琥珀色の戯言

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【読書感想】赦す人 ☆☆☆☆☆


赦す人

赦す人

内容紹介
「鬼」と名乗った男は、何があっても、無限のやさしさで全てを受け入れた。夜逃げ、倒産、栄華と浪費、また夜逃げ。団鬼六の波乱万丈の生涯は、しかし常に純粋さと赦しに貫かれていた。伝説の真剣師と交わり、商品相場を追い、金を持ち逃げされ、妻の不倫に苦しみ、その全てから小説を産んだ。出生から最期の日々まで、「異端の文豪」の唯一無二の人物像を描ききった感涙の長編ノンフィクション。

僕はSMに興味ないし、団鬼六さんの名前は知っていても、作品はほとんど読んだことがありません。
でも、この「無類の将棋好きだった、異端の文豪」の人生への興味はありました。
それを『聖の青春』の大崎善生さんが書くというのも、また魅力的でした。


僕が団鬼六さんについて記憶しているのは、亡くなられる何年か前に、人工透析を拒否して死ぬ、と宣言されたことでした。
結局、団さんは翻意して透析を受けることになったのですが、「なんだかもったいないなあ」というのと、「そんなふうに、まだ生きられるのに諦められる人がいるのか」というのを、同時に感じたんですよね。


この作品、団鬼六という「稀代のSM小説家」の伝記なのですが、驚いたことに、団さん本人も大崎さんの取材に同行して、あれこれと思い出話をしたり、「ご馳走」をしたりしています。
だからこそ逆に「この話、どこまで本当なのだろうか……」と思ってしまうところもあるのですが、そういう虚実が入り混じったところも含めての「団鬼六」ということなのでしょう。

鬼六はインタビューで次のようにも語っているからだ。

 小説家は本当のことなど書かない。本当のことを書いてもつまらないだけ。たとえ自伝を書いたとしても3分の1はウソを混ぜないとおもろくならん。(『プレイボーイ』1999年10月19日号)

この本の場合、「ということは、この3分の2は『本当のこと』だったのか……」と思わずにはいられないんですけどね。


団鬼六さんのお父さんは、こんな人だったそうです。

 信行の教育方針は徹底していた。
 人生は甘くないではなく、甘いものと考えろ――からはじまる。次に人生はすべて勝負事という信念。高級住宅街を散歩していて、その中のひと際大きな家を見かけると、信行は鬼六に懇々と諭す。あんな家はサラリーマンになっていくら真面目に働こうが買えるわけがない。あれを手に入れるには相場しかない。相場で勝ち上がればあっという間や。どちらかというと勝負事があまり好きではなく興味もなかった鬼六に、「勝負事を毛嫌いする奴は将来、大成しない」と自信満々に説教する。競輪、競馬はもとより、碁、将棋、麻雀、花札、オイチョカブ、ポーカーにチンチロリンに到るまで、この人生はすべて勝負事と諭し、実際に手取り足取り教え込んでいくのである。しかも中学生の鬼六が真面目に勉強をしていると「そんなことやっていても何にもならん」と怒鳴られる。当時の鬼六の使っていた教科書は、戦前から戦後への価値観の変化に対応する必要性から、ページのあちこちが墨で塗りつぶされていた。過去の価値や知識なんて何の意味があるのかと、つい鬼六も考えこんでしまうことも多かった。

このお父さん、「勝負事」が大好きではあったものの、けっして相場で良い思いをしたばかりではなかったようです。
それでも、「勝負事」をやめることはありませんでした。
団鬼六さんの壮年期の稼ぎっぷりを読んでいると、もし団さんが映画や雑誌の経営や将棋などの「勝負事」に手を出さずに、作家としての収入で堅実に暮らしていたならば、一生、かなり贅沢な暮らしができたはずです。
(もちろん「いい時期」にはすごく良い暮らしをされてはいたんですが)
それができないからこそ、団鬼六
勝負事を好むからといって、気性の荒い、怖い人というわけではなく、弱っている人、困っている人には、手を差し伸べずにはいられない優しさも持っている。
結局、いいように利用されてしまっているところもあるのだけれども、それを飲み込んで、人生の「その場」を楽しんでいる。


 団さんは、諸事情で東京を離れることになり、英語教師だった三枝子さんと結婚し、神奈川県の三崎という港町で、英語の代用教員として勤めはじめます。
 いちおう教員免許は持っていたそうですが「国語」だったのだとか。それでも英語を教えられる人がいなかったので、許される時代ではありました。

 鬼六は自分が変態エロ小説を書いていることが三枝子にばれることをただひたすら恐れていたらしい。だから家で執筆活動をすることはできない。必然的に原稿を書く場所は学校ということになる。そのような事情で、現役中学教師が学校でSM小説を執筆するという伝説ともいえる事態が発生することになる。休み時間に用務員室で書いている分にはまだよかったが、毎月の連載物なので締め切りに追われることもある。すると鬼六は教室で「今日は自習」と一言大きな声を張り上げて、自分は教壇の机に向かって『花と蛇』をやおら書きはじめる。三崎の太平洋を望む小高い丘の上の中学校で、そんな奇跡のような光景が繰り広げられたのだ。

もちろん、本人にとっては、こうするしかなかった、ということなのでしょうが、その光景を想像すると、不思議な気分になります。
こういう「ギャップの面白さ」こそが、団鬼六の世界なのかもしれません。


戦後の経済成長期にたくさん創刊されたSM雑誌(数十万部も売れていた雑誌もあったそうです)のすべての巻頭を飾っていた、というくらいの売れっ子だった団さんですが、金遣いも荒く、稼いだ先から、どんどんみんなに御馳走してしまうような生活でした。
自分のため、というよりは、他人をもてなすために、際限なくお金を使ってしまうのです。
そんな生活による経済的な行き詰まりや妻の不貞行為(団さんはそれこそ「やりたい放題」だったわけですから、一度のことで奥様を責めるのはどうか、とも思うのですが、この「一撃」はかなりこたえたみたいです)、再婚に闘病と、まさに波瀾万丈の人生だったのですが、まあ、なんというか、まるで小説のような人生、ではあります。


「伝説の真剣師(賭け将棋のプロ)」小池重明さんとの交流や、晩年、一般の文芸誌に寄稿しようとした際、「団鬼六」のペンネームではまずい、と断られた、という話も出てきます。
団さんほどの知名度がある作家でも、つい最近まで「SMの人」として、すぐれた小説を書いても白眼視されていたのです。


この『赦す人』を読んでいると、団鬼六という人の優しさ、そして面白さに魅了されてしまいます。
僕には、このエピソードがとくに印象的でした。

 2011年(平成23年)3月12日。
 鬼六は家族とごく親しい関係者を集めて山梨県にある石和温泉へ旅行に出かけた。食道癌は肺に転移し、余命を強く意識せざるをえない状況だった。前日に東日本大震災があったが、鬼六に迷いはなかったという。予約しているからには、物理的に無理でない以上、行くしかない。キャンセルは用意して待っている人たちを裏切ることになるというのである。関係者もなんとか全員が石和温泉に無事集合できた。
 どこに行っても何も見てもガラガラ。
 温泉宿もほとんどがキャンセルで開店休業状態。
 そんななか、鬼六はバスがお土産屋に着くなり降りていって、次々とお菓子やらお土産やらを買いはじめ、両手では持てなくなるほどになった。それでも自分では食べられもしないお焼きやら煎餅やらを、どんどん買っていく。
「お父さん、そんなに買ったら夕食が食べられなくなるでしょう」と由起子が言うと「ええやないか」と鬼六は言ったという。
「みんなこれで食べているのに、誰もおらん。かわいそうで仕方ないんや」
 そう言ってはまた次のお土産屋で買い漁る鬼六。
「これもや、これとこれもや」
 誰のための土産でもない。ただ客もなく手持ち無沙汰にしている店員が可哀想だという、それだけのための買い物。

 誰もいなくて、店員さんたちが可哀想だという気持ちは、僕にもわかります。
 でも、それをこうして行動に結びつけるほどの優しさって、どれほどのものなのだろう。
 この自分の目の前の人への過剰な優しさとサービス精神、そして、「自分が何かしてあげなければ」という強迫観念みたいなものが、団鬼六という人を、波瀾万丈の人生に駆り立てていたような気がするのです。
 こういう人だったら、お金をいくら稼いでもキリがないというのもわかりますけど。


 書かれていることすべてが「事実」ではないかもしれません。
 しかしながら、団鬼六という人の魅力が、これほど愛情をこめて書かれた伝記は、唯一無二だと思います。

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