琥珀色の戯言

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「地球の歩き方」の歩き方 ☆☆☆☆☆


「地球の歩き方」の歩き方

「地球の歩き方」の歩き方

内容(「BOOK」データベースより)
パックツアーじゃない、ボクたちの足で自由に世界を歩きたい!そんな若者たちの思いが国民的ガイドブックを生み出すことになった。合計100時間にもおよぶ関係者への膨大な取材から明らかにされた「地球の歩き方」の足跡。それは、日本人旅行者たちのドラマそのものだった。

僕がはじめて海外に行ったのが20代後半。いまから10年くらい前のことです。「地球の歩き方」をはじめて手にとったのもそのときでした。
行き先はボストンだったのですが、「これが噂に聞く『バックパッカーバイブル』なのか……」と思いながら読んだんですよね。
しかしながら、僕がはじめて読んだ「地球の歩き方」は、「なーんだ、けっこうデータが細かい、行った人の感想がちょっと載っているくらいの『普通の観光ガイド』じゃないか」という印象。
当時は「所詮こんなものなのか」とガッカリしたのですけど(「貧乏旅行」なんてする気もなかったのに)、この本を読んでみると、僕が手に取った時期の「地球の歩き方」は、ちょうど過渡期というか、「『地球の歩き方』らしさを生かしながら、一般の観光客も利用できるような旅行ガイド」への転換をはかっていた時期だったのだな、ということがわかります。

書店に並んでいるたくさんの『地球の歩き方』をみていると、「きっとこれは大きな出版社がひとつの事業としてつくってきたのだろうな」と思い込んでしまうのですが、実は『地球の歩き方』は、経済系出版社のダイヤモンド社の子会社・ダイヤモンド・ビッグ社の4人の男(安松清、西川敏晴、藤田昭雄、後藤勇の各氏)が1973年にはじめた「若者たちが自由に海外を歩ける新しいスタイルの旅行企画」の宣伝媒体としてつくられた小冊子からスタートしたのです。それが、「ツアーに参加するのではなく、自分でいろんなことを決めて世界を旅したい」という若者たちを巻き込んで、どんどん大きくなっていくプロセスは、非常に印象深いものでした。僕はこの本を『本の雑誌』の紹介記事で知ったのですが、安松さんが若い旅行者で「書けそうなヤツ」を巻き込んで、新しい地域のガイドブックを増やしていく経緯は、まさに『本の雑誌』が大きくなっていく過程を彷彿とさせます。もしかしたら、『本の雑誌』のスタッフも、そんなことを思いながら、この本を読んでいたのかもしれません。

 私たちは発想を転換しました。さまざまなサービスを充実させるのではなく、逆にそれらを削ぎ落とした「自由旅行」を作ったらどうかと。私たちの顧客は、添乗員付きのパッケージ・ツアーを選ぶお金持ちではなく、できるだけ安く長く海外に行きたい若者たちです。彼らが欲しいのは手厚い付加サービスよりも生きた旅行情報であり、情報さえあればあとは自由にひとりで歩けます。
 そこに、それまで無料配布していた各種のマニュアルを再編集して、旅行カタログの真ん中の16ページに入れました。カラー刷りのカタログでしたが、その部分だけモノクロ一色刷りで、それが「地球の歩き方」の原型になりました。
 そこには旅行説明会でも話していた、主要都市の交通機関、低料金のホテルやレストランなどの情報を載せました。ロンドンには何ポンドの宿がある、数百円で食べられる食堂がある。パリの何丁目何番地に、どういうレストランがあって、何フランで食べられる。そうした情報は、説明会の後や申し込みの時に学生たちから出た質問と、前年のDST参加者から寄せられた体験談やメモが役立ちました。知りたいことや、知ってほしいことが、一番欲しい情報なのです。

この旅行情報ページが独立して、一冊の小冊子になったのが1976年の7月。その翌年の「ヨーロッパ編」「アメリカ編」が、「旅行ガイド」としての『地球の歩き方』の実質的なスタートになります。
この当時のさまざまなエピソードを読んでいると、「とにかく若者たちに海外を自分の目で体験してもらいたい!」というスタッフの「熱意」が伝わってきます。

日本の海外旅行をパッケージ・ツアーから解放しよう、旅行会社が隠して伝えない旅行情報を開放しよう、と。
だから市販版『地球の歩き方』では、「パスポートは自分で取れる!」という記事を大きく載せました。そのことが、あなたも一人で行けるというアピールになったのです。当時、パスポートといえば、いかにも旅行会社の社員じゃないと手続きが難しくて取得できない、といった雰囲気がありました。それが旅行会社の収入源の一つでしたし。誰でもパスポートは申請できることさえ知らされず、旅行会社の言いなりで高価なパッケージ・ツアーに申し込む人が少なくなかった。

この本の前半を読んでいると、「なんで僕は若いころに、もっと海外に『自由旅行』しなかったのだろう」と、ちょっと後悔してしまいます。
なんとなく「海外旅行は危険」というイメージを植えつけられて、それを疑いもしなかったなあ、と。

そして、『地球の歩き方』の歴史は、「日本人の海外旅行の様式の変遷」の歴史でもあるのです。
当初は「旅行会社が決めたスケジュールに従うだけのパッケージ・ツアー」へのアンチテーゼとして生まれた『地球の歩き方』も、格安航空券の一般化やHISなどの新たな旅行会社の登場によって、むしろ「体制側」になり、「『地球の歩き方』を片手に世界を放浪する日本人の若者」というのが、ひとつの「記号」になってしまうのです。
「若い日本人の旅行者は『地球の歩き方』を持っているからすぐわかる。かえって危険だ」なんて話まで出てきました。

地球の歩き方』も、リニューアルを迫られます。メジャーになり、「普通の観光客」も手に取ることになったこと、そのなかで売上を維持していかなければならないことから、変化を余儀なくされたのです。

 しかし90年代の初めに安全情報をめぐるバッシングを受けた後、新刊のタイトルほど投稿の掲載数が減っていった。投稿を載せるリスクのほうが、載せないリスクよりも大きいという意識が、編集者の間で広まっていった結果だった。そこで都市編ではリニューアルを機に、投稿の扱いを統一することにした。
 そのとき、基準となったのは、情報の正確さだった。確認できた情報は載せる、クレームのあった安宿やレストランは、基本的に載せない。掲載にいたる投稿が減り、送られてくる投稿の数も減っていったが、情報の正確さは確保した。
 文体も変わった。初期の「身の丈の文体」、つまり若い人に呼びかけるキミ/ボク文体は、新世紀の「地球の歩き方」には似合わない。そこで、「キミはこうすべきだ」と書く初期の文体とは正反対の、絶対にこうとは言い切らない文体にした。
 初期の「地球の歩き方」は、旅行者の肉声があふれる読み物だった。実際には旅していなくても、読めば書き手の動きがわかるような、それは時間があるときに読んでいても楽しい読み物だった。しかし誰にとっても使える正確な情報が最優先となり、タイトルごとの掲載情報のバラつきは平準化され、シリーズの統一感を優先することになったとき、それは読み物から、ガイドブックになった。

 僕がはじめて手に取った時期の『地球の歩き方』は、まさにこの「ガイドブックになった」時期のもの。
 「旅行者の肉声」はブログなどで比較的簡単に読めるようになりましたが、その反面、ブログの情報の「正確さ」の判断は難しく、年1回程度しか「更新」できない『地球の歩き方』としては、生き残るために「情報の信憑性」を売りにせざるをえなくなったのは致し方ないのでしょう。

 この本を読んでいると、お金も情報もなかった時代に『地球の歩き方』を持って世界を旅していた人たちが、ちょっと羨ましくなってしまうのです。
 海外旅行が、まだ怖くて、希望と期待に満ちていた時代。
 
 著者は、「あとがき」で、こんなふうに書いておられます。

 「地球の歩き方」を持って旅したことがあるという、ただそれだけで、共感が生まれる。その理由はきっと、「地球の歩き方」が単なる海外旅行のガイドブックに留まらず、ある時代の精神を具現化したメディア(人と人をつなぐもの)だったからだろう。

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