琥珀色の戯言

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【読書感想】安吾のことば 「正直に生き抜く」ためのヒント ☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
日本が焦土と化した昭和の激動期に、痛烈な批評精神で人々の心をつかんだ作家、坂口安吾。その名言は、かの「人間は生き、人間は堕ちる」だけではない。「戦争をいたしません、というのは全く世界一の憲法さ」「人間は、国家繁栄のためにギセイになってはならぬ」「家の制度があるために、人間は非常にバカになる」「夫婦は愛し合うと共に憎み合うのが当然である」等々、今もリアリティを失わず、むしろ、価値観が揺らぐこの時代だからこそ響く名フレーズの数々を、安吾を敬愛する同郷の芥川賞作家が編む。


 いわゆる「逆張り」の人なのか、自分にも他人にも厳しい人だったのか……
 坂口安吾という作家、僕は正直「わかるようなわからないような……」という印象なんですよね。

 太平洋戦争敗戦。焦土と化した日本で、人々は食うものも着るものもなく、まして未来を描くこともできず、世界から難破したような状態だった。いかに生きるか。いかに食うか。そんな切羽つまっている時、「堕ちよ!」と人々に向けて声を発した男がいたのだ。
 我らが兄貴・坂口安吾(1906〜1955)である。荒廃した地を経めぐっていた人々は、その言葉をどう受け止めただろう。下手をしたら安吾は石つぶての雨、袋叩きである。だが、その「堕ちよ」の前に、「生きよ」という言葉が入っていた。
「生きよ堕ちよ」(「堕落論」)
「堕ちよ」という、この血も涙もないような言葉が、血も涙もある言葉となって、なんと、敗戦後の意気消沈していた日本人を元気づけたのである。「安吾よ、よくいった!」と。


 あの時代、ただでさえ「どん底」だと感じていたはずの日本人に、さらに「堕ちよ」と叫んだ安吾という人は、勇気がありますよね。


 この本は、そんな安吾の「ことば」の数々を同郷の芥川賞作家である著者がまとめたものです。


坂口安吾堕落論』より。

 戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。


 坂口安吾という人自身は、何かと難しい人、でもあったんですよね。
ビブリア古書堂の事件手帖』で採りあげられていた、安吾の妻・三千代さんの『クラクラ日記』には、こう書かれています。


fujipon.hatenadiary.com

大体において彼は豪放、無頼、細かいことはどうでもよくて、好き勝手なことをしているような印象を人に与えがちであったが、それもうそではないが、実際には大変に女性的な面も強い人だ。大変に几帳面だ。秩序や規律に対する愛情も人一倍強い人だ。ただその秩序や規律が、彼の流儀の秩序や規律なのだ。


 安吾は、けっこう問題発言も多く、ネット社会だったら「大炎上」をくり返していたのではないかと思われます。
(あるいは「炎上商法」と揶揄されていたか)

 この稀有なる正直者・坂口安吾は、今風にいえばKY(空気を読めない)なところがあって、「京都の寺や奈良の仏像が全滅しても困らない」(「日本文化私観」)だの、「陛下は当分、宮城にとじこもって、お好きな生物学にでも熱中されるがよろしい」(「天皇陛下にささぐる言葉」)だの、こちらが思わず冷汗を流してしまうようなことを平気で書く。


 この新書を読むと、「安吾って、本当に『強いことば』を発し続けていたんだなあ」と感心せずにはいられないのですが、著者が同郷の先輩である安吾を「兄貴」と呼び、やたらと褒めそやすばかりなのが、正直、読んでいて気持ち悪いんですよね。太鼓持ちみたいだ……
 著者の実力は「こんなもの」じゃないと思うのだけれど。
 著者もあんまり気乗りしないまま、名義貸しみたいな感じで、やっつけ仕事をしているのではあいか、とすら思えるのです。
 これなら、編集者がそのまま安吾の名言だけ集めて本にしたほうが、良かったのでは……


 この本で紹介されている安吾のことばのなかで、すごく印象的なものがありました。

 私は近頃、誰しも人は少年から大人になる一期間、大人よりも老成する時があるのではないかと考えるようになった。  (風と光と二十の私と)


 僕も40何年か生きてみて、自分が子どもの頃のほうが、よっぽど「大人びて」いたのではないか、と思うんですよね。


クラクラ日記 (ちくま文庫)

クラクラ日記 (ちくま文庫)

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