- 作者: 小澤征爾
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2014/07/26
- メディア: 単行本
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内容紹介
世界のオザワが、未完の指揮者人生を爽やかに振り返る、待望の自伝的エッセイ!
――中国に生まれ、日本に育った僕が、どこまで西洋音楽を理解できるか。一生かけて実験を続けるつもりだ。
年頭の日本経済新聞の紙面を飾り、読者の大きな反響を呼んだ、小澤征爾氏の「私の履歴書」が加筆のうえ早くも単行本になりました。
今年はサイトウ・キネン・オーケストラ30周年の記念すべき年。世界の音楽ファンを惹きつける毎夏恒例のサイトウ・キネン・フェスティバル松本も、来年からは「セイジ・オザワ松本フェスティバル」と改称されることが発表されたばかりです。この機会にひとりでも多くの、これまでクラシック音楽には縁遠かったという方々にも、ぜひとも読んでいただきたい好著です。
まもなく79歳を迎える現在も世界を飛び回る小澤氏ですが、自伝的エッセイとしては時代を越えて読み継がれる青春冒険物語とも言える『ボクの音楽武者修行』以来、実に半世紀ぶり。斎藤秀雄、バーンスタイン、カラヤンなど生涯の師をはじめ転機に出会った様々な人たちとの思い出を縦糸に、かけがえのない家族への想いを横糸に紡がれる物語ですが、通奏低音として流れているのは音楽に対する飽くなき探究心。世界のオザワの個人的な体験は、普遍的な物語として、必ずや読者に勇気を与えてくれるはずです。
「世界のオザワ」の79年間。
僕は小澤征爾さんの指揮するオーケストラを一度だけ聴いたことがあります。
そのときは、「とにかく有名な指揮者」だという程度の知識しか無かったのですけど。
でも、そのときの僕には、「なんだかすごい『圧力』を感じる演奏だなあ」というくらいしか聴く力がなく、終演後、周囲のクラシック音楽マニアらしき人達が、口々に「やっぱり小澤征爾は違うなあ!」と嬉々として話し合っていた印象のほうが強いのです。
そうか、こういうのが「すごい演奏」なのか、と。
正直、「指揮者って、あのオーケストラの前でタクトを振っている『だけ』の人だよね。あれって、そんなに『違い』があるものなんだろうか?」と、僕は子供の頃、ずっと思っていました。
でも、実際に演奏をする人、音楽に詳しい人にとっては、指揮者によって、演奏はまったく違ったものになるようです。
「マンガは今、どうなっておるのか?」(夏目房之介著・メディアセレクト)という本のなかに、こんな話が紹介されていました(僕=著者の夏目さんです)。
僕の両親はクラシック奏者だった。
父は東京フィルの第一ヴァイオリンで、母はフリーのハーブ奏者である。小さい頃、母にオーケストラの練習などへ連れて行かれたような気がする。今でも演奏が始まる前の音合わせの雑然とした音がなんとなく好きなのは、そのせいだろう。
昔、父と話していて、不思議なことを聞いた。
「うまい指揮者だとね、そいつが振っただけで、どういうわけかこっちもイイ音が出るんだ。俺こんなにうまかったのか、ってくらい違うんだ」
ナゼそんなことができるのか聞いたけど、むろんわからなかった。
姪のひとりが大学で交響楽団のサークルに入っていて、何度かコンサートにいった。姪は元気だった頃の父からバイオリンを習っていたのだ。音楽大学ではないので楽団に技術があるわけではない。それでも音楽をやっている楽しさがちゃんと伝わってきて、なかなかいいのである。
何度めかのコンサートで父の話が腑に落ちる経験をした。
演奏会のときは、学生がお金を出しあってプロの指揮者を頼むのだが、あるときけっこううまい指揮者が振った。すると、歴然と音が違うのだ。「こいつら、こんなにうまかったか?」と思うほどだ。
なるほど、オヤジのいってたのはコレか、と思って姪に聞いてみた。
「はじめて音合わせしたときから、違う音が出るんで驚いた」
といっていた。その指揮者は、最初の練習では別にこまかく「ここをこんな音で」とか指示するわけではなく、ただ一度流して演奏させ、最後に第一ヴァイオリンに一言「もっと大きな音で」とか何とかいっただけだったそうだ。学生だから指揮者に払うお金も限られており、練習も1回くらいしかできないらしい。それでも、あれほど違うのだ。
おそらく楽団全体を瞬時に自分の神経末端のように統御し、共同幻想に巻き込む能力があるのだろう。そうとしか思えん。
指揮者っていうのは、オーケストラに対して、これだけの「影響力」を持っているんですね。
この本のなかには、指揮者の仕事の多彩さ、そして過酷さも描かれています。
そもそも、2時間ほぼ立ちっぱなしでタクトを振り、オーケストラの些細な異状もチェックしなければならないのですから、ステージだけでも大変。
そして、オーケストラがステージに上がるためには、曲を仕上げるまでの過程があるのです。
この本では、出生から、音楽を志すまで、そして、ヨーロッパで修行し、「世界のオザワ」になっていくまでが、比較的簡潔にまとめられています。
あくまでも「自叙伝」で、「音楽論」みたいなものは、村上春樹さんとの対談本を読んでください、ということなのでしょう。
だからこそ、僕のように音楽の心得が乏しい人間にも、わかりやすい内容ではあるんですよね。
最近の「世界のオザワ」になってからしか、小澤征爾さんのことを知らない僕にとっては、小澤さんのさまざまな「挫折」には、驚かされました。
この「天才」にも、こんなことがあったのか……と。
毎日新聞パリ支局長の角田明さんの紹介で作家の井上靖さんに会ったのも同じ時期。井上さんはローマ五厘の取材の帰りで、お土産などを買われるのに僕が案内役を引き受けた。当時の僕はいくつかのコンクールに受かっていたけれど、仕事はほとんどない。何度か指揮した群馬交響楽団(当時は群馬フィルハーモニーオーケストラ)の丸山勝広さんから「日本で一緒にオーケストラを育てましょう」と誘われたから、もうヨーロッパは諦めて日本に帰るつもりだった。レストランで昼食をとりながら、井上さんにそう言うと「とんでもない」と猛烈に叱られた。
「文学者の場合、外国の人に自分の作品を読んでもらうのは難しいことなんだ。ひどい時には会ったこともない人が翻訳する。音楽なら外国の人が聴いても翻訳なしで理解してくれるじゃないか。どんなことがあっても、ここにいなさい」
はっとした。なるほどその通りだ。思い直して丸山さんに断りの手紙を書いた。井上さんの言葉はその後も心の支えになり続けた。
海外のコンクールで優勝しても、なかなか仕事がなかったこと、日本でのNHK交響楽団との確執(日本有数のオーケストラが、小澤さんに「吊るし上げ」のようなことをして、演奏をボイコットした歴史があったのです)、海外のオーケストラの指揮者になった際、地元メディアに人種差別的なバッシングを受けたこと……
ともあれ僕は翌1964年6月、ラヴィニア音楽祭の音楽監督に就任した。最初の年は指揮するたび、地元の有力紙「シカゴ・トリビューン」が僕のことを徹底的にやっつけた。
「ラドキンはなぜこんな指揮者を雇ったのか」「シカゴ響のような偉大なオーケストラがなぜこの指揮者のもとで演奏しなければならないのか」。中には人種差別めいた批評もあって、頭に来た。
その夏の最後の音楽会。演奏が終わり、舞台裏に下がった後、客席からの拍手で呼び戻された。舞台に出ていくと、トロンボーンも、ティンパニも、トランペットも、弦楽器もてんでばらばら、めちゃくちゃな音を鳴らし始める。何が何だか分からない。「シャワー」といって、僕への祝福だった。
「シカゴ・トリビューン」への抗議を込めたものらしい、と後で分かった。オーケストラが精いっぱい僕に味方してくれたのだ。「シャワー」を経験したのは生涯で後にも先にもこの一度きりだ。
こんな凄い人にも紆余曲折があり、つらい経験も少なくなかったのです。
でも、人種差別や嫉妬を受けることがある一方で、ピンチのときに助けてくれた友人や、人種に関係なく才能を愛してくれた名指揮者やオーケストラのメンバーがいたのですよね。
読んでいて驚かされるのは、この本に登場する小澤さんが関わってきた人たちに、これでもか、というくらい、僕でも知っているような有名人が多いということでした。
「征爾」という名前も、お父様のこんな交友関係からつけられたそうです。
満州青年連盟長春支部長を務めていた時に関東軍作戦参謀の石原莞爾さんと板垣征四郎さんに目をかけられ、親しく交わる。二人の名前から一字ずつもらい僕に「征爾」と名付けた。おふくろのさくらによれば、出生の知らせを聞いたときにちょうど二人と一緒にいたらしい。子供のころは漢字が書けなくてよく「征雨」と間違えたものだ。
この本を読んでいると、世の中にはこういう「有名人が集まる世界」みたいなものがあるのか……と思ってしまうんですよね。
小澤さんが学生時代に十二指腸潰瘍になったときの主治医が、日野原重明先生だったりするんだものなあ。
もちろん、後世、日野原先生も小澤さんも、お互いにこんなに有名になるとは予想していなかったでしょうけど。
僕がまだ大学生だった頃、『HEY! HEY! HEY!』に「オザケン」こと小沢健二さんが出演した際に「東大卒、祖父は右翼の大物、叔父さんは小澤征爾」という話をしていて、「世の中不公平だよなあ……」と苦笑したのを思い出しましたよ。
でも、こうして小澤さんの人生を辿っていくと、それは「生まれつき」だけではなくて、自分で運命を切り開こうと前向きに進んでいく人の周りには、すぐれた人が集まっていくのだな、と痛感させられます。
この本のなかに、小澤さんのお父さんの、こんな言葉が出てきます。
みっともない話だが、僕はずっとおやじに頼って生きてきた。音楽のことなんて全く分からない人だったが、何から何まで報告していた。
僕がN響にボイコットされた時の言葉を今でも覚えている。「人殺しと盗みをしない限り、おまえは俺の息子だ。それ以外のことだったら何でもやれ。最後は俺が骨を拾ってやる」。川崎の家で冷たくなった体に触れた時、この先どう生きればいいか分からなくなった。
僕は、自分の息子にここまでの「信頼」を伝えることができるだろうか?
親として、息子として、本当に心に染みました。
小澤さんは2009年に食道がんの治療を受け、2012年には1年間指揮を休んでおられますが、「1年間かけて、しっかりトレーニングをして、体力をつけるためだった」だそうです。
この本は、小澤さんの、こんな言葉で締めくくられています。
これからも音楽の勉強を続けたい。おそらくどれだけ時間をかけても終わりはないのだろう。僕はもっともっと深く、音楽を知りたいのだ。
- 作者: 小澤征爾
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- メディア: 文庫
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