琥珀色の戯言

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【読書感想】謎の独立国家ソマリランド ☆☆☆☆☆


謎の独立国家ソマリランド

謎の独立国家ソマリランド

内容紹介
西欧民主主義敗れたり! ! 著者渾身の歴史的<刮目>大作 終わりなき内戦が続き、無数の武装勢力や海賊が跋扈する「崩壊国家」ソマリア。その中に、独自に武装解除し十数年も平和に暮らしている独立国があるという。果たしてそんな国が存在しえるのか? 事実を確かめるため、著者は誰も試みたことのない方法で世界一危険なエリアに飛び込んだ──。世界をゆるがす、衝撃のルポルタージュ、ここに登場!

この本は面白かった!
ソマリア」といえば、「ああ、あの海賊ばっかりの物騒なアフリカの国のことか……」というのが僕のイメージだったのですが、この本を読むと、そのアフリカの国にもさまざまな人が生活しているのだなあ、ということがよくわかります。
そもそも「ソマリア共和国」というソマリ人の国が、いまはもう実質的には崩壊しているということすら、知らなかったわけで。

 ソマリランド共和国。場所は、アフリカ東北部のソマリア共和国内。
 ソマリアは報道で知られるように、内戦というより無政府状態が続き、「崩壊国家」という奇妙な名称で呼ばれている。
 国内は無数の武装勢力に埋め尽くされ、戦国時代の様相を呈しているらしい。一部では荒廃した近未来を舞台にした漫画になぞらえ、「リアル北斗の拳」とも呼ばれる。
 陸が「北斗の拳」なら、海は海賊が跋扈する――これまた人気漫画になぞらえれば――「リアルONE PIECE」。日本の自衛艦派遣をめぐっていつものように憲法違反だ、いやそうじゃないという議論が繰り返された。
 いったい何時代のどこの星の話かという感じがするが、そんな崩壊国家の一角に、そこだけ十数年も平和を維持している独立国があるという。
 それがソマリランドだ。

 本当にそんな国、存在するの?
 そう思いながら、読み始めました。

 おわかりだろうか、要するに旧ソマリアは、大きく以下の三つの地域に分かれているのだ。


「民主主義国家」のソマリランド
「海賊国家」のプントランド
「リアル北斗の拳」の南部ソマリア原理主義勢力、暫定政権、その他の武装勢力が覇権を争っている)

 この本のタイトルは「ソマリランド」ですが、著者は、この三つの地域をすべて旅して、その「類似点」や「違い」を浮き彫りにしています。
 同じソマリ人の国なのに、こんな危険な地域と隣接しているのに、なぜ「ソマリランド」だけは、平和な民主主義国家でいられるのか?

 
 このルポルタージュが面白いのは、著者・高野秀之さんのバイタリティの賜物だと思います。
 「かわいそうなソマリア」「怖いソマリア」というような先入観を極力排して、「なんでも見てやろう」という姿勢と、良くも悪くも「どっちにしても人間には違いないだろ」というおおらかさで、高野さんはソマリ人たちと接していくのです。


 高野さんは、ソマリランドを「危険ななかで民主主義を保っている理想の国」として美化するのではなく、「それでいいのか日本人!」と言いたくなるくらい、現地の人と一緒にグダグダになっちゃったりするんですよね。

 ソマリランドの謎は多々ある。
 なぜソマリランドは内戦を集結できたのか? なぜ同じソマリ人なのに南部ソマリアはそれができないのか。ソマリランドの財政的基盤は何か? ソマリランドは本当に治安がいいのか? よいとすればどうしてなのか?
 日本に帰国してから多くの人にこういう点を訊かれた。誰もそれを知りたいところだ。私も知りたかったが、すぐにわかったわけではない。少しずつソマリランド人(あるいはソマリ人)の中に入っていってわかってきたのだ。
 その最大の鍵は「カート宴会」である。
 ソマリランドに入国したばかりの頃、私はソマリランド人の素早さ、有能さに驚いた。レストランでもホテルでも商店でも、誰もがきびきびと働き、計算は正確で、対応もびっくりするほど速い。
「この国は将来、ものすごく発展するんじゃないか」――と思ったのだが、二、三日するとそれが完全な思い違いであるとわかった。
 ソマリランド人は午前中こそ非常に活発だが、昼の一時から五時頃まで、つまり午後の大半の時間は仕事を全くしない。店は閉まり、町には車も人通りも絶え、真夜中みたいになる。みんな――少なくとも成人男子の大半は――自宅か友だちの家かあるいは別のどこかで、「カート宴会」をやっているのだ。
 カートは学名でcatha edulis' ニシシギ科で和名は「アラビアチャノキ」。見た目はツバキやサザンカに似た常葉樹で、葉もツバキやサザンカのように表面がてかてかしたいわゆる「照葉樹」である。

 この「カート」でみんなラリっているから、平和なのかよソマリランド……
 僕はこれを読んで、椅子からずり落ちそうになってしまいました。
 でも、高野さんは、そこで自らも「カート宴会」に参加して(というか、かなりカート好きみたいです、高野さん)、そこでの現地の人たちの会話のなかから、ソマリ人たちの「氏族」という血縁を中心としたグループによる「平和維持システム」などを知っていきます。
 それは、学者に聞いた講義みたいにまとまってはいませんが、それだけに、より現実に即した話なのではないかと思われます。
 もちろん、「平和なのは、カートだけのおかげ」ではないのです。


 そもそも、ソマリ人たちは「平和主義者」ではないんですよね。

 さて、「地上のラピュタ」ことソマリランドは一体どんな国だったのか。
 行く前はさっぱりイメージができなかった。ライオンやトラが咆哮する中で、そこだけウサギたちが仲良し国家を作っているのか、それともウサギの皮をかぶったライオンが猛々しく暴れているのかと思ったりしたが、どちらでもなかった。
 結果から言えば、「猛々しいライオンの秩序ある群れ」だった。
 ソマリランドの人間は、基本的にはエチオピア人のリシャンが言っていたとおり、「傲慢で、荒っぽい」人たちである。「弱肉強食」という言葉をこれほど実感させる民族は珍しい。
 エチオピアから入国したとき、車の運転手は思い切り約束を破ったうえ、過大な請求をしてきた。
 ハルゲイサ到着後もそうだ。ワイヤッブが同行しているときはいい。ベテランのジャーナリストにして情報省の役人でもあり、大統領スポークスマンと同じ氏族の彼と一緒なら、たいてい問題はなかったが、私たち二人になると話はすぐに変わる。
 例えばベルベラでほんのちょっと、私と宮澤だけで町を散歩していたら、イミグレーションの職員二人に捕まり、「許可証を持っていないのか。それなら罰金だ」と言われた。その場でワイヤッブに電話をし、直接その職員に話をしてもらったら即座に解放されたが、二人だけならカネを取られていただろう。「群れからはぐれている」「孤立している」と見なされると、すぐにつけ込まれるのだ。

 荒っぽくて、強欲、傲慢!
 こういう人たちが、うまくバランスをとりながら、十数年も平和と民主主義を維持しているのが「ソマリランド」なのです。
 「海賊国家」プントランドや、「リアル北斗の拳」の南部ソマリアと、そんなに人々の気性は変わらない。
 この本のなかには、むしろ「おとなしくずっと我慢してきた人たち」のほうが、機会を与えられると、残酷きわまりない復讐を行うことがあることも紹介されています。


 むしろ、お互いがライオンであるからこそ、傷つけあわないように厳格な「ルール」をつくっているんですよね。
 まあ、「厳格」とか言いながら、ほとんどの人がカート依存みたいになっているわけで、平均的な日本人である僕としては、「それじゃダメだろ……」とか、言いたくもなるんですけど。
 高野さんは、一緒にカートやりながらインタビューをして、ソマリ人たちの言葉を引き出していくのだものなあ。
 

 正直、「ソマリア三国志」は、かなりゴチャゴチャしていて、読んでいて頭が痛かったんですけどね。
 高野さんは、源氏、平氏藤原氏などの日本人には馴染みやすいモデルを使いながら、一生懸命説明しようとしてくれているのですが、「だいたいわかった、かな?」というくらいにしか、僕には理解できませんでした。
 おそらく、それで十分なのだとは思うけど。


 この本を読んでいて、考えさせられたエピソードがありました。
 それは、ソマリランドを取材した後のこと。

 一つには、日本でソマリランドの話をしても、そのユニークさや意義がなかなか理解してもらえなかったことがある。もちろん「面白い」とか「すごい国があるんですね」と言ってくれる人もいるが、「へえ」で済まされることも少なくない。とくに堪えたのは雑誌への売り込みに全面的に失敗したことだ。
「海賊もいない? 戦争もしてない? じゃあ、何に特徴があるんです?」と言われてしまう。
「いや、だから、平和だってことですよ」
「はあ…」
 平和はニュースにならないということを痛感させられた。


 この2013年でも、「命の格差」みたいなものを感じずにはいられません。

 そして、映画にもなった「ブラックホーク・ダウン」の事件が起きる。再度、アイディード義経(この「義経」というのは著者が日本人にわかりやすように、便宜的につけた記号ですので念のため)を捕らえようと、彼らの支配区に武装ヘリと地上部隊を同時に投入したが、またもやアイディード義経の殺害に失敗。武装ヘリ「ブラックホーク」は義経系の民兵に撃墜(ダウン)され、米兵十三名が殺害された。実はこのとき、米軍は義経系の人間をなんと千数百人も殺している。ほぼ「虐殺」である。
 しかし、アメリカにとって衝撃だったのは、ソマリ人を大量に殺したことではなく、自国民が犠牲になったことだった。

 映画を観ると、どうしても「アメリカ視点」になってしまうのですが、アイディード側からすれば、千人以上が殺された「近代兵器による虐殺」だったわけで……


 高野さんは、最後に、ひとつの提言をしています。

 ソマリランドを認めてほしい。独立国家として認めるのは難しければ、「安全な場所」として認めてほしい。実際、ソマリランドの安全度は、国土の一部でテロや戦闘が日々続き、毎年死者が数百あるいは千人以上も出ていると推定されるタイやミャンマーよりずっと高い。
 ソマリランドが安全とわかれば、技術や資金の援助が来るし、投資やビジネス、資源開発なども始まる。国連や他の援助機関のスタッフが滞在しても安全でカネもかかわらない。なにしろソマリランドは旧ソマリア圏においてトラブルが産業として成り立っていない珍しい地域なのだ。
 それはソマリ社会に対し明確なメッセージとなる。
「平和になり、治安もよくなれば、カネが落ちる」
 利害に敏感なソマリ人に対し、これほど効果的なメッセージはない。海賊を退治するのもこれがいちばん効くはずだ。プントランド政府も、海賊から上がるカネより、国際社会から治安と和平を引き替えに得られるカネが多ければさっさと海賊を切るに決まっている。プントランド政府にはそれだけの知力も能力もある。

 この本を読むと、高野さんが仰っていることが正しいのではないか、と思います。
 「利害に聡い人間」であれば、その考え方を変えたり、力で押さえつけようとしたりするより、相手に合った対応をすれば良いのです。


 たぶん、僕がソマリランドに行くことも、ソマリ人と会うことも、一生無いと思うんですよ。
 でも、だからこそ、こうして「他の国、民族に、本を通じて間接的にでも触れてみる」っていうのは、刺激的で、かつ有益なことだという気がします。
 いや、役に立つ、立たないというより、「面白いから、読んでみて!」これでいいんだよね、この本の場合は。

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