琥珀色の戯言

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猿の惑星:新世紀(ライジング) ☆☆☆☆



あらすじ
自らが生み出したウイルスによって、人類の90パーセントが死滅した2020年代の地球。サンフランシスコでは、かろうじて生存している人類と驚異的な遺伝子進化を遂げた猿たちのコミュニティーがゴールデンゲートブリッジを挟んで存在していた。人類のコミュニティーでは、衰退を食い止めるためにも、猿たちと対話すべきだとする者、再び人類が地球を支配するべきだとする者たちが、それぞれの考えに従って動き出す。一方、猿たちを率いるシーザー(アンディ・サーキス)は、人類と接触しようとせずに文明を構築していた。

参考リンク:映画『猿の惑星:新世紀(ライジング)』公式サイト


 2014年33本目の劇場での鑑賞作品。
 三連休の中日の昼の3D吹き替え版で、観客は20人くらいでした。
 前作『猿の惑星:創世記』は「人気映画の名前を使って客を呼ぶためだけにつくった作品なんじゃないか?と思いながらDVDを観たのですが、予想外によくできた映画だったんですよね。
 この続編、ネット上などではなかなか好評価なのですが、なんだか重い話でもありそうですし、なんとなく観に行く機会を逸してしまっていたのです。


 この『猿の惑星:新世紀』かなり良い映画だと思います。
 猿インフルエンザウイルスで絶滅の危機に瀕した人類(ウイルスだけではなくて、お決まりの内部分裂の影響もあって)と、森で集団生活をし、平和に暮らしてきた猿たち。


「猿は、仲間を殺さない」
 それが、シーザーのポリシーでした。


 前作で実験動物という立場から、「知能」と「自由」を手にした猿たちのリーダー・シーザーは、人間と袂を分かったものの、まだ「良い人間との記憶」を持っており、平和共存を目指していたのです。
 しかしながら、猿たちの中には、過去に実験動物として人間に虐待された記憶を持つ者もおり、シーザーをリーダーとして尊敬しながらも、その方針に対して納得できない者たちもいます。
 しばらく接触がなかった人間と猿たちなのですが、ある事情で、人間は猿のテリトリーに踏み込まざるをえなくなり、そこで、「共存共栄を目指す者たち」と「相手を信じられず、戦いを選択する者たち」との葛藤が生まれていくのです。


 これって、人と猿だけの話じゃないんですよね。
 もちろん、それを意識して描かれていると思うのですが、人間同士でも異文化が接触するとき、こういう「共存共栄」か、「戦い」か?という状況になるのです。
 でも、「相手を信頼しなければ」と思う人もいれば、「交渉はするとしても、ちゃんと武器の用意をして、戦いにも備えておくべきだ」という人もいる。「あんなケダモノと交渉なんて無理だ」と、拒絶する人もいる。
 すべての人が、同じ方向を見ることはありません。
 そんな中、誰かが憎しみから、あるいは恐怖から一発発砲すれば、もう、引き返すことはできない。
 自分から「侵略戦争」だと公言して戦う例って、ほとんどないんですよね。
 みんな「防衛のため」だと言って、戦争をはじめる。

 
 この映画は、そういう「みんなが戦いを望んでいるわけではないのに、人と猿が全面的に戦わざるをえない状況に引きずり込まれて行くプロセス」が、ものすごく丁寧に描かれていて、僕は感銘を受けました。
 

 人間としては、シーザーを応援したくなるのですが、僕が人間であることを差し引けば、シーザーが過去の経緯から人間に肩入れしていること」に対して、反発する猿たちの気持ちもわかるんですよ。
 なんのかんの言っても、人は、自分の経験や受けた教育の影響からは、逃れられない。


 シーザーは言います。
「猿は、人に似ている」
 まあ、人間側からみれば「人間は、猿に似ている」のですけど。


 猿たちの表情や仕草での「感情表現」が素晴らしいし、ストーリーには「最終的な結末」を知っていても引き込まれます。
 前作よりも、確実に「すごい映画」になっていると思うので、前作を観て「悪くないな」と感じた人には、ぜひオススメしたい作品です。

 
 いやしかし、銃を持った猿の大群に襲撃される場面とか……悪夢だよねやっぱり。
 人間に襲われるのもイヤだけど……



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