた」と書けば、「勇気ある船の人たちの美談」にもなりえるのです。


あと、タイタニックでは「女子供を先に救命ボートに乗せる」というルールになっていたのですが、いざという時に、こういうルールをほとんどの人が守るのが「紳士の国の底力」なのかもしれないな、と。
最後まで危険を訴える放送を続けて亡くなった女性の話を道徳の教科書に載せることの是非が話題になっていましたが、「命の危険が迫っているのだから、そんな放送よりも、自分が先に逃げるべき」というのが「常識」であり「正解」の社会では、こういう場面で「女子供を先に」ということになるのかどうか?
そもそも、今の世の中では、「女子供は先」というルールそのものがまだ生きているのかどうか?
今回、久々に観て、「ああ、『タイタニック』は、女性の自立の物語でもあったんだな」と15年経ってようやくわかったような気がします。


上映が終わったあと、後ろの席で、女性が号泣していました。
15年前は、満員の観客の半分くらいが泣いていて、「この映画を観て泣かないヤツはおかしい!」というくらいの雰囲気だったんだよなあ。
そんな中、当時付き合い始めたばかりの彼女は上映後もケロッとしていて、「うーん、どこが泣けるのか、よくわかんない。ああ、こんなつらい目にあった人たちがいたんだなあ、子どもたちかわいそうだったなあ、とは思ったけど」と言っていたんですよね。
それを聞いて、ああ、この人のこと、好きだなあ、信頼できるなあ、と。


観ながら、「はじめて『タイタニック』を映画館で観たころのこと」が、たくさん頭に浮かんできました。
映画は3D化されてもそんなに15年前と変わっていません。
むしろ、観客である僕の受け止めかたの変化を感じずにはいられませんでした。
15年前は、ああいう場面で、自分の子どもを守ることができるだろうか?なんて、まったく考えていなかったものなあ。


おそらく、映画館で観られるのは、ゴールデンウイークくらいまでだと思われます。
15年前に観た人、まだ観たことがない人、どちらでも楽しめる映画ですよ。
「3時間とか、長すぎ!」って心配だったけど、いま観ても全然退屈しないことに驚かされましたし、やっぱり「歴史に残る映画」です。

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