琥珀色の戯言

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【読書感想】なぜメリル・ストリープはトランプに噛みつきオリバー・ストーンは期待するのか ☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
メリル・ストリープら人気俳優が次々と反トランプを表明する一方、オリバー・ストーン監督は、これまでハリウッドは政府べったりだったと批判し、トランプに期待を寄せる。自由・民主主義という理念の担い手として、またアメリカ覇権主義の喧伝者として、アメリカのひとつの象徴だったハリウッドが今、政権と敵対し、さらに人々からは「しょせん特権層」と反感を抱かれ、大きな岐路に立たされている――。話題の映画の背景と監督・俳優らへのインタビューから、アメリカと世界が直面する問題の深層に迫る。


 2011年にロサンゼルスに赴任し、ハリウッドを取材してきた記者による、「ハリウッド映画からみる、現在のアメリカ」。
 ハリウッドといえば、リベラル、体制批判というイメージが僕にはあるのですが、著者は「ハリウッドはそれなりに政府批判の映画も作ってきたかに見えて、その実、「現政権」をあからさまに批判する映画はそうはない」と述べています。
 過去の「アメリカの問題」に光をあてることはあっても「現政権の問題」についてリアルタイムで批判することは意外に少なくて、現政権とは「うまくやってきた」のです。
 そのハリウッドが、これまでのハリウッドの物差しでは測れない、「トランプ大統領」によって、動揺しています。

 トランプの大統領就任を間近に控えた2017年1月上旬、ゴールデン・グロープ賞授賞式のスピーチでメリル・ストリープがトランプを暗に批判したニュースが、各地を駆けめぐった。
 ドレスをまとった壇上の彼女は、『ラビング 愛という名前のふたり』で主演女優賞にノミネートされた、エチオピア出身のルース・ネッガらの名前を挙げて言った。「ハリウッドはよそ者と外国人とともに進んできた。彼らを追い出せば、フットボール総合格闘技(mixed martial arts)を見るしかなくなる」。
 名指しは控えつつも、トランプが唱える移民排斥を批判し、会場から拍手喝采を浴びた。彼女はさらに、トランプが選挙期間中、腕に障害のある米紙ニューヨーク・タイムズ記者のしぐさをまねたとされる点にも苦言を呈し、続けた。「軽蔑は軽蔑を招き、暴力は暴力を招く」
 トランプはメリルを名指しで中傷するツイートの連打で応じた。「ハリウッドでもっとも過大評価された女優のひとり」「大敗したヒラリーのおべっか使いだ」
 メディアやネット上で、議論が渦巻いた。大国のトップに就く立場としてトランプの短気な罵り方が目にあまった分、彼を真正面から擁護するメディアや識者こそ見当たらなかったが、メリルにも賛否が巻き起こったのは、本人も想像しなかったのではないだろうか。
 共和党の重鎮ジョン・マケイン上院議員の娘でFOXニュースの番組ホスト、メーガン・マケインはこうツイートした。「メリル・ストリープのこのスピーチこそ、トランプを勝たせた要因。それがなぜなのかハリウッドが認識できなければ、彼の再選を助けることになる」
 知性に裏打ちされた名演技でアカデミー史上最多のノミネート20回、業界の女性の地位向上にも尽力してきたメリルを私は尊敬しているし、とても好きだ。そして、彼女がスピーチで言わんとしたところには賛同してあまりある。それだけに、ため息が出た。
 フットボール総合格闘技(mixed martial arts)は、トランプ支持者らが愛好して来たスポーツのひとつだ。それを軽んじる表現で、「芸術(art)ではない」ともつけ加えた。「よそ者と外国人」とメリルがたたえた会場の人たちはすかさず拍手喝采、その様子をカメラは映し出したが、いずれも多くの人には手が届かない豪華なドレスやタキシードに身を包んでいた。


 メリル・ストリープさんは、たぶん「正しいこと」を言っているのです。
 でも、豪華なドレスやタキシードに身を包んだハリウッドのセレブたちが主張する「正論」は、トランプ支持者であった「打ち捨てられた中間層」には、ポジショントークにしか感じられなかったのではないでしょうか。
 そもそも、お前らは「差別主義者」を批判しているけれど、我々や「フットボール総合格闘技」のことを「差別」しているじゃないか、と。
 ハリウッドそのものが「特権階級」であり、彼らは、自分の権益を守るために、ヒラリー大統領や民主党の味方をする。貧しい人々の救済を訴えながら、豪華なドレスを身にまとい、贅沢なディナーを食べている。
 だからといって、彼らが清貧な暮らしをすればいい、というものでもないのでしょうけど。
 「ゴージャスさ」のショーケースになるのも、スターの役割ではありますし。


 この本を読んでいると、ハリウッドの関係者も観客も、いま、「現実とエンターテインメントの狭間」で揺れ動いていることが伝わってきます。


 日本でもヒットした『ラ・ラ・ランド』について。

 来日記者会見で、チャゼル監督とライアン(・ゴズリング)に質問した。
 今作が興行的成功も主要賞での評価も両方実現しているのは、なぜなのでしょう。この不安と不寛容の時代に、米国人が癒しを求めようとしている表れなのでしょうか。
 チャゼル監督は答えた。「まさにそのことについて、ライアンと話していた。観客は、ライアンも僕も予想しなかった形で今作に夢中になってくれている。ミュージカルからは、うっとりした感じが生み出される。そうして得られる喜びや楽観的な感じは、ほかにはないもの。それでいて僕たちは、誠実で現実的なストーリーを紡ぐのを第一に努めてきた。ミュージカルをとりいれながら、リアリティあるものにしようとした組み合わせがうまく作用していることを願う」
 そうして彼はさらに、こう分析してみせた。「『かなう夢があれば、かなわない夢もある』。もしかすると今作のこの要素が、人々に訴えたのかもしれない」
 アメリカン・ドリームが、米国人の誰もが実現可能な夢としてとらえられたのも今は昔。社会的流動性が減り、格差を縮めるのが難しくなってきた今、夢をかなえるなど簡単ではないことを、米国人の多くはすぐに実感している。その現実を踏まえながら、それでもかなう夢がある、という筋書きに米穀の人たちは引き寄せられたということか。
 隣のライアンが後を継いだ。「デイミアンと僕は当初、よくこう話していた。『スマートフォンではなく映画館に足を運んで見たい。かつ映画体験を共有したい人と一緒に見たいと思うような映画を作れれば最高じゃない?』と。映画館の大スクリーンでしかできない体験を作り出そう、と僕たちはとても意識した。つまり、僕たちは観客を念頭に置いて映画を作った。その効果を感じることができて、とてもすばらしい」
 ロサンゼルス在住の英紙ガーディアンの映画記者ジョン・パターソンが記事で、今作についてこう表現していた。「米大統領線以来、『トランプの世界』について忘れることのできる唯一の2時間だった」と。ミュージカル仕立ての美しさに、現実逃避への道を見いだそうとしたのは彼だけではないだろう。


 観客は、『ラ・ラ・ランド』に「共感」を求めたのか、それとも「現実逃避」を求めたのか?
 監督や演者にも、ここまでヒットした理由について、自信たっぷりに語ることは難しいようです。
 どちらの人にも対応できる作品だったことが、大ヒットにつながった、とも言えるのでしょうけど。
 2016年の演技部門でノミネートされた男女の俳優20人がすべて白人だったということで、アカデミー賞では「白人が優遇されている」という批判の声が大きくなりました。
 それを受けて、2017年の演技部門のノミネートは、20人中アフリカ系が6人と過去最多となり、さらにひとりはインド系英国人と、急に「多様化」したのです。
 でも、それはそれで、「演技の内容で選んでいるのなら、どうしてこんなに極端な結果になってしまうんだ?」とも思います。
 抗議を受けたら、アフリカ系の人たちが過去最多になるなんて、わかりやすすぎるだろう、と。
 ただ、アメリカの「人種差別と言われることへの危機意識」というのは、日本人が想像するよりも、はるかに大きいことはたしかです。

 だが『ラ・ラ・ランド』はまるでその流れとは一線を画すかのように、いずれも白人のライアンとエマがそれぞれ主演男優賞と主演女優賞にノミネートされた。米紙ニューヨーク・タイムズは、「(多様性の動きから)隔絶された映画」「ハリウッドの外の現実世界の問題に目をつぶり、かつ変わろうとするハリウッド内部の動きをも見過ごしている」と書いた。
 カナダ紙ナショナル・ポストが運営するブログ「フル・コメント」で、元BBCの批評家ロバート・クッシュマンがこう論じていたのが印象的だった。「この映画は、米大統領線で二分された双方に称賛されている。反トランプ派は、『ともかく今はこういうものが必要』 として癒しや楽しみを求める症候群になっている。トランプ支持者としては、(トランプが掲げた)『アメリカを再び偉大にする』と表すわかりやすい例として語ることができる」


 制作側には、こういう「意図」はまったくなさそうなのですが、シンプルなエンターテインメント作品だと僕が思った『ラ・ラ・ランド』は、アメリカの映画評では、ここまで「政治的な解釈」をされているのです。
 日本では、社会問題を扱ったことが明白な映画でさえ、ここまで「政治的に」語られることは無いのに。


 アメリカにとって「映画」っていうのは、こんなに影響力のある、大きな存在なのか、と驚かされますし、あのオリバー・ストーン監督がトランプ政権に「期待」しているというインタビューにも驚きました。
 本人の言葉を読んでみると、それなりの合理的な「理由」もあるのです。


 観客は、作品に「現実逃避」を求めながら、スターたちには「浮世離れしている」と批判を浴びせる。
 ハリウッドスターたちも、「弱者の声を代弁している」つもりだったのに、「お前らこそ、既得権益者じゃないか!」と責められることに戸惑っているのです。
 もちろん、こういうのはアメリカだけの話ではないのでしょうけど。

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