琥珀色の戯言

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利休にたずねよ ☆☆☆☆


利休にたずねよ

利休にたずねよ

内容紹介(Amazon.co.jpより)
飛び抜けた美的センスを持ち、刀の抜き身のごとき鋭さを感じさせる若者が恋に落ちた。
堺の魚屋の息子・千与四郎――。後に茶の湯を大成した男・千利休である。
女のものと思われる緑釉の香合を
肌身離さず持つ利休は、おのれの美学だけで時の権力者・秀吉に対峙し、
気に入られ、天下一の茶頭に昇り詰めていく。利休は一茶人にとどまらず、
秀吉の参謀としてその力を如何なく発揮。秀吉の天下取りを強力に後押しした。
しかし、その鋭さゆえに、やがて対立。
秀吉に嫌われ、切腹を命ぜられる。

本書は、利休好みの水指を見て、そのふくよかさに驚き、侘び茶人という
一般的解釈に疑問を感じた著者が、利休の研ぎ澄まされた感性、色艶のある世界を
生み出した背景に何があったのかに迫った長編歴史小説である。

第140回直木賞受賞作。小説としての完成度は、『悼む人』よりもこちらのほうがずっと高いと感じました。

「美」とか「芸術」というのを言葉で表現するのは、とても難しいものだと思います。
「外見的な美しさ」だけではなく、「精神性」も大事な要素である「茶」の世界であればなおさら。
この『利休にたずねよ』は、それに敢然と挑戦し、見事に説得力を持たせた素晴らしい作品でした。
利休切腹の日から、少しずつ過去にさかのぼってさまざまな人物と利休とのエピソードを積み重ねていくことによって、浮かび上がる「美に殉じた男」利休の生涯とその美学。
読んでいて、「ああ、この人の世界に触れてみたいな」と引き込まれてしまう「美学」が、この本には詰まっているのです。
短いエピソードの積み重ねで描かれているだけに、長さのわりには読みやすかったですし。

 ――商人……。
 忘れておった。そうだ、あの男は、あんな取り澄ました顔をしておるが、もとよりただの魚屋ではないか。
 商人ならば、利を貪るのはあたりまえ。ことに堺の商人は、親と子でさえ騙し合うほど強欲な者がそろっている。
 ――いや、しかし……。
 秀吉は首をかしげた。
 やはり、不思議でならない。利休は、たぐい稀な美的感覚をもっている。
 たとえば、百個ならんだ竹筒のなかから、あの男が花入を、ひとつ選び出す――。
 その竹筒は、たしかにまちがいなく美しいのだ。
 節の具合にしても、わずかの反り具合にしても、えもいわれぬ気品があって、どうしてもその竹筒でなければならぬと思えてくる。
 棗にしたってそうだ。同じ職人が作った黒塗りの棗を百個ならべておくと、あの男は、かならず一番美しい一個をまちがえずに選び出す。何度ならべ替えても、あやまたず同じ物を手にする。
 ――なぜだ。
 なぜ、あんなふうに、いともあっさり、美しいものを見つけ出すことができるのか。
 ―あれは、幻術か、はたまた、ただの誑(たぶら)かしか……。
 いや、ちがう、幻術とも誑かしとも思えない。そうは思えぬゆえ、ながいあいだ、あの男に茶の湯の仕切りをまかせてきたのだ。

 このくだりなど、読んでいてゾクゾクしてしまいます。
 「美的センスの凄さ」をこんなふうに「読み手に伝わるように書く」ってすごい。

 ただ、僕はこの作品にひとつ引っかかるところがあるんです。
 それは、利休が「美」一心不乱に邁進するきっかけになったとされている女性とその形見である「緑釉の香合」が、作者・山本兼一さんの「創作」であること。
 いや、これが100%フィクションであることが前提の「小説」であれば、「うまい設定」だと思うのですよ。
 でも、千利休は、実在の人物です。
 歴史上に存在した人物の生涯を辿っていく話の「大前提」の部分と「最も大切な小道具」が「つくりもの」であるというのは、作品全体のリアリティをかなり損ねているような気がしてなりません。
 それがなければ成立しない小説ではあるのですが、そのおかげで、「これ、どこまでが本当の話なんだろう……」ということが、ずっと引っかかってしまったのです。
 もちろん、100%事実の歴史小説というのは、ありえないと思うんですが……
 間違いなく「素晴らしい小説」ではあるのですが、僕にとっての「歴史小説における作者の創作の許容範囲」を考えさせられる小説でもありました。

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