琥珀色の戯言

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のぼうの城 ☆☆☆☆



あらすじ: 天下統一を目指す豊臣秀吉は関東の雄・北条家に大軍を投じるも、その中には最後まで落ちなかった武州忍城(おしじょう)と呼ばれる支城があった。その城には領民からでくのぼうをやゆした“のぼう様”と呼ばれ、誰も及ばぬ人気で人心を掌握する成田長親(野村萬斎)という城代がいた。秀吉は20,000の軍勢で攻撃を開始するが、将に求められる智も仁も勇もない、文字通りのでくのぼうのような男の長親は、その40分の1の軍勢で迎え討とうとする。


参考リンク:映画『のぼうの城』オフィシャルサイト


2012年33本目の映画館での鑑賞作品。
金曜日のレイトショーで、観客は50人くらい。けっこうにぎわっていました。


正直、あんまり期待していなかったんですよ。
原作も「面白いのは面白いんだろうけど、あまりにもフィクションの要素が大きくて、歴史物としてはちょっとね……」と歴史好きな僕はちょっと反発を感じていたのです。


でも、この映画は、けっこうおもしろかった。
144分とかなり長いのですが、長さを感じない映画でした。
原作がもともと脚本として書かれたということもあり、すごく「2時間半の映画のサイズにぴったりはまっている」感じもしたんですよね。
途中は、「最近、市村正親さん、風呂に入る役ばっかりだな……」とか、「『三国無双』だ!」「北野武監督の『座頭市』かよ……」とか、いろいろ思うところもあったのですが。


この映画を成功させているのは、主役の「のぼう様」こと成田長親を演じた野村萬斎さんの魅力につきると思うのです。
成田長親という人物の、この映画での行動って、歴史映画としては、「こんなことあるわけねえだろ、バカにしてるのか?」と観客を苛立たせる可能性が高いものです(人によっては、「バカバカしくて、観ちゃいられない」かもしれません)。
でも、なんとかギリギリのところで、「この人なら、こういうことが起こる……かもしれない」と踏みとどまらせているのが、野村さんの存在感であり、「芸」なんですよね。
「田楽踊り」で、この2012年の観客の目をあれだけ引き付けられて、「演技」もできる人は、他にはいないのではないかと思います。


この映画を観ていて、「水攻め」っていうのは、なんだかすごくコストパフォーマンスが悪い戦術だな、と思わずにはいられませんでした。
2万人の兵で、500人+領民が立てこもる城を落とすのに、27キロメートルの堤防をつくるっているのは、労働力が安い時代だったとしても、あまりにもムダが多すぎます。
冒頭に出てきた、備中高松城の場合は、城主の清水宗治が名将+名高い堅城で、しかも城内にはかなりの兵力があり、毛利勢からの後方支援が期待できた、というさまざまな要因から、水攻めの理由もわかるのですが、忍城の場合は、パフォーマンス以上の理由はなさそう。
いやまあ、石田三成としては、史実でも、「派手な戦をしておきたかった」というのはあったのかもしれませんが……


観終えて、「おお、なかなか面白かったな。水攻めで、大量の水が流れてくるシーンは、直接被災したわけではない僕でも、ちょっと動悸がしてキツかったけど……」などと思っていたのです。


でも、考えてみると、結局のところ「のぼう様」が豊臣勢と戦ったことには、どんなメリットがあったのだろう?
それこそ「力のあるものが、力で弱いものを屈服させる。そんな世の中に異議を唱える」以外には、何もなかったのではないだろうか。
あのまま、豊臣勢に降伏していれば、所領は安堵されたでしょうし、田畑も荒れなかった。多くの人が死ぬこともなかった。
結局、忍城の守備側が手に入れたものは「大軍相手に戦いぬいた」という「歴史による称賛」だけなのです。
それは、逆に「どんなにお金を積んでも得られなかったもの」でもあるのだけれど……


「寡兵で大軍を苦しめる」というのは、やっぱり爽快なんですよね。
面白い映画だとも思います。
邦画としては、かなりスケール感もあります。


それでも、考えれば考えるほど、「のぼう様」が、なんで戦ったのかわからない。
あの、のぼう様の「悪人の作戦」って、要するに「自分の人気を利用して、みんなを死ぬ気にさせる作戦」なのですが、この人は、そこまでして、みんなを死なせたいのだろうか?と疑問でもあったのです。
あれが本当に「そういう作戦」で、わかっていてやったのなら、ひどいとしか言いようがない。


個人的には、「歴史映画としては、あまりにも御都合主義すぎる」。
でも、「史実とかリアリティにこだわらず、エンターテインメント映画と割り切って観るのであれば、すごくよくできた作品」だと感じました。
野村さんの田楽踊り、ぜひ多くの人に観てもらいたいなあ。

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