- 作者: 青木新門
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1996/07
- メディア: 文庫
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内容(「BOOK」データベースより)
掌に受ければ瞬く間に水になってしまうみぞれ。日本海の鉛色の空から、そのみぞれが降るなか、著者は死者を棺に納める仕事を続けてきた。一見、顔をそむけたくなる風景に対峙しながら、著者は宮沢賢治や親鸞に導かれるかのように「光」を見出す。「生」と「死」を考えるために読み継がれてほしい一冊。
映画『おくりびと』のアカデミー外国語映画賞受賞で再注目されたこの本をはじめて読んでみました。
率直な感想としては、「これ読むなら、映画観たほうがいいや」だったんですけどね。
「作家くずれ」だった作者が、故郷に帰り、ドンブリ勘定で経営していた店が行き詰まり、「子供のミルク代のために」はじめた納棺の仕事。そこでの仕事や周囲の人たちとの軋轢、死者に身近に接することによって得た死生観などが語られていますが、いまの僕にはちょっとわからないなあ、という感じです。これを読んで「生と死についてわかったような気になってしまうこと」のほうが、よっぽど怖い。
後半は作者の「死生観」や「悟り」についての解釈などの「宗教観」が延々と語られているのですが、なんだかすごく居心地が悪かったです。生死にかかわるような仕事をしていると、『死』について語りたくなってしまうのはわかるんだけど、僕は「それでも生きようとする人間の悪あがき」みたいなものを大事にしたい。
もし、この本があまり話題になっておらず、書店の片隅で偶然見つけたら、もっと素直に読めたのかもしれないな、とも思いますが。
この本のなかで、著者の奥様が、この本を読んだという見知らぬ人に、
あなたは、本当に(納棺の仕事をはじめた夫にセックスを求められたとき)「けがらわしい!」なんてひどいことを御主人に言ったのですか?
と責められたという話が出てきます。
うーん、「書く」っていうのは大変なことですね。
そして、人っていうのは、こういう作品を読んでも「誰か自分が責めることができる悪者」を探してしまうのだなあ、と考えずにはいられませんでした。
そういえば、インターネットのテキストサイト文化黎明期に、「葬儀屋に勤めている若い女性の日記」が話題になったことがありましたよね。
僕はあれを読みながら「自己表現のために死者を扱う仕事に就いている人」に、なんとなく厭な感じがしていました。
納棺師の仕事は尊いものだと思うけど、どんなに素晴らしい内容でも、言葉にすると空虚になってしまう部分というのは、たぶんあるのでしょう。
『おくりびと』や『納棺夫日記』が、これらの職業に就く人たちへの世間的な理解にものすごく貢献しているというのは、よくわかるのですが、本当は「黙って自分の仕事に打ち込んでいる人」が、いちばんカッコいいんじゃないかな。自省をこめて書いておきます。