琥珀色の戯言

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【読書感想】学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」「心が叫びたがってるんだ。」ひきこもりだったじんたんと、幼少期のトラウマで声が出なくなった成瀬順。二人を主人公にした二本のアニメは、日本中の心を揺さぶり、舞台となった秩父は全国からファンが訪れるアニメの聖地となった。実は、そのアニメの脚本を書いた岡田麿里自身が小学校で学校に行けなくなっていたのです。これは、母親と二人きりの長い長い時間をすごしそして「お話」に出い、やがて秩父から「外の世界」に出て行った岡田の初めての自伝。


 アニメ版の『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』を観たとき、僕は不思議な感じがしたのです。
 えっ、不登校って、こんな気軽に出歩けるものなの?
 引きこもりって、開かずの間みたいになった自室のなかで、ずっとネットをやっている人のことで、食事はドアの前に置いておくと、いつのまにか空になった食器がドアの前に置かれている、そういう感じじゃないの?
 誰だよ、こんな「地底人」とか、変な文字が書いてあるTシャツばっかり着て、用事があったらフラフラ出歩き、昔の仲間とそんなに抵抗なく会えるような「新型ひきこもり」を勝手につくった作家は……


 その『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の脚本家が、岡田麿里さんだったのです。
 あれはかなり、岡田さんの実体験を反映した作品なのか……岡田さんの場合は、お母さんとお祖父ちゃんと三人での生活だったそうですし、もちろん、すべてが事実ではないのでしょうけど。

 登校拒否児に逆戻りして、ある程度のルーチンができてきて。朝の儀式と言えば、「ブラジャーのホックをはめようと努力するふりをする努力をする」だった。
 とりあえず、私は学校に行こうとしているのだ。だから今、この寒い朝にガスストーブの前に制服やら靴下やらをまとめおき、正座しながらブラジャーのホックと格闘している。こいつは、なかなか凸と凹がかみ合わない。このままでは、学校に間に合わないかもしれない——という前提で、私の強固な意思により確実にはまることのないホックをかちゃかちゃ言わせながら、十数分が過ぎるのをひたすら待つのだ。テレビでは、ポンキッキが流れている。子供向け番組に流れる曲の、良くできたテンポのいい旋律は、思わず一緒に口ずさみそうになり慌ててこらえる。
 私がブラジャーのホックと格闘するふりをしているあいだ、母親はうんざりしたような横顔を見せながら、背中を丸めて読売新聞を眺めている。一息ついたらコボちゃんを後で読もうと思いつつ、かちゃかちゃさせすぎてうっかりはまってしまったホックを、こっそりと外す。
 もちろん茶番だとはわかっている。けれど、母親もこの茶番を望んでいるのだ。ブラジャーのホックと格闘しようとはせず、開き直って自室で眠り続けていると、部屋の扉に激しく掃除機を打ち付けられる。何度も何度もガンガンガンと……それこそ、十数分も。
 ブラジャー以外にも、色々と「学校に行きたくても行けない設定」のバリエーションはあった。たとえば、私の生理痛は本当に凄まじいものだという設定。実際に軽くはないのだが、そこまで重くはない。たとえば、足の親指の爪を切りすぎて痛くて靴が履けないという設定。これは当然ながら不評だった。

 

 これを読んでいて、僕はいままで、不登校とか引きこもりの人を、十把一絡げに「こういうもの」だと思い込んでいたことがわかりました。
 みんなが極度の対人恐怖症で、部屋に籠ってネットしているわけじゃなくて、なんとなく学校に行けない日が続いてしまっている、という人もいるのだなあ。
 そういうのって、すぐにどうにかなりそうなんだけれど、それだけに、なかなか劇的な解決というのは難しいのかもしれない。

 母親以外の誰にも会う予定がないときは、風呂にも入らなかった。
 風呂に入らないで一日目、二日目はいいのだが、三日目からは痒くなってくる。臭ってくる。とても深いなのだが、風呂に入らず耐えているのも、退屈な日々の中では一つのイベントになっていた。四日、五日目になると、さすがに限界を感じて風呂に入ったが、どことなく負けたような気になったものだ。
 風呂に入らず伸びたスウェットを着て、すべての指には絆創膏、塩ラーメンをすすりつつ谷崎の『痴人の愛』を読み「ナオミみてぇな女になりてぇなあ」ともそもそ考える女子中学生は、傍から見ればとんだバケモノだろう。
 

 志賀直哉の『暗夜行路』を読んでいて「消日」という言葉を見つけた。
 この文字を目にしたときの、私の驚きといったらなかった。私の現状に、あまりにぴったりな言葉。これこれ、これなんだと。何もつみ重ねず、生産性もなく、思い出に残ることもなく、ただぐずぐずと消滅するだけの日々。


 そんな日々のなかで、岡田さんが本をたくさん読んでいたことが、結果的にその後の脚本家への道へとつながっていくのです。
 高校を卒業したら、「生きづらい人たちが共同生活しているところ」で働いてみたらどうか、と誘われた岡田さんなのですが、「そういう人のなかでは、自分はかえって、優しい人たちを傷つけてしまうかもしれない」と怖れを抱いてしまい、その誘いを断って、東京でゲームの専門学校に行くことになります。
 僕は「そんな急に環境を変えて、うまくいくのだろうか?」と思ったのだけれど、紆余曲折があったものの、「なんとかそれなりに適応できてしまった」のです。
 なんというか、人間というのはわからないものだよなあ、というか、本当に、不登校とか引きこもりというのも、人それぞれなのだなあ、と。
 逆に、「岡田さんができたのだから、あなたもできるはず」なんて、言えるようなものでもないんだろうな。岡田さん自身だって、引きこもっている状況と、脚本家として活躍している状態と、どちらかが正しいというわけではなくて、振り子のように行ったり来たりしていくのかもしれない。

 上京してからの私は、どこか夢の中を生きているような気分だった。
 まず、近所の目を気にせず外に出ることができる。田舎では徒歩二十分はかかったコンビニも近くにあり、夜中でも明け方でも好きな時に買い物することができる。学校に通って、階段に腰かけてお喋りすることもできる。お腹がすいたら牛丼を食べることができる。吉牛からんぷ亭のどちらにするか迷うことができる。
 新しくできた友達とオールナイトの映画を見に行き、明け方の渋谷を歩きながら「どうして私は、ここにいるんだろう」と感じた。うっすら白んでいく空に消えていく星を見上げ、以前は苦手だったコーヒーを飲みながら、本当に不思議に感じた。
 ほんの数週間前までは、永遠に手が届かないかもしれないと思っていた外の世界に、私は生きている。そして、なんとなく馴染めているような感じがする。
 告白をされて、彼氏もできた。自分が誰かに、恋愛感情を抱かれる時が来るとは。


 この本、「引きこもり、不登校体験記」として読むと、なんだかとてもヘンな感じなんですよ。
 その違和感の理由をずっと考えていたのです。
 岡田さんは、自分の身に起こったことをディテールも含めてけっこう丁寧に描写しているのだけれど、「こうして私は引きこもりや生きづらさから脱出した!」というノウハウ的な記述は、ほとんどないんですよね。
 劇的な理由や努力はないのに、なんだか唐突に、岡田さんは、生き方のレールを乗り換えることができている。
 こういう本には「先人の知恵」みたいなものを求める人が多いのではないかと思うのです。
 でも、本当のところは、「そこから抜けた本人でさえ、なぜ、『社会復帰(とされているもの)』ができたのか、よくわからない。いつのまにか、なんとなくそうなっていた」ということが、多いのかもしれません。
 それとも、岡田さんは、あえて、「それを書かなかった」のだろうか?
 もしかしたら、不登校や引きこもりと現在の自分は「地続き」でしかなくて、「脱出した」という感覚を持っているわけじゃないのかな。

 
 この本って、万人向けではないけれど、「役立つ人には、ものすごく役立つ」のではないかと思うんですよ、なんとなく、ですが。

 

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