琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

ホテル・ルワンダ ☆☆☆☆

ネットで日本国内での公開推進運動が起こったことで一躍話題になったこの映画なのですが、僕も確かに「良い映画」だなあ、と思いました。もちろん、その「伝説」は「人々の力で日本でも公開にこぎつけた」というプロセスによって補完されているものなのかな、という気もしますし、もしかしたら、普通に国内でささやかに公開されていれば、一部の映画ファンが「いい映画だったね」と頷きあって通り過ぎていっただけだったのかもしれませんが。

以下はネタバレ感想なので御注意ください。



 僕はこの映画を観終わったとき、正直「スッキリしなかった」のです。だって、主人公のポールたちは「命拾いした」のですけれど、結局彼がやったことというのは、外国資本の高級ホテル「ミル・コリン・ホテル」の支配人であるという立場を最大限に利用して「ホテルのオーナーに泣きついた」とか「将軍に賄賂を贈って助けを求めた」とか、そんなのばっかりで、結局、白人という「御主人様」の走狗として生かしてもらっているだけじゃないか、と感じたからです。彼のような地位も人脈もないような人は、もう「どうしようもなかった」わけで。

 でも、この映画を観終わって一晩経った今は、こんなふうに考えています。
 こういう「誰かに頼って生かしてもらうしかない人々が存在していて、それは、彼ら自身にもどうしようもない状況に陥っているのだ」ということこそが、この映画が僕に投げかけていることなのではないか、と。
 それぞれの立場から言えば、ポールは、外国人や国連や政府軍に頼るしかない状況で「できるかぎりのことをして、最大限の人の命を助けた」わけですし、すぐに逃げ出してしまった外国人宿泊客にしても「巻き込まれた」だけだし、外国の軍隊にしても、「こんな自分たちに関係のない民族紛争で命を危険にさらすのはイヤ」に決まっています。そして、諸外国にとってルワンダは「助けるメリットがない国」。
 虐殺の現場を撮影し、世界中に配信したカメラマンに「これでルワンダは救われる」を謝意を述べたポールに、カメラマンは言い放ちます。

 人々は、この映像を見て、『恐ろしいね』と言って、何事もなかったようにディナーを食べるだけさ。

 これが世界の「現実」であり、結局、世界平和とか「隣人が殺しあうなんて残酷だ」なんていうお題目を唱えられるのは、それを外部から俯瞰できる「恵まれた人々」だけなのです。嵐の内側にいる人たちは、生き延びるためなら、なんだってやる人がほとんどでしょう。
 僕はこの映画に感動したというよりは、むしろ深い空虚と絶望を感じました。「シンドラーのリスト」のときもそうだったのだけれども、これは「こんな素晴らしい人がいる」というより、「こんな美談が生まれてしまうような背景」こそを観るべき映画ではないのか、と。「ミル・コリン」で助かった人は1200人、ルワンダで虐殺された人の数は、一節には100万人を超えるとも言われています。そしてたぶん、この「憎しみの連鎖」は、ツチ族の人々の心のなかに、ずっとずっとくすぶり続けているはずで、それは、部外者の「憎しみあうのはやめよう」なんて説得で消えるものではないでしょう。いや、映画を観ていて、正直なところ僕も、あのフツ族の連中、最新兵器とかでみんな「排除」してしまえばいいのに、とか思っていました。「役立たず」っぽく描かれていたけれど、あの状況で最後まで残って頑張っていた国連の平和維持軍の人たちって、本当に凄いよ。

 では、彼らは、どうすればいいのか?
 僕たちは、どうすればいいのか?
 答えを探しているふりをしながら、結局、今日も日常の仕事に押し流されていくだけなんですよね。
 いや、むしろ自分の日常をしっかり生きることのほうが大事なのか? 
 ひとつだけ言えることは、そんなことを考えられる余裕があるというのは、ものすごく幸運なことなのだろう、ということです。

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