琥珀色の戯言

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舟を編む ☆☆☆☆


舟を編む

舟を編む

内容(「BOOK」データベースより)
玄武書房に勤める馬締光也。営業部では変人として持て余されていたが、人とは違う視点で言葉を捉える馬締は、辞書編集部に迎えられる。新しい辞書『大渡海』を編む仲間として。定年間近のベテラン編集者、日本語研究に人生を捧げる老学者、徐々に辞書に愛情を持ち始めるチャラ男、そして出会った運命の女性。個性的な面々の中で、馬締は辞書の世界に没頭する。言葉という絆を得て、彼らの人生が優しく編み上げられていく―。しかし、問題が山積みの辞書編集部。果たして『大渡海』は完成するのか―。

今年の「ひとり本屋大賞」6冊目。
「辞書をつくっている人たち」が主人公なのですが、登場人物たちはみんな「常軌を逸した言葉オタク」で、仕事への情熱はものすごい。
そのかわり、ひとりの「社会人」としては、人間関係にも恋愛関係にもひたすら不器用。
そんな人々が「辞書をつくる」ために小さな努力を積み重ねていく、そんなお話です。


この小説、言葉オタク、辞書のためにすべてを捧げた男・馬締が主人公なのですが、馬締自身の葛藤よりも、「ソツなく仕事も恋愛もこなせる、コミュニケーション上手な同僚」が、「自分にはそんなに打ち込めるようなものがない」と、馬締に微妙なコンプレックスを抱いてしまうところがけっこう印象的でした。
「変人」である馬締の「生きづらさ」だけではなくて、外側からみたら、「なんでもうまくできそうなタイプ」の人にも、それなりの、というか、うまくこなせてしまうが故の悩みみたいなものがある、というのは、けっこう忘れられがちなんですよね。
むしろ、「突き抜けられない人」のほうが、いろいろと、大変なのかもしれません。

 辞書は、監修者や原稿執筆者や編集者だけが作るのではない。辞書の使用者も含め、大勢の知恵と力を集約し、長い時間をかけて練り上げていく。
 見出し語の追加や削除が生じれば、場合によっては周囲の項目の字数も調整しなければならない。辞書は1ページのなかに整然と、余分な空白なく文字が収まっている。最終的に文字が見栄えよく収まるよう、前後数ページにわたって細かく手を入れる必要があった。
 また、「ある言葉を引いたところ、『○○を見よ』と指示があったのに、肝心の『○○』という見出し語が改訂版では削除されており、どこを探しても見当たらない」などという事態が起こっては大変だ。辞書の信用問題にかかわるので、改訂作業によって矛盾や齟齬がでていないか、綿密にチェックする。この作業には、松本先生や馬締のみならず、玄武書房内外の校閲者も駆り出された。膨大な校正刷に埋もれ、ひたすら赤鉛筆をふるう毎日だ。
 新しく加えた見出し語の、用例が妥当かどうかも検討しなければならない。国語学や国文学など、主に人文系を専門とする大学院生が、学生アルバイトで二十人ほど採用された。用例として引用された文言が原典に忠実か、見出し語の具体的な使用例として的確か、確認してもらうためだ。

「辞書」というのはここまでの手間と時間、そして言葉へのこだわりを必要とするものなのか、と思い知らされる作品で、僕もあらためて、家の辞書を手にとってみようと感じました。
「辞書」は重さや検索の便利さを考えれば、「電子化のメリットが最も大きい本」のひとつなのではないかと思います。
でも、これまで紙の辞書をつくるために、紙の質や「めくりやすさ」まで研究し尽くされてきた「辞書」というものの「文化」は、電子化されても受け継がれていくはずです。
「検索のしやすさ」や「レイアウト」に関しては、紙の辞書とはまた違う試行錯誤が、今後繰り広げられていくことでしょう。
そして、なんといっても、「言葉を集め、それを意味づけしていくのは、まだコンピューターには不可能な仕事」なのです。


僕は三浦さんの小説を読んでいると「仕事や趣味に夢中になっている人たち」を描くときの情熱と比べて、「恋愛」を描くときは淡白だよなあ、と感じます。
登場人物がドロドロの愛憎劇を繰り広げたり、恋人が理不尽なワガママを言い出すことはあまりなく、けっこうあっさりと「成就」してしまう。
「そんなにあっさりうまくいくわけないだろ……」って、言いたくなってしまう。
書い手の「恋愛を描くことへの熱意」も、あんまり伝わってこないんだよなあ。
僕個人としては、「戦争映画に無理やり有名女優をキャスティングするためにつくられた不自然な存在のヒロイン」みたいで、あまりこの作品の女性たちは好きではないのですけど。
もしかしたら、三浦さんは、こういう「現実ではうまく恋愛するのが難しそうな人」たちを、自分の作品のなかだけでは幸せにしてあげたいのかな、とも思うのです。


「紙の本が好き」「辞書をつくるという仕事に興味がある」「三浦しをんさんの作品が好き」のいずれかにあてはまる人にとっては、「読んで損はしない作品」でしょう。
個人的には、この話、娯楽要素を入れて小説にするよりは、「辞書をつくる人たちの話」として、ノンフィクションにまとめてほしかったような気もしますが。

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